「天台宗白山長瀧寺/長瀧白山神社」白山禅定道の三馬場

岐阜県郡上市白鳥町長滝
長良川右岸沿いに国道156号線が続く、国道と並行して長良川鉄道がこの先の北濃駅まで伸びています
長良川鉄道「白山長滝駅」の西隣りが「長瀧白山神社」の参道口

f:id:owari-nagoya55:20191103210816j:plain 線路沿いの長瀧白山神社駐車場から眺めた白山長瀧駅と長瀧白山神社参道口
線路に沿って並ぶ常夜籠、その先が踏切で国道から駐車場への入口になっています

f:id:owari-nagoya55:20191103210834j:plain駅と社号標、中央に参道口、左には「霊峰 白山への道」と記された大きな石碑がある
手前は大きな駐車場です

f:id:owari-nagoya55:20191103210845j:plain めったに鳴る事のない踏み切の警報がなり、遮断機が下り無人駅に赤い電車が滑り込んできました

f:id:owari-nagoya55:20191103210854j:plain右は「表本宮白山神社」社号標、左に「天台宗白山長瀧寺」の寺号標

f:id:owari-nagoya55:20191103210904j:plain 参道は長瀧寺と白山神社の双方を兼ねており、参道脇には往時の勢いを偲ばせる坊跡の案内板が
多数並んでいます、その先には神明鳥居が見えています

f:id:owari-nagoya55:20191103210913j:plain参道に掲げられた往時の略図
養老年間に泰澄大師により創建された云われ
鎌倉、室町時代に隆盛を極めた寺で古来は白山中宮長滝寺と云われ、白山信仰美濃国側の中心的存在
828年(天長5)に天台宗を継いでからは一万三千石の寺領を持ち、往時には多宝塔を筆頭に30以上の堂宇と360坊を誇る神仏習合の修業の場と云われます
1271年(文永8)に社殿の半数を焼失、後に社殿は再建されますが、徐々に衰退を重ね、やがて明治の神仏分離に伴い、長瀧白山神社と白山長瀧寺に分けられます
1899年(明治32)再び火事により社殿を失います、現在の社殿は大正時代に再建されたもの

f:id:owari-nagoya55:20191103210924j:plain両脇には石垣が続き、長い参道は緩やかに上り、太鼓橋へ続きます

f:id:owari-nagoya55:20191103210936j:plain参道脇にはこうした坊跡の解説板が立てられていますが、あくまでも参道に面した坊のみであり
一部でしかありません

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正面には宝暦年間の郡上藩で起きた大規模な百姓一揆の郡上一揆を偲ぶ宝暦義民碑が建つ

f:id:owari-nagoya55:20191103210959j:plain参道左の瀧泉院

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江戸時代の伽藍図では現在の鳥居あたりが山門になり、瀧泉院は門前にあたるように思えます
そうした事からも境内の伽藍図には記載されていません
宗派も真言宗とあり詳細や長瀧寺(天台宗)とのつながりは良くわかりません

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f:id:owari-nagoya55:20191103211041j:plain参道中程にある太鼓橋
毎年5月5日の無病息災を祈願し「でででん祭」が行われるそうです
白装束を身にまとい、でででん〃と太鼓を打ち鳴らし神輿を担いだ氏子たちがこの太鼓橋を超えて行くそうです

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太鼓橋の先の参道左に祀られる護摩檀跡(手前の円形サークル)
白山登拝時にここで護摩を焚き祈祷したとされる場所
奥は金剛童子
息を止めて石を持ち、そのまま堂の周りを三周する事で力を授かる事が出来るとされます

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f:id:owari-nagoya55:20191103211120j:plain稲荷堂
金剛童子堂の右に祀られています

f:id:owari-nagoya55:20191103211132j:plain正面には二対の燈籠と石段、その先に狛犬が守護する境内が広がります

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細かな彫が施されている長瀧白山神社狛犬

f:id:owari-nagoya55:20191103211154j:plain 境内正面には1302年(西安4)願主伝燈大法師覚海と彫られた石燈籠、その奥に拝殿がある
左の切妻屋根の建物は参集殿

f:id:owari-nagoya55:20191103211205j:plain 境内の右手が白山龍宝殿
火災により難を逃れた寺宝が保管展示されています

f:id:owari-nagoya55:20191103211214j:plain境内左に手水舎、手水鉢
後方右は白山長瀧寺大講堂と左に延年水を讃えた小さな小池に建つ弁財天堂

f:id:owari-nagoya55:20191103211224j:plain 境内は湧水が湧き出ていて、境内に小さな流れを作っています
当社は白山信仰を厚く崇拝した奥州藤原氏と所縁があり、中尊寺で800年の時を越え発見された蓮の種が
花を付けます、その蓮(中尊寺蓮)が株分され境内に花を咲かせています

f:id:owari-nagoya55:20191103211239j:plain手水舎り左に忠魂碑と絶妙のバランスで建つ石灯籠

f:id:owari-nagoya55:20191103211252j:plain 宝篋印塔
宝篋印塔は本来は経文を納める塔として建てられますが
いつからかこうした形の塔を宝篋印塔と呼ぶようになった様です
1825年(文政8)に豪潮律師により三千人講が起こされ、1833年(天保4)に建てられたもの
四面に描かれた梵字は豪潮律師(1749~1835)の筆によるもので
仏画師としても優れ、「釈迦三尊像」、「十六羅漢像」を白山長瀧寺に寄進している

f:id:owari-nagoya55:20191103211304j:plain白山長瀧寺大講堂と手前の弁財天堂

f:id:owari-nagoya55:20191103211316j:plain 辨天池を潤す延年水

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夏でも枯れる事はなく、この地では古くから五穀豊穣、悪疫鎮静のためにこの霊水を神仏に供えるという
白山参拝者はこの霊水を薬水として利用したとされ、白山頂上の千陀ヶ池から来ていると伝わっています

f:id:owari-nagoya55:20191103211345j:plain辨天池後方の石段は薬師堂に続きます

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素木造りの拝殿全景

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 拝殿内の奉納額、二匹の龍が鮮やかに描かれています

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毎年、1月6日には約1000年の歴史があり国指定重要無形民俗文化財の「長滝の延年」がここで奉納されます
その際に格子天井の四角い穴から吊るされた花を奪い合い、これを持ち帰ると家内安全、商売繁盛に御利益があるとされ、「花奪い祭り」と云われています
格子天井の一部がないのはそのためです 

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拝殿内から参拝します

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拝殿側面
軒先の柱がこの地の雪深さを物語っているような

f:id:owari-nagoya55:20191103211539j:plain拝殿左の長瀧寺大講堂
寺号の長瀧はここを創建した泰澄が、夢の中で女神から霊泉があるとのお告げを受け、山中に分け入りり見つけた​阿弥陀ケ滝​に由来しています
白山禅定道の三馬場(長滝白山神社、平泉寺白山神社、白山比咩神社)のひとつで
白山白山登拝の拠点として「上り千人、下り千人、ふもと千人」と云われるほど賑わったと云われます
往時は六谷六院、神社三十余と三百六十坊を誇ったといわれますが、今はその面影はありません

f:id:owari-nagoya55:20191103211555j:plain長瀧寺大講堂

創建 /    718年(養老2)泰澄が法相宗の寺院として創建(伝承)、828年(天長5)天台宗に改宗
本尊 /    釈迦如来

f:id:owari-nagoya55:20191103211620j:plain 拝殿左の長瀧天満宮

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 長瀧天満宮の左奥に湧き出る「白山千陀ヶ池霊泉」
その昔、泰澄大師が白山に住む千匹の毒蛇を千陀ヶ池に封じ込め万年雪で蓋をして封じ込めた
霊水は腹薬として親しまれている

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境内左脇に祀られる児御前社と竃神社、中央に見えているのが越南智社

神殿域には五社が整然と並び、 左から大将軍社、白山三社(越南智社、白山大御前社、別山社)と一番右に若宮社が祀られています

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中央に祀られる白山大御前社
主祭神 /   伊弉那岐大神/伊弉那美大神/菊理媛大神

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 境内右脇に祀られる稲荷神社と神明神社と中央に見えているのが別山

f:id:owari-nagoya55:20191103211756j:plain 越南智社の左に祀られている大将軍社

f:id:owari-nagoya55:20191103211818j:plain 別山社の右に祀られているのが若宮社

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5社が整然と並ぶ姿を収めるのはなかなか難しいようです
現在は火災の後に神明造に改められていますが、以前の作りは違っていたそうです
拝殿内で祭礼の準備に追われる中、お声がけして頂いた巫女さんから教えて頂いたのに、この期に及んで忘れてしまいました
白山登山の事など色々と話しも弾みましたが、幾度か火災にあいながらも守り続ける現在の社殿とこの地に対する思いは並々ならぬ誇りのようなものが伝わってきました

神仏習合の寺として栄え白山登拝で栄えた賑わいは今はなく
2019/09/20

長瀧白山神社
創建 /  717年(養老元年)、泰澄により白山中宮長滝寺として創建(伝承)
住所 /   ​岐阜県郡上市白鳥町長滝138

「苗木城址と永保寺」一足早い秋を探しに

紅葉の話題も耳にする様になりました

 紅葉目当てに訪れるにはまだ少し早いけれど
以前から訪れたかった「苗木城址」と「永保寺」を訪れてきました
 
朝8時00に守山スマートICから高速で中津川ICを目指す
 相変らず学びの無いドライバーが多い、ドライブレコダーは高速の1時間少々の状況を録画していきます

グーグル先生の到着予想時間より10分程遅れ、9:20分に苗木城第一駐車場に到着
ここが苗木城址に一番近い駐車場、早朝の苗木城址を訪れる方々の車が数台停まっていますが余裕で駐車出来ました
かみさんは駐車場からゆっくりと城址へ向かう
おっさんは一旦駐車場から下った先の鳥居から「高森神社」を目指します

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鳥居から続く細い参道は高森山の尾根に続いています
竹と杉が生い茂る山道を10分程登りが続きますが、静かな森に朝陽が差し込み清々しいものがあります
あまりの静けさに熊、猪の存在を思い出す、歩きながら柏手を打つ事に
これが森に良く響く事、効果があるかは?ですが、気休めにはなる

途中の分岐を右に進み頂きの先に覆屋と鳥居が見えて来ます
朝一番、いきなりの登りはきついものがある、息は乱れるものの無事に到着
「高森神社」
苗木城の守護神であった竜王権現を祀り、高森山の眼下を流れる木曽川から南方を守護
覆屋の下には3社が祀られていますが詳細は分かりません

かみさんと合流しなければ
途中の分岐を右に折れてここまで来ましたが、左に進むと駐車場方向に続くようです
とは言え、来た道を戻ります
途中の風穴を見がてら駐車場へ

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龍王院跡でかみさんと合流
写真スポットとされますが、この時期のこの時間帯は見事に逆光になります
大矢倉の石積は今も当時の面影を残しています

f:id:owari-nagoya55:20191102150738j:plain苗木城址天守展望台
高森山の頂、自然石の巨岩を利用し、幾種類の石積工法を駆使して造られた天守
現在は展望台となっていますが、柱の位置は当時の跡にそのまま作られています
自然石には今も石ノミの跡が残ります
展望台からの眺望は木曽川、恵那山、廃線となった北恵那鉄道の橋梁も一望できます
これに山々の紅葉が彩を添えれば絶景です

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 展望台を後に本丸口門に戻り、左側の細い道から本丸石垣の下を回り込むように天守南あたりにある八大龍王大神へ
天守を支える壁の様にそそり立つ自然石、それらの間に神社は祀られていました

苗木城
別名霞ヶ城と呼ばれ、岩村城を拠点に恵那を統治した遠山氏の木曽川右岸進出の拠点として元弘年間に築城された山城
現在は遺構のみですが場内の石積工法は多様
住所 / ​岐阜県中津川市苗木2897-2​(苗木遠山資料館)

※10月30日城山大橋付近でクマが目撃されています
 だからといって何ともしようがないけれど「クマ出没注意」

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 「満天星一休」
栗きんとんの付いた栗おこわが今日の昼食
岐阜県中津川市苗木岡田2531-1

時間は12時、ここから国道19号線で多治見方向に戻り虎渓山「永保寺」へ

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至って順調に流れる国道19号線、高速で戻ろうがたいして時間は変わらない
1時間で永保寺に到着、無料駐車場から永保寺に向かう途中には寒桜が咲いていました

紅葉と桜の時期で知られる永保寺ですが、さすがに紅葉には程遠く、訪れる方はまだ少ない
ひっそりとした境内に国宝の開山堂、観音堂が佇んでいます

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虎渓山 永保寺
住所 / ​岐阜県多治見市虎渓山町1-40

栗を引きずるかみさん
次の目的地は車で10分程の多治見市内にある梅園菓子舗のどら焼きを目指すようです

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梅園菓子舗
創業大正5年の老舗和菓子店、外観にも趣があります
住所 / 岐阜県多治見市新町1-2-6​​

かみさんの言うにはこちらの目玉は「栗バター入りどら焼き」らしい
どら焼きを買い求め、嬉しそうに車に戻ってきました
家に帰ってからのお楽しみと言う事です

時間は14時30分
それではこのまま下道で家に戻ろう、少し遅めのおやつタイムが楽しみです
2019/11/01

「らぁ麺 飛鶏」

ついこの間までは夏物か秋物か、羽織るものが決まらない陽気でした
それも嘘のように涼しくなりました
なぜか寒さを感じるようになると恋しくなるのは温かいラーメン
かみさんがズ~~ット「行きたい」と引きずり続けていた「らぁ麺 飛鶏」に行ってきました
所在地は春日井市御幸町
国道19号線庄内川を渡り春日井市に入り「勝川町西2丁目」の信号左折して直ぐのところにあります

f:id:owari-nagoya55:20191031181649j:plain店舗のすぐ北側を地蔵川が流れ、南には地蔵ヶ池公園がありその一画には​勝川天神社もあります
地蔵川の由来は勝川天神社に少し書いてあります
なんとなく歩いた事のある場所です

f:id:owari-nagoya55:20191031181700j:plain店舗全景、県道162号線の北側に小さな飲食店が軒を連ねる
「らぁ麺 飛鶏」は一番右の店舗です
店舗前はこの飲食店の共同駐車場
大半は飛鶏を訪れた客の車ばかり?
雨にも負けず店舗前で傘を差し列をなしています

f:id:owari-nagoya55:20191031181714j:plainこちらのお店、2019ミシュランガイドのビブグルマンで春日井で唯一掲載されたそうです
あまり興味のないミシュランガイド、ビブグルマンとは?
「価格以上の満足感が得られる料理、 良質な食材で丁寧に仕上げており、5,000円以下で楽しめる」
そうな

f:id:owari-nagoya55:20191031181723j:plain店内へは店員が呼んでくれるシステムではなく、店内から出たら、出た分入るシステムの様です
店内左の食券機で買い求めて店内の長椅子で更に待つ、その間に店のタイミングで食券を受け取り
調理に取り掛かっているようです

何にしようかなと「私は鶏白湯そば全部乗せ」、普段悩んで決めれないかみさんが早々と宣言
濃厚白湯があるようですが、ちなみにこの日は完売
(おっさんも白湯だったけど・・・・・同じじゃァネ)
おれは店一押しの「鳥そば大盛り」がいい、チケットを買い求めあと少し順番を待ちます

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店内はカウンター席のみで、対面(間仕切りあり)のカウンターで10名くらい?
キッチン前のカウンターで5人くらいでしょうか
対面カウンターに通され、らぁ麺が出てくるのを待つ
ミシュランの盾がさりげなく飾られています

f:id:owari-nagoya55:20191031181754j:plain思いはあるが、やはり初めてのお店では「おすすめ」から行くべきだろう
スープも麺もこだわっているようです、どんなお姿か楽しみです

f:id:owari-nagoya55:20191031181817j:plain おっさんの「鶏そば」のお出ましです
ほんのりと三つ葉の香りが漂う
低温調理で作られた鮮やかなピンクのチャーシューと鶏チャーシューが乗り、メンマと三つ葉の緑がアクセントになっています、女性的で上品な見た目

醤油ベースのスープということでクリアな琥珀色、そのスープに鶏油が浮かびます
それでは頂きます、以下は個人の感想
スープは鶏の香りとうま味が凝縮された上品な醤油のうま味と相まってとてもおいしい
醤油ベースはともすれば醤油辛い印象があるけれどそれは全く感じません
麺は中太のストーレートでチュルチュルと喉越しがいいけれど、もう少しハードな麺が好みなので、麺が柔らかく口に入った時の主張が弱い
チャーシューとスモークのかかった鶏チャーシューはとても美味しい、気に入りました
醤油と鶏の香りが漂う中にほんのりと三つ葉の香り、和のテイスト満載の上品な鶏そばです
5点評価で3点
醤油大好き派にはたまらない一品

f:id:owari-nagoya55:20191031181829j:plainかみさんオーダー「白湯鶏そば」
スープは鶏の旨味を凝縮したもので煮卵の黄身が混ざるとカルボナーラの様な味わいがあります
やはりこっちを食べてみたかったナ、次回は濃厚鶏白湯味わってみたい
個人的なスープの評価は3.5点、麺は食べていないので感想・評価が書けない
かみさんは大絶賛

総評としては、さすがミシュランに掲載されるだけに、価格以上のクオリティーがあります

「らぁ麺 飛鶏」
春日井市御幸町3-4-6
鶏そば 680円~
鶏白湯そば 800円~
営業時間 / 11:30~14:00 18:00~20:30
定休日 /  月曜夜 、火曜、木曜の夜

『東築地神社』

名古屋市港区東築地町2

名古屋の海の玄関先は明治中頃までは熱田港でした
あゆち潟は海運から見ると厄介な存在、大型船は乗り入れ出来ず
四日市で一度荷物を降ろし、小型船に載せ替え熱田港へ回送していたそうです

そうした欠点を解消すべく名古屋港開港に向け開発が高まり、1898年(明治31)に浚渫が始まり、1907年(明治40)に待望の名古屋港の開港、1910年に一期工事は完了します
その後も開発は続き1910年には築地が誕生、1号地から4号地を築地、堀川の東対岸にあたる5号地は東築地として整備されます
人が集まれば氏神が祀られていきます
築地にある築地神社は、1938年に熱田神宮から運ばれた御神体を祀り、名古屋港の総鎮守社として創建されたもので、築地と名の付く神社は築地神社と築地口神社、東築地神社の三社があるようです
今回は築地の東にある「東築地神社」を参拝します

f:id:owari-nagoya55:20191030045501j:plain明治初めの地図には、鳥居マークどころか築地や東築地自体が海となり記されていません
上は昭和初めのこの地と現在を比較して掲載します
以降の地図では工場の拡張などの影響からか鳥居のマークの位置が変わっています
つい1世紀ほど前は海面下だった地域の歴史が始まります
地図上には既に跡地となった名古屋教育水族館も記されています

f:id:owari-nagoya55:20191030045510j:plain神社の周辺は、すぐ南に国道23号線の高架、その先は堀川に架かる港新橋、右手は市営東築地荘
世代も代わり、かつて海だった事が少しづつ意識から薄れていくのかもしれません

f:id:owari-nagoya55:20191030045519j:plain開発で海を埋め立て作られた境内に、小さいながら杜が出来ています
東築地神社社務所(右)と境内の全景

f:id:owari-nagoya55:20191030045531j:plainコンパクトな境内は鳥居の左に手水舎、正面の参道の先に本殿、両脇にそれぞれ参道が出来ています

f:id:owari-nagoya55:20191030045541j:plain手水舎、清水は注がれていません
社号標には1933年(昭和8)と記されています、この他の狛犬台座、金比羅社社標ともに同一年代
ここに落ち着いたのがこの年なのかも知れません

f:id:owari-nagoya55:20191030045552j:plain神域正面の本殿と両脇の小社の他、右に稲荷社、左に金比羅社の5社が祀られています

f:id:owari-nagoya55:20191030045601j:plain東築地神社の狛犬

f:id:owari-nagoya55:20191030045612j:plain 本殿前の扉に金色の五三の桐紋が施されています

f:id:owari-nagoya55:20191030045623j:plain両脇の社の詳細は分かりませんが、華やかな飾り金具が施されています
参拝させてもらいます
この神社の創建、祭神について語る案内板は見当たりません
築地神社を訪れた際にこちらの由緒など尋ねてみようと思います

f:id:owari-nagoya55:20191030045635j:plain右手の参道は寶徳稲荷大明神

f:id:owari-nagoya55:20191030045645j:plain 寶徳稲荷大明神の狛狐と社全景

f:id:owari-nagoya55:20191030045655j:plain 左手の参道は金比羅大権現に続きます
埋め立て後に植えられた木々、しっかりと根を下ろしています

f:id:owari-nagoya55:20191030045711j:plain金比羅社全景
左側と後方は車道に接し、歩道から境内社の全景が良く見渡せます

f:id:owari-nagoya55:20191030045723j:plain金比羅社から見た本殿域
境内は氏子の方々により綺麗に手入れされ、通りすがりに参拝に訪れた者にしてもありがたいものです
土地の方々にどれだけ大切にされているかが見て取れます

新しい町に神社を祀ろうとした思いは代を変え伝承されていく
神社は歴史や格式以上に人との結びつきが一番重要だと感じています

東築地神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
住所 /    名古屋市港区東築地町
アクセス /   ​名鉄常滑線「道徳駅下車」西へ30分
       市営地下鉄名港線築地口」下車東へ30分

信濃國一之宮 諏訪大社 下社春宮 Vol 3

長野県諏訪郡下諏訪町 諏訪大社下社春宮
諏訪大社二日目は参道の大鳥居の手前に建つ石燈籠から始まります
燈籠前の県道184号線は、春宮大門の信号待ちで通勤の車が列をなしています

車窓から見れば、朝っぱらから燈籠を眺める二人連れは異様に映るかもしれません
この石燈籠から北に大門通りを経て春宮、そこから旧中山道を経て秋宮、秋宮から大社通りの西にこの石灯篭
それを線で結ぶと三角形になり、その一辺の長さがほぼ八丁(872㍍)となるため三角八丁と呼ぶそうです
秋宮と春宮の分岐点ともいえるようです

f:id:owari-nagoya55:20191028050009j:plain車窓からの視線を感じながら石燈籠をじっくり見させてもらいます
この燈籠、よく見れば中台部分の四隅に茶系の握り拳大の飾りが付いている事に気が付きます
注視してみると、それは獅子頭の様にも見えます、あまり見かけた事のない飾りです
この部分だけ石質が違う様です
解説によれば「1829年(文政12)に山田金衛門の名作‣・・・・市街化に伴い地元有志により現在地に移動」との事
傘の反りが描く曲線は美しいものがあります

f:id:owari-nagoya55:20191028050021j:plain大門通りの交差点に立つ石鳥居、春宮はここから8丁先ということです

f:id:owari-nagoya55:20191028050031j:plain大門通り沿いの矢木町会館で見かけた「矢木神社」、
4本の御柱に囲まれた小さな社です
由緒碑より
「祭神は八杵命と申す、諏訪明神のお子様で、特に信濃國の開拓に功績のあった十三柱のお一人である
北方に神陵がと伝えられる神跡があり、近年まで矢木九町と云われた大郷はご神威のほどを忍ばせるものがある」
祭神 / 八杵命・創建 / 不明
住所 / 長野県諏訪郡下諏訪町矢木町

f:id:owari-nagoya55:20191028050042j:plain意外に交通量の多い大門通り(184号線)、その先の道路中央に注連縄の飾られた建物と鳥居が見えてきます

f:id:owari-nagoya55:20191028050051j:plain道路中央で車線を分けるようにして立つ「下馬橋」
諏訪湖に向けて緩やかに下る大門通りの鳥居の前に建ち、綺麗な曲線を描く木造の屋根付きの反橋
現在は暗渠になり直接見ることはできませんが、その下の御手洗川の上に架けられています

その昔、殿様でも参拝時にはここで馬を降りなければならない場所であったためこの名が付いたと云われ
太鼓橋とも呼ばれるようです

1578年(天正6)の造営帳にもその記録が残り、元文年間(1736~1740)に改修されているようです
諏訪大社の中では最も古い建築とされ、宮大工の三井伝左衛門の手によるもの
住所 / 長野県諏訪郡下諏訪町大門

f:id:owari-nagoya55:20191028050101j:plain下馬橋から鳥居方向に向かう県道の左側に手水舎
手水鉢には御神紋の四本の根の諏訪梶
正面には社号標と石鳥居、漸く境内が見えてきます

f:id:owari-nagoya55:20191028050112j:plain この石鳥居は「春宮の大鳥居」と呼ばれ、1659年(万治2)の建立と云われ
石造物では諏訪大社最古とされ、建造にあたっては神社西側にある「万治の石仏」の伝承も生まれています

鳥居前はあくまで一般道、なので結構なスピードで車が行き交います、後方と左右は要注意です

f:id:owari-nagoya55:20191028050122j:plain鳥居をくぐり境内へ
大きさ、容姿ともに立派で凛々しい警護担当、見向きもしていない

f:id:owari-nagoya55:20191028050133j:plain境内全景
正面の巨大な注連縄がかけられた建物は神楽殿
巨大な御柱は意識しなくても視界に入ります

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f:id:owari-nagoya55:20191028050155j:plain「神楽殿
江戸時代前期の1681年~1684年に建てられた切り妻造りの建物
派手な飾り金具のない、木の温もりを感じるものです

f:id:owari-nagoya55:20191028050206j:plain楽殿横から幣拝殿・片拝殿の眺め
国の重要文化財に指定され、造営は下馬橋と同時期の1578年(天正6)とされます

f:id:owari-nagoya55:20191028050218j:plain楽殿左の「筒粥殿」
毎年1月14日の夜から15日にかけ、ここに神職がこもり粥を炊き、葦筒に入れ作物の豊凶と世の中を占う
下社特殊神事の一つ筒粥神事の神粥炊き上げが行われる場
内部の土間は江戸時代初期のものといわれます

f:id:owari-nagoya55:20191028050229j:plain子安社
祭神 / 高志沼河姫神
建御名方神の母神の高志沼河姫神を祀り、底の抜けた柄杓はお産が楽にと安産祈願に奉納されます
昔から続くみしゃぐじ信仰、お産の守り神として今も親しまれています

f:id:owari-nagoya55:20191028050242j:plain幣拝殿と片拝殿の全景
二層檜皮葺の唐破風が施された切妻楼門造りの幣拝殿と左右の片拝殿の姿はシックでバランスのいい美しさがあります

f:id:owari-nagoya55:20191028050252j:plain この幣拝殿は間近で見ると棟梁の腕の見せ所と云わんばかりに細部まで見事な彫が施されています
地元の宮大工柴宮長左衛門によるもので秋宮幣拝殿より一年早い1780年(安永9)に落成したそうです

f:id:owari-nagoya55:20191028050319j:plain幣拝殿は春宮を柴宮長左衛門、秋宮が立川和四郎により建てられますが、同じ構造の社殿を作る二人の
匠は互いに腕を競いあったものと思います

f:id:owari-nagoya55:20191028050329j:plain春宮参拝です
主祭神 / 八坂刀売命

f:id:owari-nagoya55:20191028050339j:plainこの先にある二棟の宝殿が見られる場所は見つけられませんでしたが
神明造りと云われ寅年と申年の年に左右の宝殿が遷座が行われるようです
御神紋の諏訪梶の根の数は下社では5本となります

f:id:owari-nagoya55:20191028050349j:plain御柱
次回の曳行は2022年の寅年です

f:id:owari-nagoya55:20191028050359j:plain結びの杉
一つの杉の株が途中から二手に分かれていることから夫婦に例えたもの

f:id:owari-nagoya55:20191028050412j:plain楽殿右の若宮社(左)と上諏訪
若宮社
祭神 / 建御名方彦神別命・伊豆早雄命・妻科比賣命・池生神・須波若彦神・片倉辺命・蓼科神・八杵命・内県神・外県神・大県神・意岐萩命・妻岐萩命
上諏訪
祭神 / 建御名方神 

f:id:owari-nagoya55:20191028050425j:plain 上諏訪社後方から幣拝殿の眺め
宝殿の千木、鰹木の一部だけ見ることができました

f:id:owari-nagoya55:20191028050439j:plain現在春宮の境内は社務所、トイレ等改修中
境内左てには工事事務所が立てられ、ビニールシートであちらこちら覆われ作業が行われています
下段の写真は工事事務所の陰になっていて帰りに気付いた建物ですが、詳細は不明
早朝に境内に入り時間が経つにつれ参拝客は多くなってきました

f:id:owari-nagoya55:20191028050451j:plain かみさんは御朱印を手に鳥居の前でスタンバイしています
春宮を後にして次に進むことにします
信濃國一之宮 諏訪大社 下社春宮
住所 /   長野県諏訪郡下諏訪町193

次の目的地は鳥居を出て右の浮島社を目指します

f:id:owari-nagoya55:20191028050502j:plain鳥居からものの2~3分も歩くと、春宮の西側を流れる砥川に出ます
砥川に架かる赤い橋を渡った中洲に御柱で囲われた小さな社「浮島社」が見えると思います

f:id:owari-nagoya55:20191028050516j:plain浮島社のある中洲へは砥川に架かる赤い橋を渡って行きます
訪れた10月初旬は川原の秋桜が咲き誇る時期でした

f:id:owari-nagoya55:20191028050530j:plain・・・・・? 崩壊しそうとは、恐るべし犬の小水

f:id:owari-nagoya55:20191028050543j:plain 中洲に渡った左側の川原に秋葉大権現の石灯籠

f:id:owari-nagoya55:20191028050555j:plain 浮島社参道
この中洲は中之島と呼ぶそうで、どんな大水が来ても水が付いた事はないそうな
正面の赤い橋を渡ると「万治の石仏」に至ります

f:id:owari-nagoya55:20191028050608j:plain浮島社
祭神 /  祓戸大神
住所 /  ​長野県諏訪郡下諏訪町大門

f:id:owari-nagoya55:20191028050623j:plain橋を渡り右の小道を進んだ先の万治の石仏案内板とお参りの作法書き

f:id:owari-nagoya55:20191028050638j:plain案内板から少し登ると視界は開け、小さな田んぼの先に大きな石が見えてきます

「春宮の大鳥居」の伝承に繋がるもので
石鳥居を作るためにこの石にノミを打ち込んだところ、そこから血が流れ出た事から職人達は祟りをおそれた
その晩、夢枕で「上原山に良い石材がある」という夢を見た職人達が探しに行って見つけた石からこの石仏を阿弥陀如来として祀ったのが始まり
石仏の背面にはその時のノミの跡が残ると云われていますが、それを見つける事は出来ませんでした

f:id:owari-nagoya55:20191028050649j:plain一見モアイ像をイメージする素朴で温かみのある表情はとても印象に残る顔つきです
「万治」とは、この石仏に「南無阿弥陀仏 万治3年(1660)11月1日 願主 明誉浄光 心誉慶春」と刻まれている事から付けられたとされ、地名には石仏として残ります

諏訪を訪れた岡本太郎はこの像を見て絶賛した事から知られるようになり、それ以前は「阿弥陀様」として崇められてきたそうです、彼が絶賛したのも頷けるような気がします
この像の強烈な印象は小説家の新田次郎にも影響を与え小説にもなったようです

f:id:owari-nagoya55:20191028050659j:plain石仏を一周
個人的に斜めから見た顔がとても印象に残ります
見ようによつてはスフィンクスのようでもあり、ネス湖の恐竜の様に見えないでもない
不思議な巨岩です

f:id:owari-nagoya55:20191028050715j:plain万治の石仏に通じる砥川沿いに建つ岡本太郎揮毫の「万治の石仏」石碑
碑の裏には「峡の田に座して 石佛のどかなり 正人」と彫られています
まったくそのとおり
ここにいると時の流れが少しゆっくりと感じられます

万治の石仏
住所 / ​長野県諏訪郡下諏訪町東山田字石仏

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f:id:owari-nagoya55:20191028050747j:plain信濃國一之宮 諏訪大社下社春宮
四社巡りも二日目にしてようやく三社参拝する事ができました
さあ次は秋宮をめざして旧中山道を東に向かいます

てんとう虫は恋の時期?

我が家のコキア
 今年は台風被害、異常な降雨もあったりと色付きが妙にムラムラで見苦しい
赤くなる前に枯れてきています

f:id:owari-nagoya55:20191027004842j:plain そんなコキアにてんとう虫が盛んに・・・・・
 春と秋の二回が恋の時期らしい
家庭菜園をしていると、彼らは厄介者を食べてくれる益虫
 殺生はさけてやりたい

f:id:owari-nagoya55:20191027004856j:plain コキアには夫婦以外にも彼らの卵や幼虫も見られます
 息子達が子供の頃、こうした幼虫を採ってきては成虫になるまで観察をしていたものです

下の黒い体でオレンジのストライプの入ったやつがてんとう虫の幼虫
 芋虫の様でブッキーな姿をしていますが、こんな姿で動きは以外に早く夫婦の様にじっとしていない

今年は赤くなりきるまえにコキアは抜取!と思っていたけれど
 こんなところでも次の世代を育んでいるのを見ると抜取は先送りの様です

たしか昨年はカマキリの卵で抜取が出来なかったような
それにしてもてんとう虫コキアに産卵したっけ?
ムラムラの紅葉を終え、みすぼらしくなったコキア

今しばらくこのままにするしかないようです

諏訪大社四社巡り 「番外車中泊」

諏訪大社四社巡りも本宮と前宮でタイムアップ、予定外の車中泊決定
片倉館で温泉に浸かり車に戻る頃、そらは赤く染まっていました

f:id:owari-nagoya55:20191025142745j:plain晩御飯食べに行こう🎵
周辺のお店は意外に日曜日定休のお店多いようなので、諏訪駅方向を目指すことにしました

f:id:owari-nagoya55:20191025142816j:plain チェーン店も複数ありますが、どうせなら地元のお店、しかも地元の酒が飲めるところ
ということでJR上諏訪駅東口前のいずみ屋で晩御飯(晩酌?)

f:id:owari-nagoya55:20191025142833j:plainビールで喉を潤し、さあ何食べよう?
定食も豊富にありますが、それほどご飯ものも食べられない
単品で地元の摘み中心でオーダー
川エビ、炙り酒粕・ねぎ味噌、揚出し、漬物、メインは馬刺し・・・・・

地元のお酒5種の飲み比べセット(辛口)を頼んでみた
我が家は辛口派、これを選んで見た

いつも感じるけれど、この日本酒度は我が家の味覚にはなじまない
期待して当たった試しがなく
甘辛さの指標として分かりやすいけれど、酒の甘辛さは日本酒度以外に酸度や糖度などの要素も感じ方に影響されます
セットの銘柄で我が家が好むすっきりした辛口で喉越しのいい銘柄は日本酒度+5の銘柄
しかも+5以上の銘柄には「これ甘口でしょう?」が1銘柄
日本酒度、あくまでも指標ですね・・・・・味覚音痴

それにしても銘柄を選ぶには有難いセットです
さあ、これで酒は決まった、後は日本酒度+5をひたすら味わうべし

f:id:owari-nagoya55:20191025142850j:plain メインの馬刺し
普段は好んで食べないけれど、ここの馬刺しを食べて印象が一変しました
まるで鮪でも食べているようです、当然お替りです、いずみ屋の馬刺しはおいしい
美味しいお酒と馬刺しを堪能させてもらいました

馬刺し 1,100円、川海老の唐揚げ550円、炙り酒粕・ねぎ味噌350円、揚出し豆腐 350円
飲み比べセット 630円・・・・・

いずみ屋
住所 / ​長野県諏訪市諏訪1-2-4
℡ / 0266-52-3267
定休日 / 不定
営業時間 / 月~日、祝日、祝前日: 11:00~22:00

お腹も満たされ車に戻ります、途中のスーパーで地元のお菓子を買い求め、湖畔に戻ると対岸の街明かりのみです

f:id:owari-nagoya55:20191025142802j:plain周囲は真っ暗、後はシュラフに潜り込んで、テレビでも見ながらお菓子と寝酒でも
・・・・・またも速攻爆睡

f:id:owari-nagoya55:20191025142909j:plain 翌朝、湖岸通りの湖畔公園パーキング
数台いた車中泊組は既に次の目的地に、残っていたのは我が家だけ
パーキングには綺麗なトイレもあり、足湯も近いので車中泊には快適なロケーション
食事は近隣のホテルか目の前にコンビニがありました

若い頃はこうした場所でお世話になりました、最近はマナー(オートキャンプ場と錯覚?)の低下から車中泊禁止が増えているそうです、野山に入ればクマも出る?
10月初旬、外は長袖シャツ一枚では肌寒さを感じます
暖かいコーヒーでシャキッとさせて湖畔を散策

湖畔公園の畔に立つ八重垣姫のブロンズ像
上杉謙信の娘八重垣姫と武田信玄の息子勝頼は、足利将軍の仲介で婚約していました
足利将軍が暗殺され、上杉家・武田家に疑いがかけられ、犯人を3年以内に見つけ出せなかった時は両家の長男は切腹を命じられていた
時は過ぎ犯人は見つからない、勝頼は切腹を命じられ切腹、悲しみに暮れる八重垣姫
実は切腹したのは偽者、本物の勝頼は謙信が返さない信玄秘蔵の諏訪法性の兜を取り戻すため、花作りに身をやつしその機を狙っていました
やがて八重垣姫もそのことを知ります、しかし謙信もその事を知り、勝頼に刺客を差し向けます
八重垣姫はそのことを勝頼に知らせようとします、女の足では刺客を追い超し知らせることはできません
諏訪湖は凍り、船を出すこともできません
そこで奥御殿に祀っていた諏訪明神の力が宿る諏訪法性の兜にお祈りすると、狐が現れ湖面に狐火が燃え立ちます、八重垣姫は兜を手に狐火に導かれ勝頼のもとへと急ぐ」
浄瑠璃「本朝二十四孝狐火の段」のあらすじです
諏訪法性の兜は実在するそうで、諏訪湖博物館に兜のレプリカが展示されているようです

湖畔公園
長野県諏訪市湖岸通り5-1

f:id:owari-nagoya55:20191025142926j:plain諏訪湖に浮かぶ初島、その島に鎮座する初島神社
初島は1954年諏訪湖祭湖上花火大会の打ち上げ場として、諏訪湖東岸の諏訪市湖畔公園の沖に作られた人造島で、初島神社はその際に建てられた神社
周囲に柳の樹が植えられ、湖岸からも鳥居がよく見えます、そしてここにも御柱は立っています
御柱祭では湖上をボートに曳かれ御柱が渡るシーンが見られるそうです
祭神は諏訪大明神で子宝と安産の神として親しまれているそうです

初島神社
長野県諏訪市上諏訪中浜670番地202​​

さあ諏訪大社残り2社コンプリートを目指そう
2019/10/07