「紫陽花」

梅雨のこの時期は紫陽花が合うような気がします

5月27日に茶屋ヶ坂公園の紫陽花を見に出かけましたが少し早かった


あれから一週間が過ぎ再び訪れて見ました

f:id:owari-nagoya55:20210602185644j:plainそろそろ花も揃ってきました
葉ばかりが目立った前回ですが

今はカメラの画面いっぱいに紫陽花の花の色が入るようになりました

カメラ片手に訪れても大丈夫
(写真は茶屋ヶ坂公園​野球場東の紫陽花)

優しい雨が降る日を狙って再び訪れよう
・・・・バッテリー残量確認してなかった、結果これ以上撮れない
メモリーカード入れ忘れよりましか、最近いろいろ忘れることが多くなった
・・・・・

所在地 / 名古屋市千種区鍋屋上野字汁谷

熊野三山を巡る「那智御瀧飛瀧神社」

熊野三山詣も熊野那智大社青岸渡寺と参拝し、三重の塔から徒歩10分~15分程谷筋に下って那智御滝飛瀧神社で一応コンプリートとなります。
裏参道から飛瀧神社までは下りばかりなので楽だろうと思いきや最後の最後まで道のりは楽ではありませんでした。

f:id:owari-nagoya55:20210602084141j:plain境内と一般道を結ぶ舗装された連絡道を歩くのはほんの僅か、すぐに裏参道に入ると写真のような看板、

看板は助かるが、奴は事前に「ここにいる」とは教えてくれない。
いつも突然黙って現れる。長いものは嫌いだ。
そんな怪しい空気も正面に見える那智の滝が忘れさせてくれる、事はないか。

f:id:owari-nagoya55:20210602084205j:plain降り始めてすぐに庚申塔が現れる。

車で移動すれば楽なんだろうが、もう少し熊野古道を体感していこう。

f:id:owari-nagoya55:20210602084225j:plain三重塔近辺から裏参道を歩き飛瀧神社に向かいます。

参道は連絡道路を横切りながら下へ続きます、五町石から見上げると、このような感じです。

f:id:owari-nagoya55:20210602084242j:plain伏し拝み

ここは「那智御瀧飛瀧神社」の遥拝所。
五町石後方のこの辺りには往古の礎石が残る、毎年7月14日熊野那智大社例大祭(扇祭り・那智の火祭り)ではこの場所で扇建て神事が行われる聖地。
ここから飛瀧神社に向かう石段は鎌倉積みの石段が面影を留め、道はここから少し険しい表情に変わる。
昨日のゴトビキ岩への道のりに比べれば楽なもんでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20210602084301j:plainしばらくは杜の中に続く石段と周囲の樹々の間から時折姿を見せる滝だけの視界の狭い静かな古道の世界が続きます。

やがて視界は一気に広がり、茶店や車が行き交う車道が現れます。
ここは「那智の滝前」のバス停、駐車場もあり、車で容易に訪れることが出来るので参拝客も多く、現実の世界に戻った感じ。
道路は大きくカーブし、「那智御瀧飛瀧神社」鳥居はその曲がり角に見えています。

f:id:owari-nagoya55:20210602084317j:plain鳥居脇の解説。

大雲取連山は那智48滝と云われ多くの滝があります、その中で一番の落差を誇るのが「那智御瀧」。
高さは133㍍で滝口の幅は13㍍、滝壺の深さは10㍍以上とある。
御瀧そのものが大己貴命が現れた御神体としてお祀りし、熊野の神様は元々ここでお祀りされたという。
那智御瀧飛瀧神社」は熊野那智大社の別宮。

f:id:owari-nagoya55:20210602084336j:plain鳥居をくぐり、角の取れた石段を参道を降りていきます。

f:id:owari-nagoya55:20210602084352j:plain杉木立の薄暗い杜の先に陽光に照らされた那智の滝が迫る。

ここが最後の石段、立ち止まって滝を眺めたい。

f:id:owari-nagoya55:20210602084410j:plain多くの参拝客が踏みしめた石段を下から振り返る。

石段を下り切ると写真の「光ヶ峯遥拝石」
「熊野の神様が降臨したと伝わる御山、那智山熊野信仰の原点。
この石は原点の地「光ヶ峯」に通じ、ここは遥拝所として重要な場所。
この石を撫でると原点の御力を頂ける事が出来ると伝わる」

この不思議な石を1回撫でると縁結び心願成就、2回撫でると金運隆盛・家庭安全、3回撫でると厄除け・身体健勝に御利益があると伝わり、その御利益を得るため古くから撫でられて来たのだろう、石の表面は角が取れ滑らかになっている。

f:id:owari-nagoya55:20210602084435j:plain那智御瀧飛瀧(ひろう)神社」と那智の滝全景。

滝そのものが御神体なので、ここには拝殿や本殿はありません。
滝の音だけが聞こえてきます。

f:id:owari-nagoya55:20210602084454j:plain遥拝所から見る那智の滝

見あげるような岩壁の上から白い筋となり流れ落ちる水。
はかり知れない自然の力を目の当たりにするとこの場所に神の存在を感じるのは当然だろう。

主祭神大己貴命 社格熊野那智大社別宮。
本殿や拝殿もなく、直接滝を拝むこととなる。

f:id:owari-nagoya55:20210602084515j:plain滝の飛沫に触れることで延命長寿の霊験があると云われるそうです。

更に滝を間近で感じたい、そうした方は有料になりますが飛瀧神社遥拝所に行くことができます。

f:id:owari-nagoya55:20210602084533j:plain境内は流れ落ちる水が空気を震わせ、マイナスイオンが溢れています、心が落ち着く世界。

左の木立の中に朱塗りの遥拝所が見えています。
瀧を感じる極め付きは「御滝注連縄張替式」ですね。
新たな年を迎えるにあたり、あの滝口に架かる大注連縄は張り替えられますが、想像しただけでも身震いする。

f:id:owari-nagoya55:20210602084550j:plain南紀熊野ジオパーク解説

あの岩壁の成り立ちが分かりやすく解説されている。
今でこそメカニズムが紹介され「なるほど」と思うが、太古の人がこの地に踏み入り始めて目の当たりににした時、仰ぎ見る高さから空気を揺るがし流れ落ちる那智の滝の姿は、私達見る滝とは違う神々しいものだっただろう。

f:id:owari-nagoya55:20210602084609j:plain大門坂駐車場から延べ3時間半~4時間、自ら我慢して極めたからこそ、こうして見る光景に何か特別なものを感じる事が出来る。

f:id:owari-nagoya55:20210602084625j:plain

途中「茶房珍重庵」で「もうで餅」を食べたりして歩いていたので9:00に駐車場を出発、再び戻ってきたのが12:30を過ぎていました、じっくり回ると1日がかりだね。
自然を感じなから杉木立の古道を歩き、自然の力強さの中に不思議を感じることが出来るのが熊野三山かもしれない。
因みに飛瀧神社から駐車場まではバスで降りてきました。
これで当初の目標は達成した、時間を見ながらもう一社参拝して行こう。
2021/2/22

那智御瀧飛瀧神社
住所 / 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
三重の塔から徒歩ルート / ​10分~15分
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​​

「天王社」

八尾稲荷の鎮座する下街道、そこから1本西筋、北側に集合住宅、前と左右を戸建住宅に囲まれるように一区画がぽっかりと空いた空間。
整地されただけで雑草が生え、区画は玉垣で囲われている。
ここが瀬古東2の天王社。

f:id:owari-nagoya55:20210530171116j:plain下街道の一方西筋を北方向に向いて撮った一枚。
住宅が林立した光景はそのまま掲載するには難があり、相当消してしまったので全体のイメージが伝わりにくくなってしまった事をお許し願いたい。
天王社がある区画は上の写真の右上。

f:id:owari-nagoya55:20210530171132j:plain道路から見る天王社。
区画全周を少し古めの玉垣が囲っており、広くて南北に長い社地の奥に本殿が見える。

f:id:owari-nagoya55:20210530171148j:plain本殿に対し不必要と思えるような広い社地にポツンと本殿だけが祀られている。
鳥居や狛犬、手水鉢も見当たらない、社地には杜はなく、こうして見ると一本の樹があるように見えますが、それは集合住宅の庭木。

f:id:owari-nagoya55:20210530171204j:plain不思議な比率だ。
過去ここには少し規模の大きな神社があったのかも知れない。
その名残なのか社地の中ほどに大きな切株が残っています。
本殿はこの辺りで見かける天王社の流れを踏襲し、この広い境内に小さな板宮造りの赤い社の存在と、そこに訪れるは参拝客は逆に周囲から目立つかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20210530171221j:plain社名札はなく扉は閉じられ、お札まで確認できないけれど天王社で間違いないと思います。
社は大きな岩を組み、一段高く積まれその上に祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20210530171237j:plain社を斜めから眺める。
境内の様子に対し、社の状態は綺麗に手入れされ、近隣の天王社より状態はいいかもしれない。
この辺りの少し前の地図など当たってみる、そもそも鳥居の印がなく、いつ頃祀られたものなのか推測すらできない。
一帯は各町内ごとに天王社が祀られているといってもいいくらい、少し歩けば目にすることができる。
瀬古東2の天王社と云って間違いないかもしれない。
大正か昭和初期に祀られたような気はするが創建に繋がるものは見つけられなかった。
ひと回りして古びた賽銭箱に志を入れ参拝させてもらうも、何も分からない事に対し若干消化不良気味。

f:id:owari-nagoya55:20210530171254j:plain由緒は分からない、この広い境内の意味も良く分からない。
分からない事ばかりだけれど、住宅が建つ中で天王社の社地がこうして与えられている。

話は脱線するかもしれないけれど、息子たち二人は学童で育った、そこには年間のイベントがあり職種の違う父母が得意の分野で参画し目的達成に向け活動していた、そうした親の姿を見て子は育っていき助け合いを学んでくれたものと思っている。
ややもすると面倒は避けたい傾向に陥り、昔から続いていたイベントや地域行事は姿を消していく。

家は一杯建っていても隣の顔も分からない住宅街、それが時流なんでしょう。
集まっている事で安心を得ている錯覚に陥るけれど、実はとんでもなく山奥の集落より繋がりは希薄なのかもしれない。
この小さな社は地域の住民同士を繋ぐ重要な役割を担っているのかもしれない。

守山の天王社を見て廻るとペンキでコテコテだったりするけれど、そこが住民同士の結束の強さのバロメーターとして映ってくる。
業者が綺麗に塗装したものより味があっていいものです。
2021/05/02

守山区瀬古東2「天王社」
創建・祭神 / 不明
所在地 /   名古屋市守山区瀬古東2丁目
八尾稲荷から徒歩ルート /  ​八尾稲荷から一筋西、徒歩5分
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木曽三川公園「フラワーパーク江南」から「138タワーパーク」0528近況 

好天に恵まれた28日、外気を吸いに江南市の「フラワーパーク江南」と「138タワーパーク」へ花を見に出かけてきました。
前日の予報は暑くなるという事だったけれど、意外に過ごしやすかった。
名古屋からだと車で1時間もあれば着くことが出来る。

f:id:owari-nagoya55:20210530083307j:plain最初に向かったのは「フラーワーパーク江南」。
国営木曽三川公園で13の公園で構成され、その中の一つ。
平日という事もあり来園客は少なく、小さな子供を伸び伸びと自由に走らせてあげるには良い場所だ。
来園客は100㌫マスクを着用、「2㍍離れましょう」の看板もあり、個々が静かに季節の花を楽しんでいる。

f:id:owari-nagoya55:20210530083355j:plain公園の主要な建物「クリスタルフラワー」
館内では様々なブースがあり、お茶も出来るようですがそこは避けることにした。
ここから北側に木曽川(南派川)が流れ、園内はアスファルトも少なく体感温度は低く感じ快適な空間。

f:id:owari-nagoya55:20210530083411j:plain色とりどりの花を期待して訪れたけれど丁度春から夏に向けて植え替えの時期。
既に見頃を過ぎた花が多かった。

f:id:owari-nagoya55:20210530083432j:plain園内には大小三つの水辺があり、それらは小さな小川で繋がっていて歩いていても心地が良い。

f:id:owari-nagoya55:20210530083449j:plainクリスタルフラワー前の水辺

f:id:owari-nagoya55:20210530083505j:plain花は植え替えの時期のようだ、華やかな色合いは少ないけれど、園内は鮮やかな緑にあふれている。

f:id:owari-nagoya55:20210530083522j:plainこの時期人目を引き付けるのが「アリウム」
ネギ坊主みたいなやつだ。

f:id:owari-nagoya55:20210530083539j:plain少ないとはいえ花が絶えることはない。

f:id:owari-nagoya55:20210530083558j:plain水盤には睡蓮も植えられ丁度開花の時期を迎えています。
 

f:id:owari-nagoya55:20210530083619j:plain

f:id:owari-nagoya55:20210530083638j:plain

そろそろ睡蓮の時期だねと思っていただけに、ここで見られたのは有難い。

f:id:owari-nagoya55:20210530083703j:plainここには蓮はないけれど今年は蓮の花を見に行きたいものだ。

f:id:owari-nagoya55:20210530083723j:plainここの水場には様々な生き物と出逢え、見付ける度におやじから童心に戻ります。
ここにも映っています。

f:id:owari-nagoya55:20210530083738j:plainオタマジャクシがいっぱい。
かみさん「こやつらがみんな成長してゲロ〃やる訳?」
そうだよね、カエルいっぱいという事は長いものも・・・いたりする。

f:id:owari-nagoya55:20210530083754j:plain「スモークツリー」
なだかなぁ、どうやって撮ればいいもんだか。

f:id:owari-nagoya55:20210530083812j:plain陽時計のあるこの水辺には小魚ないっぱい泳いでいる、その横を外来種の亀が多数。
誰か放すのか、定着したものなのかは分からないけれど、もはや在来種として認めてやらないといけないのかも。

フラワーパーク江南
URL  /  https://www.kisosansenkoen.jp/~konankaki/
所在地 / ​愛知県江南市小杁町一色
入園料・駐車料無料

「フラワーパーク江南」から「138タワーパーク」にも立ち寄ってみました。
この公園も国営木曽三川公園の13の公園の一つ。
かみさんの実家のじいさんが写真を撮りがてら息子達を連れ、ここと「アクア・トトぎふ」をセットにして毎度散財させられていたが「花が豊富」と話は聞いていた。
「フラワーパーク江南」から木曽川下流に向け県道183号線➡県道182号線光明寺交差点右折、道なりに
移動時間20分程だ。

f:id:owari-nagoya55:20210530083832j:plainツインアーチ138
いつも高速から眺めるこのタワー、初めて間近でみた。
高さ138メートルの2つのアーチの中心に展望タワーがあり、タワーを目玉として四季折々の花が楽しめる。

f:id:owari-nagoya55:20210530083850j:plainタワーの手前から左の南派川堤に出てみた。
その昔は対岸との往来は舟で行き来し、この橋の袂には「木曽川わたり渡船跡」として石標がそれを伝えている。
今は県道115号線の渡橋が架かり容易に南派川を渡り川島町に続く。
対岸には「川島ハイウェイオアシス」の観覧車、少し左に視線を移すと岐阜城も見て取れる。

f:id:owari-nagoya55:20210530083910j:plainつい最近までは「ネモフィラ」が綺麗に咲き誇っていたようですが、現在園内で今が盛りとばかり咲き誇る花は少なく、昨日もコキアを盛んに植えていた、植え替えの時期です。
写真は「ローズストリーム」
6種類のバラが植えられ一番の見所かもしれない、ここも花は今一つ。

f:id:owari-nagoya55:20210530083927j:plain園内の様子
綺麗に整備された公園は解放感で溢れている、それを求めて訪れる方もマスク着用はもちろん、距離を空ける等マナーが守られていました。

f:id:owari-nagoya55:20210530083944j:plainポピーはピークは過ぎたようだ

f:id:owari-nagoya55:20210530084004j:plain一番勢いのあるバラとタワー

f:id:owari-nagoya55:20210530084019j:plainせっかく来たのだから入場料500円を支払いタワーに上がってみた。
エレベーターは我が家だけで利用、展望室も密も感じる事はなかった。
360度のパノラマは濃尾平野を一望でき、500円の価値はあった。
写真は岐阜城のある金華山、そこから眼下の川島の町には松倉城(跡)、ぐるりと見て廻ると、鵜沼城(跡)や犬山城小牧城等が一望できる。
これなら狼煙を上げればすぐに分かる、人の動きも分かる、山の頂に城を築く理由も頷ける。
名古屋市内を横切るのにとんでもない時間をかけるけれど、こうして俯瞰して見ると濃尾平野意外と狭いか。
園内もタワーも感染防止対策は整い、訪れる人のマナーもいい、花はこれから衣替えで少し寂しい時期だけど、外気を吸いに屋外に出て見よう。

138タワーパーク
URL / https://www.kisosansenkoen.jp/~tower138/index.html
所在地 / 一宮市光明寺字浦崎21-3
江南フラワーパークから車アクセス / 県道183号線➡県道182号線光明寺交差点右折、道なり ​移動時間20分程


余談ですが
昼ご飯で立寄ったカレー屋さん、後から入店してきたグループの光景は余程covid19の存在を身近に感じた。
「マスク外しの大声で会話、くしゃみ」、みんなで外せば怖くない、という事なんだろう。
店も若者も幼い子供もみな我慢しこの時期を過ごしている。
視線を外せば多くの客の視線を浴びている事に気が付くと思うのだが、きっと既にワクチン接種は終わったものと見た、あれ? そんな年齢でもないが。

 

 

稲置街道を行く「旧堀部家住宅」「不明社」

稲置街道沿いの神護山先聖寺と境内の外町天満宮を後に犬山城に方向へ。
時間にして2~3分程歩く、街道左側に下の写真の様な建物を見かけ寄り道。

f:id:owari-nagoya55:20210528163351j:plain稲置街道から一筋東に入ると切妻瓦葺二階建ての黒い板張りの外壁に白壁がシックな建物と玄関先に白い砂利が敷かれた箱庭が視線を引く。
母屋の周りを見て廻ると庄屋さんの自宅の様に見えます。

「旧堀部家住居」
堀部家は代々犬山城主成瀬家に仕えた士族だそうな。
この母屋は棟札に1883年(明治16)と記されているようで、当時の堀部勝四郎が施主だという。
母屋の他に離れ座敷、渡廊、土蔵、作業室(蚕室)、高塀があり、2006年(平成18)に登録有形文化財に指定されているようです。

当日は「冬季休館」の看板が置かれていたので中まで入っていませんが、HPの写真など見る限り庭園などもあり、農とは少し離れた武家屋敷の流れを受け継ぐ様式。

f:id:owari-nagoya55:20210528163407j:plain坪庭
人の頭ほどの小さな岩、それを取り囲む様に苔が植えられ、その周囲は白砂利が敷き詰められている。
今頃は岩の周りの苔も瑞々しい緑に変っているでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20210528163425j:plain入口の解説
この施設はNPO団体により管理運営され無料で内部を見て廻れ、解説などもしてくれるようです。
冬季閉館、コロナ禍の影響で閉館する場合もあるようなので、訪れる場合は確認した方がいいかもしれません。
木之下城伝承館・堀部邸
所在地 / 犬山市南古券272


f:id:owari-nagoya55:20210528163638j:plain 堀部家住宅の北向いに猪ノ子町公民館があります。
その裏に赤い鳥居を見付け立ち寄ってみた。
公民館の右横から裏に回り込むと確かに赤い鳥居はあるけれど、鳥居をくぐるには公民館裏口の僅かな隙間から横入りして鳥居をくぐるような感じ。
なんだか公民館裏口から直接鳥居をくぐるような鳥居の位置関係。
公民館の正面には以前は燈籠の台座らしき跡があり、公民館が出来る以前は真っすぐに堀部家前まで参道があったような、そんな気にさせる。

f:id:owari-nagoya55:20210528163656j:plain

赤い鳥居と赤い玉垣で囲まれた小さな社、社号標はなく鳥居に額はない。
個人的には赤と云えば稲荷か天王社だろうと勝手に推測するけれど、そうとも云えず自宅で調べて見てもすっきりする情報は見つからなかった、不明社としておこう。

f:id:owari-nagoya55:20210528163736j:plain二段に盛られた本殿域に板宮造りの社が祀られていて、狛犬や狐は見かけなかった。
この社を守護するのは公民館かもしれない。
この後方はコイン駐車場になっていて、そこに駐車すると赤い鳥居と社は一目で分かるのでは。
詳細は分からないが取り敢えず参拝させてもらいました。
後日何か分かれば改めて追記させてもらいます。

不明社
所在地 / 犬山市南古券327(旧堀部家北側)

f:id:owari-nagoya55:20210528163801j:plain旧堀部邸から数分も北に歩けば、街道の面影が僅かに残る街並みから一転し両サイドにビルが立ち並び、その先の本町交差点まで道幅は急に広くなります、交差点を横切る通りは県道183号線です。
この本町交差点を越えると再び街道の香り漂う街並みに戻り、それと共に人波がみえてきます。

遅い昼ご飯、時間は既に14時を回っている、お楽しみのビールと酒もあと少しの辛抱だ。

徒歩ルート / ​先聖寺門前から稲置街道を北へ2~3分程
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名古屋市千種区 千種公園のユリが咲き始める

2021/05/26
気が早いのも程があるか

名古屋市千種区の千種公園近くに立ち寄ったので公園まで足を延ばしてみました。

f:id:owari-nagoya55:20210526205423j:plain

開花状況、全体的には上の写真が率直なところです、蕾ばかりですね。

f:id:owari-nagoya55:20210526205441j:plain日射条件の良い所で一部開花していますが黄色ばかりが目につきます。
緊急事態宣言下、一時の気分転換を求めユリを見に来られる方も見えます。

ダメ〃〃で息が詰まる毎日、宣言の効果がダメ〃だから矛盾だらけのママ再延長?
こんなに綺麗にユリは咲き始めたが、飲み屋のユリは咲いているのだろうか。
煩悩捨てきれないおやじの本音は飲みに行きたいところ。

f:id:owari-nagoya55:20210526205500j:plain盛期になると通りすがりに見える公園の中は艶やかな色で華やかになり、園内は甘い香りが漂う。
今はまだそこまでではないようです。
2021/5/26

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富山県高岡市 越中国一之宮「氣田神社」

小竹薮駐車場から県道24号線、国道415号線と経由し富山湾方向へ。
小矢部川を越え、矢田交差点で左折すると正面に小高い丘陵地が見えてきます、その道の突き当りが氣多神社。
所在地で云うと富山県高岡市伏木一宮、地名に「一宮」と入るように、伏木はその昔国府国分寺が存在した越中国の中心だったそうです。
ここに到着する少し手前に国分寺跡、神社境内にも越中国総社跡の伝承地とされ解説板が建ち、越中国総社跡(伝承地)もあります。
927年に編纂された『延喜式神名帳』には名神大社として記される古社で、越中國一之宮を称する4社(射水神社気多神社高瀬神社雄山神社)の一つ。
一之宮御朱印のコンプリートを目指すかみさん曰く「幾つあんのよ」と云いたくなる気持ちも分からんでもない。

f:id:owari-nagoya55:20210526170949j:plain越中國一之宮 氣多神社社頭
駐車場は左にあり、更に道路を右に進んで行けば一気に社殿近くの駐車場まで辿り着けます。
社頭左に社号標そこから石段が続き、その先に鳥居が見えます。

f:id:owari-nagoya55:20210526171004j:plain駐車場から走ってきた道を眺めて見ます。
富山平野の先に富山湾、遥か先には残雪が残る立山連峰を望め、四季折々自然を移り変わりを目の当たりにできる羨ましい環境です。

f:id:owari-nagoya55:20210526171021j:plain駐車場脇の手水舎

f:id:owari-nagoya55:20210526171041j:plain苔むした山肌から龍が顔を出し、勢いよく清水が注がれています。

f:id:owari-nagoya55:20210526171058j:plain手水舎の左に「気多神社の清泉」
傾斜地の上に残る古い切株、その下の斜面に穴が開き、そこから絶える事無く湧き出る清泉。
昭和61年「とやまの名水」に選定されたそうで、看板には「煮沸して飲用」とある。
おかしなものは添加されていない、渓流の水とは違い地下から湧き出して来た自然からの恵み。
自然と云えば手水舎の柱に「くま出没注意」の気になる貼り紙もあった。
1分程坂を下ればそこは住宅街、そんなところに有難くない自然もいるようだ。
蛇よりはましか。

f:id:owari-nagoya55:20210526171114j:plain社頭の解説と下は境内で見かけた氣田神社略史。
一部抜粋した内容は以下。
734年(天平4)能登国気多大社から大己貴命(おおなむちのみこと)を分霊、勧請、氣田大神として越中國一之宮田神社となる。
757年(天平宝字元年)越中国から能登国が分立し、越中国射水、砺波、婦負、新川の四郡となり、能登・羽昨にある氣田大社を国府に近いこの地に勧請されたと云われ、一説には718年(養老2)に行基が開基したとも云われるようです。
1182年(寿永年間)と1550年(天文年中)上杉謙信など二度にわたり兵火に見舞われ伽藍を焼失。
1558~1570年(永禄年間)に現在の本殿が再建、1645年(天保2)に加越能大守「前田利常」が気多神社を崇敬し、本殿・拝殿などを修繕。
さして1859年(明治2)廃仏棄釈の令により、本地仏を旧国分寺跡の薬師堂へ遷す。
主祭神大己貴命奴奈加波比売命、配神は事代主命菊理姫命を祀る。

f:id:owari-nagoya55:20210526171133j:plain緩やかな石段を上りきると神明鳥居があり、石灯篭が続く参道は更に杜の中へ続きます。

f:id:owari-nagoya55:20210526171154j:plain参道途中に神馬像、その後方が本殿に一番近い駐車場。
苔むした境内はこの辺りから左右に広がりを見せる。

f:id:owari-nagoya55:20210526172330j:plain左側の境内には石碑などが建てられていました。

f:id:owari-nagoya55:20210526171211j:plain拝殿が見えてきます、この石段が最後の石段。
訪れたのが日没間近とゆうことで、木々の間から西陽が差し込み幻想的な雰囲気を漂わせている。
参拝客はなく境内は静かさに包まれています、こんな時に後ろから音でもすると「出たか?」と考えたくもなる。 正体はかみさんなんですけどそれくらい静寂な空間でした。

f:id:owari-nagoya55:20210526171230j:plain鬱蒼とした杜の樹々、根は苔むした地表にまで現れ、自然の逞しさを感じさせてくれる。

f:id:owari-nagoya55:20210526171248j:plain参道左側の眺め、参道は二手に分かれ正面は拝殿へ、左手に進むと拝殿左側に回り込めるようです。

f:id:owari-nagoya55:20210526171305j:plain石段を上り拝殿へ、狛犬がいますが逆光でシルエットになる。

f:id:owari-nagoya55:20210526171321j:plain狛犬
阿形後方の建物は「参集殿」

f:id:owari-nagoya55:20210526171337j:plain参集殿全景
狛犬の台座には1933年(昭和8)とある、大先輩だ。

f:id:owari-nagoya55:20210526171401j:plain

氣田神社拝殿
瓦葺で妻入りの拝殿は左右に回廊が付き、内部は幣殿と一つになっている。

f:id:owari-nagoya55:20210526171432j:plain拝殿に掛けられた額は「氣田神社」

f:id:owari-nagoya55:20210526171450j:plain参拝
拝殿内の内部はガラス張りで陽光が降り注ぎ明るい印象を受ける。

f:id:owari-nagoya55:20210526171511j:plain社殿全景
まだ日陰には残雪も残る。
本殿は三間流造の柿板葺で社殿は1558~1570年に再建され、国の重要文化財に指定されている。

f:id:owari-nagoya55:20210526171548j:plain本殿
緩やかな曲線を描く向拝は幣殿へ繋がり派手な飾りを廃したシンプルな外観。
本殿の正面に掛けられた「一宮」の額が見て取れる、解説によればさらにこの奥に「氣田大社」の額
が掛けられているという。
藤原行成の真筆とされ、小野道風藤原佐理と並んで三蹟の一人。
残念ながら奥に額らしきものは見えますが、おやじのカメラではこれが精一杯。

f:id:owari-nagoya55:20210526171726j:plain「一宮」の額
力強さの中に柔らかさもあり優しさすら感じる。
空海(弘法大師)の真筆とされ、豊富な知識と技量、優れた感性で文字を描く能書の達人で嵯峨天皇橘逸勢と共に日本三筆と称される。
後方に額は見えているのだが・・・・

f:id:owari-nagoya55:20210526171746j:plain拝殿左の御興堂

f:id:owari-nagoya55:20210526171806j:plain更に左の一段高い場所に玉垣で囲われた社があります。

f:id:owari-nagoya55:20210526171909j:plain大伴神社

f:id:owari-nagoya55:20210526171828j:plain

社殿は流造で越中國国守だった大伴家持が祀られているという。創建は1985年(昭和60年)、地元有志により境内に創建されたもの。

f:id:owari-nagoya55:20210526171935j:plain境内全景
彫りの深い二対の狛犬が守護している。

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上の狛犬は鳥居をくぐって最初のもので、胸に鈴をつけた彫りの深い体格のいいもの。
下は本殿前の狛犬
小柄な体ですが角が付いた愛嬌のある顔が印象に残る。

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大伴神社左から境内全景。
西に杜があり、陽が陰るのは速い、静かな境内に神々しさが一層ましてくる。

f:id:owari-nagoya55:20210526172234j:plain氣田神社、富山平野富山湾、遠く立山連峰を望む山麓に鎮座し、静かに時が過ぎていく空間を持った閑静な一宮だ。

さあ一路今夜の宿泊先を目指そう。
2021/3/23

御朱印
越中国一之宮「氣田神社」
創建 / 734年(天平4)
祭神 /  大己貴命奴奈加波比売命
配神 /  事代主命菊理姫命、

境内社 /  大伴神社
創建 / 1985年(昭和60年)
祭神 /   大伴家持
所在地 /  富山県高岡市伏木一宮1-10-1

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射水神社(小竹藪駐車場)から車でのルート / 県道24号線➡国道415号線➡矢田交差点で左折、​移動時間20分程