訪ねた先の天王社は今はなく

あの日から9年
今年は別の騒ぎで忘れられたかのようにも思えるけれど、けっして忘れてはならない
明日の我が身と捉え、あの日を振り返り、今を見つめて将来に備える。
毎年この日はそういう日だと思っています。
緊急車両のコンディションと装備の点検を済ませ、小幡方面の天王社を訪ね散歩に出かけてきました。

f:id:owari-nagoya55:20200320154037j:plain 以前はこの角にあった天王社、久し振りに訪れて見れば随分と周辺は様変わり。
あったはずの赤い社は見当たりません、探し物は何処に行ってしまったのか?
あまりに時間が経ちすぎてしまったようです。

f:id:owari-nagoya55:20200320154101j:plain 探し物は見つからず、矢田川方向へ。
春めいた川面にシラハエの姿を求め歩いてみるも、昨日の雨の影響でしょうか、水はやや濁りが入り彼らの姿は見られなかった。
姿が見れれば次回は竿を持参、遊びに来てもいいなと思っていたが・・・・・残念だね

f:id:owari-nagoya55:20200320154127j:plain今日は悉く探し物は見つからない、潔く帰ると決めバス停に向かう、その道すがらで見かけた土筆。
毎年春を探しに土筆を探して散歩するけれど、偶然見かけた土筆の姿に歩いただけのご褒美を得ることができました。
無くなるものもあるけれど、こうして顔を出す土筆を見て今を感じる。
記憶から、過去の出来事や光景を風化させてはいけないものかも。
「過去を振り返るな」、そんなことはない、そこには将来学ぶ事は必ずある。
それぞれの3.11
もう一度振り返ってみようかな、あの日学んだことはなんだろうか?

守山区小幡中 『天王社』

「山神社」を後にして県道15号線(瀬戸街道)を東へ、「小幡南前」の信号交差点を左に曲がります。

f:id:owari-nagoya55:20200309192515j:plainそこから次の信号交差点「城南町」を右に入ります。
城南町交差点から南方向の瀬戸街道の眺め。
この先は瀬戸電の踏切もあり、車で矢田川を越えようとすると運が悪いと取り留めのない小渋滞が起こる場所です。

f:id:owari-nagoya55:20200309192540j:plainこの交差点を東に進み細い路地に入ります。

f:id:owari-nagoya55:20200309192607j:plain東方向はこんな感じです、右に見える森は白山神社の杜。
守山区小幡中の「天王社」はこの辺り、玉垣は、赤い社はどこぞにあるかいな・・・・・

f:id:owari-nagoya55:20200309192631j:plain交差点に来て、一方通行の標識の先に蔵のような建物、近づいて初めて社だとわかります。

f:id:owari-nagoya55:20200309192652j:plain交差点から社後方の眺め。
随分と高い台座の上に、流造の屋根が緑色、白壁に赤く塗られた柱がアクセントとして効いている社が祀られています、これが小幡中の「天王社」。
周辺の赤い天王社とは少し系統が違う趣です。

フェンスに黄色い「初午祭」の案内が掲げられていて、そこには生玉稲荷神社とあります。
白山神社に寄り添うように祀られているので、白山神社の境外社か、或いは後方の建物が保育園で、見ようによれば園の敷地の一画とも思え、園が祀った様にも見えます。

「初午祭」の案内は単にここに掲示しただけかもしれないけれど、どこが管理されているのか分からない。生玉稲荷、白山神社を調べ、何か繋がりが分れば後日加筆します。

f:id:owari-nagoya55:20200309192716j:plain角地にフェンスで囲われた「天王社」。
傍から社側面をよく見ればどうやらコンクリートでできているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200309192742j:plain社の前から境内全景。
左の社と中央と右側に倉庫らしき建物が並んでいます。

f:id:owari-nagoya55:20200309192805j:plain向拝の幅に対し屋根を支える柱が太く、印象に残ります、それだけ重いぞということでしょうか。

f:id:owari-nagoya55:20200309192828j:plain社クローズアップ。
境内入り口の扉は閉ざされ、賽銭箱もありません。
社の扉も閉ざされて中を窺い知ることはできません。

関係者以外の参拝を拒んでいるような雰囲気が漂います。
手が届くような距離にあるけれど、距離感はとても遠いものに思えます。

「天王社」
創建 /   不明
祭神 /   不明
住所 /   名古屋市守山区小幡中1-13  ​山神社から東に徒歩15分

『八王子神社春日神社』

名古屋市北区清水
久国寺の山門から西に進み、国道41号線の東側を並行して南北に続く上街道を北上、清水2丁目の交差点まで歩きます、​所要時間は5分程​。

f:id:owari-nagoya55:20200307222605j:plain 交差点の角に緑青らしき強烈な緑が視界に入ってきます。
目的地の『八王子神社春日神社』は落ち着いた街並みにあって、鮮やかな緑で存在を主張する神社です。

鳥居右の社号標は「八王子神社 春日神社」とあります、なんとも長い社名なこと。

f:id:owari-nagoya55:20200307222630j:plain 神社の前に市バス「清水二丁目」バス停がある、この路線は利用した事がないけれど、八王子神社春日神社を訪れるにはとても便利。車で訪れるとポケットにしまいたいと感じる場所です。

f:id:owari-nagoya55:20200307222654j:plain 鳥居から境内の眺め。
真っすぐに伸びた参道の正面が拝殿、左が社務所、更に左は西杉公園となっています。

f:id:owari-nagoya55:20200307222717j:plain 境内に入り左に手水鉢があります、龍はいませんが満たされた清水は澄んでいました。

f:id:owari-nagoya55:20200307222741j:plain 拝殿は二対の狛犬が守護しています、最初に出会うのがこの面々。
肉付きも良く、逞しい容姿ですが阿形の前足は「何があった?」と聞きたくなるところ。

f:id:owari-nagoya55:20200307222803j:plain 社務所
拝殿の屋根の色を意識したのかな、街中にあって目立つ色合いです。

f:id:owari-nagoya55:20200307222824j:plain 拝殿
5本の鰹木と千木が縦に切り落とされた外研ぎのもの、外研ぎは男神で内研ぎは女神とい聞くけれど、多様性の時代にあってどうなんですかねぇ。
拝殿は近代工法のもので、綺麗で新しく、
時の積み重ねを感じるものではありません。

f:id:owari-nagoya55:20200307222850j:plain 拝殿前の狛犬
こちらの阿形、犬を飼ったことのある方は見覚えのある姿をしていて、思わず撫でてやりたくなる表情じゃないでしょうか。

f:id:owari-nagoya55:20200307222917j:plain 拝殿に掲げられた扁額。
八王子神社春日神社」長い社名です、元は別々の神社。

名古屋台地の北外れ、名古屋城築城前のこの辺りは那古野庄今市場と呼ばれ、現在丸の内一丁目周辺になりますが、ここには八王子神社、若宮八幡神社、天王社(那古野神社)が鎮座していたとされます。

1610年(慶長15)の名古屋城築城に伴い、城を守護する目的から場外に遷座する事になり、その際の遷座先は神籤で決めたと云われます。
何が当たりで外れなのかは知らないけれど、その結果、八王子神社名古屋城東北の護りとして、南の城下を守護する目的で若宮八幡神社遷座することになった。
当たり籤なのかは分からないけれど、天王社(那古野神社)はそのまま城に留まる事になったようです。

籤で決まった社地に遷座した八王子神社、後の1971年(昭和46)に春日神社が八王子神社境内に移築、両社を合祀した際に社名を八王子神社春日神社に改めたそうです。

f:id:owari-nagoya55:20200307222939j:plain 三つ銀杏が神紋の様です。
この八王子神社は古来から小児の守り神として人々の崇敬を受けてきたようです。

f:id:owari-nagoya55:20200307223001j:plain 拝殿内。
白壁の明るい拝殿内に木の色は温かみを感じるものです。

八王子社祭神 / 天忍穂耳尊天穂日命天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命、多紀理姫命、多紀津姫命、市杵島姫命
天照大神素戔嗚尊との誓約によって生まれた八柱の神々で天照大神は五男を素戔嗚尊からは三女神(宗像三女神)が生まれたとされる。
春日神社御祭神 / 武甕槌命経津主命天児屋根命比売神

八王子社創建 /  文武天皇時代(697年~707年)
小児の守り神として参詣者が多い。

f:id:owari-nagoya55:20200307223052j:plain 宮城遥拝所碑。
境内の右に立つ石標で、1950年(昭和15)にここから皇居(宮城)を遥拝する目的で建てられたもの。
わざわざ新幹線に乗らなくてもここでOK、なんともありがたいもの。

f:id:owari-nagoya55:20200307223119j:plain 拝殿右に脇参道があり、左に明治40年建之の「八王子神社」社号標、正面に社があり、その先に鳥居が見えます。

f:id:owari-nagoya55:20200307223146j:plain 参道を進むと右側に「あぶないからのるな」と書かれた石灯篭があります。
解説には「1834年(天保13)に尾州名古屋の豪商「杉屋佐吉」が寄進した灯篭」だそうな。

ここに書かれている杉屋佐吉(1792年~1875年)は地元名古屋を中心に多くの寺社に灯篭や狛犬など寄進された方。
清洲醸造株式会社の礎を築き奉納寄進物には「キヨス柴山藤蔵・柴山屋藤藏」刻まれ、注意して見ていくとあちらこちらでお目にかかります。

2世紀の時を経た灯篭とは思えない程しっかりしていますが、注意書きに書かれるほど灯篭に乗るのか?
「あぶないからのるな」子供の頃に云われた記憶もあるなぁ。
この神社は伝えたいところに手作りの解説が掲示され、初めて訪れた者にはとてもありがたいものです。

f:id:owari-nagoya55:20200307223213j:plain 正面の社は大きな表札が掲げられた「秋葉神社」でした。

f:id:owari-nagoya55:20200307223236j:plain 境内北東角に、丸みのある石を高く積み上げ台座を作り、その上に神明造りの社が祀られています。
玉垣の右は上街道です。

f:id:owari-nagoya55:20200307223259j:plain 秋葉社の左に神明造の本殿側面を見通すことができます。

f:id:owari-nagoya55:20200307223324j:plain 本殿裏側の車道から見た社殿全景。
拝殿と幣殿、本殿が綺麗に繋がっているのが見て取れます。
ここから右に行くともう一つ脇参道があります。

f:id:owari-nagoya55:20200307223404j:plain 脇参道から境内に入った左側に年期の入った手水鉢。
解説があったようですが剥がれてしまい内容が分かりません。
なにか彫られていますが読めません、これも萬藏さんの寄進なのでしょうか。

f:id:owari-nagoya55:20200308004311j:plain 本殿左脇に鳥居と社が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200308004345j:plain 小さな鳥居と、狛犬が守護する先の社は「金刀比羅神社

f:id:owari-nagoya55:20200308004409j:plain 目を見開いてこちらを見据える狛犬
心なしか驚いているようにも見えてくる。

f:id:owari-nagoya55:20200308004124j:plainさて、こちらにも参拝しておきます。 これで参拝はコンプリートのはずです。
小さめに拍手、後ろを行き交う人の視線が妙に気になる。

f:id:owari-nagoya55:20200308004153j:plain 社務所前からの神明造の拝殿を眺める、直線美でも言えばいいのか。

f:id:owari-nagoya55:20200308004215j:plain 拝殿左の石碑
「社殿竣工記念  八王子神社春日神社 名古屋市北区清水二丁目十五番二十号
八王子神社御祭神 天忍穂耳尊 天穂日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野櫲樟日命 多紀理姫命 多紀津姫命 市杵島姫命 五男神天照大神の御子にまします、三女神は素戔嗚尊の御子にまします
  
春日神社御祭神 武甕槌命 経津主命 天児屋根命 比売神 
由緒 八王子神社はもと那古野庄市場(現丸の内一丁目)に鎮座し若宮八幡神社と共に同じ境内に有り第四十二代文武天皇の御代の希斎と言う
慶長十五年(1610)名古屋城築城の際に神籤により名古屋東北の護りとして此の地に遷座致しましました  明治五年村社に列し同四十年指定社となる
昭和二十年五月戦災により焼失仮神殿を経て同三十二年社殿復興依頼氏神様として崇拝を続けて参りましたが腐朽甚だしく、平成十五年十月改築造営に着手同十七年四月竣工祭を行う
春日神社は昭和四十六年社殿を八王子神社境内に移築し両社を合祀して八王子神社春日神社と社名を改称した此の度の改築造営に際して名実共に一体化して本殿内に合祀した」

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 「明治天皇清水御小休所」の石標
境内西南というか、「清水二丁目」バス停の後ろとでもいえばいいのか、目立たない場所に石標が建っています。1880年(明治13)、明治天皇京都巡幸の際、この地で休憩した事を伝えるもの。

八王子神社春日神社は緑の屋根が印象に残ると共に、伊藤萬藏さんとの再会、宮城遥拝所や明治天皇清水御小休所など見どころのある神社、なので訪れるか、見送るか迷ったら籤で決めるのも面白いかも。

八王子神社春日神社』
創建 /  文武天皇時代(697年~707年)
八王子社祭神 / 天忍穂耳尊天穂日命天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命、多紀理姫命、多紀津姫命、市杵島姫命
春日神社御祭神 / 武甕槌命経津主命天児屋根命比売神
 
住所 /    ​名古屋市北区清水2丁目15-20
公共交通機関アクセス /   名鉄瀬戸線「清水」下車、北に5分程

『上野天満宮』 名古屋市千種区

名古屋市千種区赤坂町『上野天満宮
市営基幹バス2系統を利用し「谷口」下車、谷口交差点を右に曲がり南東方向へ5分程の場所に鎮座する。
合格祈願にご利益があり、受験生には知られた神社。

f:id:owari-nagoya55:20200306163805j:plain 交差点を南北に続く道は県道30号線から一本東に入るとそこは天満緑道。
緑道には写真のように水道施設のパーツが飾られ、歩きながら水道事業の歴史を知ることができます。
緑道を南に進みます。

f:id:owari-nagoya55:20200306163837j:plain 緑道に入ってすぐに、左の道路の先に「天満公園」が見えてきます。
この公園の南側が上野天満宮になります。

f:id:owari-nagoya55:20200306163904j:plain 緑道から車道に出ると、左側に見えている建物は上野天満宮社務所
この道を南に交差点まで歩きます。

f:id:owari-nagoya55:20200306163931j:plain 交差点を左に曲がると社頭に至ります。
角に建つ立派な建物は近年造られた「清明殿」。

f:id:owari-nagoya55:20200306164000j:plain 清明殿の斜景。

f:id:owari-nagoya55:20200306164034j:plain 「上野天満宮」社頭前景。
名古屋三大天神(山田天満宮、桜天神社、上野天満宮)の一つに数えられ、三社を巡る事を「名古屋三大天神参り」という。
通りから眺める境内は左右に社号標、ニノ鳥居まで構え、蕃塀の先に赤い拝殿も見通せます。
初詣や受験シーズンには賑わう境内ですがシーズンオフは静寂に包まれています。

f:id:owari-nagoya55:20200306164105j:plain 社頭から右方向の境内。
正面が参拝駐車場入口で右側の玉垣沿いと駐車場奥に梅が植えられ、この時期に訪れると見ごろを迎えた梅の花と甘い香りが出迎えてくれます。

f:id:owari-nagoya55:20200306164149j:plain 社頭左の略記。
『御祭神 菅原道真公、合殿 木花咲耶姫命伊弉冉命
由緒 建立年月日不明なれども寛政16年以前以前に鎮座、昭和37年浅間社(現別宮)を合祀
例祭 10月24日例祭前日祭・境内末社祭、25日例大祭、別宮神事祭
祈年祭 2月25日、夏祭 7月25日、夏祭 7月25日、新嘗祭 11月25日、月次祭 毎月25日』

‣・・・・読み辛い

f:id:owari-nagoya55:20200306164229j:plain一ノ鳥居から参道の眺め。
左の社号標は「四級社 上野天満宮」とある。
四級ですか?、参拝する者に社格は意味があるのか、いつも思う。
正面の紅梅が彩りを添え、いかにも天満宮を象徴している。

f:id:owari-nagoya55:20200306164300j:plain 一ノ鳥居をくぐった左の手水舎。
手水鉢にはトレードマークの梅の紋が彫られています。
左に見える小さな龍口のある鉢は最近できた水占いの水盤。

f:id:owari-nagoya55:20200306164341j:plainハイシーズンには待ちが出る手水も今は閑散としています。
龍口から注がれる清水も幾分勢いがないか?

f:id:owari-nagoya55:20200306164419j:plain水占いの水盤
2017年に清明殿が造営された際に新たに登場したもので、五芒星の彫られた水盤に水占いくじを浮かべ、浮き出た文字で運勢を占うもの。金色に輝く眼光鋭い龍がそれを見届けています。
五芒星と云えば陰陽学者の安倍晴明(920~1005)へと繋がっていき、菅原道真を祀る上野天満宮とは縁がないように思えます。

この上野天満宮花山天皇に仕え、都を追われた安倍晴明の一族が、ここから西の千種区清明山に移り住んだとされます。
京を追われた自らの境遇と道真を照らし、道真を慕いその神霊を手厚く奉るために清明の一族により建てられたのが始まりです。

f:id:owari-nagoya55:20200306164504j:plain 天満宮と云えば撫で牛です。
その理由は諸説あり、道真の遺言で「自分の遺骸は人に曳かせずに牛車に載せ、その牛の行くところに葬るように」とあり、その牛は安楽寺四堂の傍らで動かなくなり、そこを墓所として埋葬しました。
現在の太宰府天満宮です。
もう一つの説では道真没後、神格化され天満自在天神と呼称した事から名前に由来し、大自在天が八本の腕と三つの眼を持つ白い牛に乗っていたと云われ、そのため天神様に牛を設置する説など、牛は道真につきものなのです。

f:id:owari-nagoya55:20200306164536j:plain 撫で牛を過ぎると、一対の狛犬が守護する拝殿も間近です。

f:id:owari-nagoya55:20200306164608j:plain 滑らかな曲線を描く向拝の唐破風は優雅で重厚な印象を受けます。
拝殿に掲げられた扁額は過去の名古屋市長(杉戸清)による揮毫。

創建は不明ですが、平安時代中期とされています。
祭神は菅原道真、合殿 木花咲耶姫命伊弉冉命

道真は平安中期の実在の人物で、政治家でもあり学者でもあった彼は、勤勉家として知られ、梅を愛でたと云われます。天満宮が学問の神として崇敬され、境内で見かける梅の紋はそうした事からきています。

当初の天満宮矢田川の氾濫により被害を受け、江戸時代に現在地に遷座したとされます。
現在の伽藍からその歴史を感じる建造物は見受けられません。

空襲被害について調べましたが、記述や写真を見つける事は出来ませんでした。
由緒に「昭和37年浅間社(現別宮)を合祀」とあるので、その時期に再建されたものでないかと思います。

f:id:owari-nagoya55:20200306164641j:plain 境内東から社殿全景。
右手に小さな梅林があり、赤い社殿に彩りを添えています。
飾り金具にも当然ながら梅の紋が施されています。

f:id:owari-nagoya55:20200306164712j:plain 本殿後方の天満公園からの社殿の眺め。
本殿の全容を窺うことは出来ませんが、拝殿と幣殿、流れ造りの本殿が一体になっている様にも見えます。明るく、風の通りがいい杜から5本の鰹木と外研ぎの千木は良く見通せます。

f:id:owari-nagoya55:20200306164747j:plain 社務所から清明殿方向の眺め。
社務所が開く前の時間帯のため参拝者もなく、静かな境内に玉砂利を踏みしめる音だけが境内に響きます。

f:id:owari-nagoya55:20200306164822j:plain2017年に造営された清明殿を守護する狛犬

境内で見かける色とりどりの無数の小さな人形は、底の部分におみくじが入れられた「天神みくじ」で愛称は道真君で知られています。
本来は持ち帰って飾るものですが、「良くぞそこに置いた」と感心するような場所にも置かれています。

f:id:owari-nagoya55:20200306165023j:plain 神前結婚式としても利用される清明殿。
新しく建てられただけに外観はガラスを多用した近代的な外観。

旧鍋谷上野村一帯に鎮座した社を合殿一宇として祀ったもので、永弘院の西隣に鎮座してはずの八坂社はこちらに遷座していました。
五芒星と云えば千種区清明山にある清明神社が最初に浮かびますが、清明はこちらでも祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200306165058j:plain 上は清明殿から拝殿の眺め。
蕃塀の先に梅の下で伏せる撫で牛、高みから見下ろす狛犬、拝殿が一望でき、ハイシーズンには望めない眺めかもしれません。

初詣などはこの参道に人波ができ、出店も出るほど賑わいます。
受験を控え、万事を尽くした後の結果を待つ不安な気持ちを静めるために訪れるのもいいでしょうね。
2020/2/27

名古屋三大天神 『上野天満宮
創建 / 不明 (平安時代中期)
祭神 /  菅原道真公、合殿 木花咲耶姫命伊弉冉命
清明殿合祀社 / 清明社、八坂社、白山社、秋葉社、御嶽社、琴比羅社、猿田彦社、稲荷社

住所 / 名古屋市千種区赤坂町4-89
公共交通機関アクセス / 市営 基幹バス2系統「谷口」下車、南東へ400メートル

「山神社」

名古屋市守山区小幡3丁目「山神社」

f:id:owari-nagoya55:20200305062102j:plain昔通ったテニスクラブを探しつつ、大牧町の「天王社」から住宅地を10分程南へ歩く。
道は行き止まり、正面に陸上自衛隊森山駐屯地が現れる。

f:id:owari-nagoya55:20200305062132j:plain右手の駐屯地の敷地の中には、綺麗に洗車された暗い緑色の自衛隊車両が整然と並んでいます。
特徴のある濃い緑色はオリーブドラブと呼ばれる単彩迷色で、その国の風土により色合いは違ってきます。街を走ると存在感のある色に見えますが、冨士の演習場で走り回る車両は周囲の色に溶け込むように規格で決められたもの。
そんな車両を眺めつつ森山駐屯地沿いに東方向へ向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20200305062159j:plain駐屯地を過ぎた東に写真の「すいどう道」緑道が南北に続きます。
その緑道を右に進みます。
この緑道、ここから南の矢田川をくぐり、鍋谷上野浄水場から南の「天満緑道」へと続きます。
北は庄内川を超え、春日井、小牧を経て犬山の木曽川に至る約20kmの「尾張広域緑道」が設けられています。
この緑道には様々な木々が植えられ、今(2020/2/28)はピンクも鮮やかな河津桜が見ごろ。

f:id:owari-nagoya55:20200305062223j:plain目的地の赤い「山神社」は陸上自衛隊森山駐屯地の東側の南角に祀られています。
ここから瀬戸街道は目の前、交差点の角に赤い覆屋は目立つ存在です。
この辺りで見かける「赤」はどれも同じ色合い、これも統一規格があるのだろうか?
街中のこの赤は存在感のある色です。

f:id:owari-nagoya55:20200305062250j:plain角地の一画に建つ切妻瓦葺の赤い覆い屋。
その左に形状の違う石碑が三つ置かれているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200305062331j:plain傍に近づいて見ると、それらは形こそ違いますが、どれも「山神社」と彫られています。

f:id:owari-nagoya55:20200305062402j:plain横一列に並べられた石標、この場所に初めから三つ揃っていたものではないでしょう。
ひと昔前は自然への畏敬の念を込め、こうしたものが集落毎に祀られ、住民により崇めらていたはずです。
瀬戸街道周辺の開発に伴い、周辺に祀られていたものがここに纏められたものだと思います。

f:id:owari-nagoya55:20200305062429j:plain覆屋の中には中央に三社祀られているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200305062453j:plain中央にやや大きめの注連縄が飾られた板宮造りの社と、両脇に小さな神明造の社が祀られています。
何れの社も札や表札がないので詳細は分かりません。

山神社がいつからここに祀られているのか?
瀬戸街道沿いということもあり、ひょっとすると江戸時代まで遡るのかもしれません。
昔の面影も、こうした神社の生い立ちも、時の移り変わりと共に様変わりし、素性が分からなくなっていくのは自然の流れなのかもしれません。

「山神社」
創建 / 不明
祭神 / 不明

住所 / 名古屋市守山区小幡3-11
大牧町​天王社から南へ徒歩15分程
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線「瓢箪山」駅下車北へ5分程

久国寺

名古屋市北区大杉3丁目2-27

f:id:owari-nagoya55:20200302235245j:plain
以前掲載した​延命閣地蔵院​から北西方向10分程。
国道41号線から東に入った住宅街に天長山久国寺は鎮座します。

f:id:owari-nagoya55:20200302235324j:plain久国寺山門
立派な門構えの瓦葺の山門、右に寺号標「天長山 久国寺」、左に「山門禁葷酒」と刻まれた戒壇石が立っています。

f:id:owari-nagoya55:20200302235353j:plain山門の山号額は「天長山」。
実際の山に由来するものではなく、名の由来は名古屋城本丸の「天長峰」の名を借り、改めた物と伝わります。
宗派は曹洞宗

f:id:owari-nagoya55:20200302235424j:plain山門から眺める本堂は瓦葺の入母屋造り。
石畳の参道は正面が本堂へ、左が西門、右が寺務所に続きます。

f:id:owari-nagoya55:20200302235454j:plain山門をくぐった左の小さな社。

f:id:owari-nagoya55:20200302235519j:plain覆い屋の下の社は小さいものですが、細かな彫飾りが入り、扉には飾り金具が奢られています。
詳細は不明。

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f:id:owari-nagoya55:20200302235619j:plainその右に方型のお堂。
火燈窓が施された白壁が印象深い建物てす。

f:id:owari-nagoya55:20200302235657j:plainこの堂の露盤の上には翼を大きく広げた鳳凰飾り。

f:id:owari-nagoya55:20200302235721j:plain堂の右側に建つ護国観音像。
戦没者の慰霊を目的に建立され白い観音像は、コンクリート塑像作家の浅野祥雲の作。
五色園や桃太郎神社で見かけるシュールなイメージの像に対し、天女の様な顔立ちの作風は別の表情を見せています。

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f:id:owari-nagoya55:20200302235815j:plain観音像の左にある石碑
上、自然石の快台塚
下、馬頭観世音菩薩の石碑、久国寺の西に南北に延びる上街道、そこを通る牛や馬の供養や無病息災を祈願して建てられたものでしょうか。
昔は牛や馬は農業や畜産、物流に関わる重要役割を担っていただけに、それらに携わる人々が多くいたことを物語っているのかも知れません。
この他に聖観世音菩薩碑などがこの一画に建っています。

f:id:owari-nagoya55:20200302235856j:plain本堂左、というか西門から境内に入った左に三体の石像、中央は水子観音像。

f:id:owari-nagoya55:20200302235930j:plain山門右の伽藍を見て行きます。
最初に目につくのは重厚な四脚の鐘楼、そこに吊るされた梵鐘の形に強烈な印象を受ける。

f:id:owari-nagoya55:20200303000102j:plain梵鐘の側面から無数の角らしきものが突き出ている。
鐘楼の手前の大きな庚申塔にも目が行きます。

f:id:owari-nagoya55:20200303000238j:plain随分と大きな庚申塔
下には「みざる、いわざる、きかざる」の三猿が彫られています。

特徴のある岡本太郎作の梵鐘。
そう聞くと思わず頷ける、「爆発してる」
久国寺住職が岡本太郎に梵鐘の作成を依頼、1965年に作られたもの。
この後に大阪万国博(1970年)のシンボルとなった太陽の塔が作られます。
この梵鐘は森羅万象を表現したものらしく、特徴のある角?は人の手を表しているそうです。
梵鐘全体にはいかにも岡本太郎と云わんばかりのレリーフが施されています。

f:id:owari-nagoya55:20200303000341j:plain寺務所前あたりの庭石の陰に龍が潜んでいました。

f:id:owari-nagoya55:20200303000423j:plain久国寺本堂全景。
歴史は古く、1596年~1615年(慶長年間)に、長国守養が松平家菩提寺の法蔵寺より家康の守護仏を貰い受け楠山久国寺として創建されたもの。1662年(寛文3)に現在地に移設、名古屋城の鬼門除けとした。
戦災で焼失し、現在の伽藍はその後再建されたものですが、現在の周囲の環境から見ると街中にあって大きな境内を持つお寺です。

f:id:owari-nagoya55:20200303000508j:plain久国寺は大名古屋十二支と呼ばれる、名古屋市にある十二支に因む守護仏を廻る札所の一つとなっていて、子年の今年の守り本尊は久国寺の「聖観世音菩薩」。
その他にも尾張三十三観音29番、東海百観音29番、名古屋百観音94番の札所となっています。
色々な札所があるものです。

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f:id:owari-nagoya55:20200303000700j:plain建物は戦後再建されたものですが、本堂に吊るされた風鐸や瓦屋根の落ち着いた佇まいは風格のあるものです。

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久国寺
山号 / 天長山 
宗派 / 曹洞宗
創建 / 1596年~1615年(慶長年間)
本尊 / 聖観世音菩薩
住所 / ​名古屋市北区大杉3丁目2-27
公共交通機関アクセス /  名鉄瀬戸線尼ケ坂」駅下車、北西に徒歩10分程