『御鍬神社』豊田市小峯町

豊田市小峯町 御鍬神社。
前回記載した東広瀬町 秋葉神社から鎮座地の小峯町宮下へは、東へ1.5km、車で約5~6分ほど。
山間に田畑が広がり、山裾に小さな集落が点在する、昔ながらの趣が残る地域。

宮下の地名がさす様に、小峯地区の南側の山裾に御鍬神社の鳥居と社殿、少し右側には御堂らしき姿も見られ、この地区の信仰の場ともいえます。
神社へはあぜ道沿いに左の鳥居に向かいます。

田圃を通り過ぎると、左側に細い人道が作られており、鳥居の前に続いています。

「村社 御鍬神社」社頭。
人道沿いに鳥居(昭和8年寄進)を構え、そこから石段が境内に伸びています。

神社の歴史を物語るかのような杉の巨木が印象的です。

境内全景。
けっして広くない境内ですが、正面の拝殿とその先に覆殿、右手の社務所がコンパクトに纏められています。

境内左の手水鉢。

拝殿は瓦葺の切妻造・妻入の拝殿で四方は吹き抜けのもの。
各部の意匠はシンプルな意匠が施されています。

拝殿から覆殿の眺め、狛犬の姿もあります。

覆殿左の境内にある解説、右手に猿投町(1953~1967)の石柱が残る。
市杵島姫神
伊勢の神様 天照大御神の御子、宗像三神の一柱で、又の名を弁財天、「弁天さま」とも言われている。
総本社 宗像大社 福岡県宗像郡玄海町
御神徳 人々の幸せのため人・物・金を集める働きをされる、経済の神、海外交易の神、海の神、言葉の神
伊射波登美命
伊勢神宮を建てるべく歩かれた、倭姫命を伊勢でお迎えされた神様
元宮 伊射彼神社 三重県鳥羽市安楽島町
御神徳 縁結びの神 』

御鍬神社について愛知県神社名鑑(1992)では以下のように記しています。
『十五等級 御鍬神社 旧村社
鎮座地 豊田市小峯町宮下435番地
祭神 伊佐波登美命、市寸島姫命
由緒 社伝に、慶応3年(1867)10月11日、中金村正一位十二所権現(岩倉神社)祠官中野兵部藤原春貞により配られたという。
明治6年5月、村社に列する
同35年9月28日、暴風雨に社殿大破したが改修される。
同42年6月18日、字ハシズメの無格社稲荷社を本社に合祀した。
例祭日 10月15日
社殿本殿 神明造、覆殿、拝殿
氏子数 35戸』

稲荷社の旧鎮座地ハシズメは、御鍬神社の南を流れる小さな川の対岸にあたり、ゴルフ場開発もあり昔の姿とは随分変わっているのだろう。

子連れ・毬持ちの狛犬(寄進年は未確認)。

覆殿の入口は格子戸で、その中に本殿と二つの社が祀られています。

檜皮葺の本殿は流造で、木鼻に獅子や獏、蟇股には龍の彫飾りが施されています。
稲荷社を合祀するとあったが、左右の板宮造の社の社名は分からなかった。

覆殿から拝殿内の眺め。

拝殿前の常夜灯(昭和15年寄進)から眼下の鳥居と小峯町宮下の田畑の眺め。

御鍬神社から右に鎮座する堂、詳細は不明。

切妻造で妻側に大きな向拝を持つもので、シンプルな外観ですが手挟や木鼻の意匠に拘りが伺えます。

堂内には二つの厨子があり、写真から左は観音様だろうか、右手の黒い像は・・・分からない、しかし御鍬神社とこの堂が小さな集落の祈りの場であることに間違いない。

豊田市小峯町 御鍬神社
創建 / 慶応3年(1867)
祭神 / 伊佐波登美命、市寸島姫命
境内社 / 不明
氏子域 / 豊田市小峯町
例祭日 / 10月15日
所在地 / 豊田市小峯町宮下435
秋葉神社から御鍬神社まで・車ルート / 廣済寺門前の​三叉路を左折・直進、小峯町宮下まで2.3km・移動時間5~6分​ほど​。
参拝日 2025/9/8 

『秋葉神社』豊田市東広瀬町

東広瀬の弁財天を後にして県道355号線で矢作川左岸を下っていく。
鬱蒼とした県道も、平手地内に入ると民家が見えはじめ視界が広がってきます。
今回の目的地、東広瀬町大根に鎮座する秋葉神社は、平手地内の三叉路で左折し廣済寺方向に向かいます。
左側に廣済寺の寺号標と秋葉神社の社標が見えてきたら左折し、住宅街の中を高台に向け上っていきます。

東広瀬町大根に鎮座する秋葉神社社頭。
交差点の角の石段はその先の明神鳥居を経て、正面の小高い丘に向け参道が続きます。

鳥居から参道の眺め。
参道は鳥居の先で右手の車道とひとつになり境内に向かって上に伸びている。

参道。
この先を曲がるとすぐに広い境内に至ります。

東広瀬町大根の秋葉社境内全景。
広い境内には拝殿とその奥の一段高い所に本殿、社務所が建てられています。

瓦葺・切妻造の平入拝殿は腰板のつく四方吹き抜けのもの。

秋葉神社について愛知県神社名鑑(1992)では以下のように記されています。
『十五等級
秋葉社 旧無格社
鎮座地 豊田市東広瀬町大根三四番地
祭神 迦具土
由 緒 創建は天明5年(1785)2月14日と伝える。
天保13年(1842)11月、境内石垣を造成した。
明治6年5月、据置公許となる。
同44年9月社殿を修復し、大正9年12月25日、拝殿を造営した。
例祭日 10月第3日曜日
社殿 本殿 神明造、覆殿、拝殿
氏子数 150戸』

拝殿から本殿域の眺め。

右側の社務所と一体になった覆殿。

覆殿前を守護する狛犬は平成4年寄進のもの。

覆殿は瓦葺の切妻造妻入で奥に本殿と境内社二社が祀られています。

迦具土命を祀る秋葉神社境内社(社名不明)、左側に小さな大黒様が安置されています。

覆殿から拝殿の建つ境内の眺め。

社務所前には御嶽山大神と小さな石の社が祀られています。

右側に粗く削り出された手水石があり、その後方にはふたつの山神が祀られています。

鎮座地の東広瀬町は江戸時代三河国加茂郡東広瀬村で、すぐ北側を流れる矢作川の浅瀬に開けた地形にあったことからその名がついたとされます。
江戸時代末期の東広瀨村の火防・開運を祈願し祀られたのがはじまり。
本社は金色の鳥居が印象的な静岡県浜松市秋葉山本宮秋葉神社
創建以来、何代にもわたり受け継がれてきた神社です。

秋葉神社豊田市東広瀬町 
創建 / 天明5年(1785)
祭神 / 迦具土
境内社 / 御嶽山大神、山神、不明社
氏子域 / 東広瀬町
例祭日 / 10月第3日曜日
所在地 / 豊田市東広瀬町大根34 
弁財天から秋葉神社まで・車ルート / 県道355号線で​下流に1.4km、​東広瀬町大根地区まで5分​ほど。
参拝日 2025/9/8 

無印良品南乗鞍キャンプ場閉鎖

秋の彼岸も近づいてきて、それと共に日照時間も短くなり、日中の殺人的な気温も少し手加減をしてくれるようになった。

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもの、散歩をしていても朝夕は秋を感じるようになってきました。
動きやすい時期になると、自然と外に出かけたくなるもので、今月・来月と出かける予定が増えてきました。

直近では来週、二泊三日で無印良品南乗鞍キャンプ場のクローズイベントに参加してきます。
クローズイベントとはいえ、今回は『南乗鞍キャンプ場 さよならイベント』。
1996年の開業以来長年お世話になってきた南乗鞍キャンプ場ですが、それも今年限りで閉鎖するとのこと。
サマージャンボリーや乗鞍登山、主ともいえる管理人の方による茸や山菜の収穫体験など、いろいろな思い出を作ってくれた、そのキャンプ場の最後を見届けてこようと思っています。

気になるのが日本の南にいる三つの台風の動きです。
現地は大雨が降るとキャンプ場に繋がる林道の斜面が崩落しやすいところで、過去にも何度か小規模の崩落がおきています。
キャンプの雨は仕方ないが、道が止まると孤立に繋がるので、これが悩ましいところ。
当日はいろんなイベントも予定されており、なんとか天候がもってくれることを祈りたいが、間違いなく雨に降られるだろう。

車も変わり、大荷物が持っていけないだけに、荷物の選択と消耗品の確認・準備、食事のメニューも考えなければ。

往時の南乗鞍キャンプ場は、体験教室など地元の高齢者の雇用の創出の場ともなり、露天風呂や管理された設備など、個人的には津南や嬬恋と比較しても一番整っていた。
熊の出没が相次いだときなど、爆竹を鳴らして夜間パトロールするなど、キャンパーが安心できる雰囲気を作ってくれていました。
30年の時間の経過とともに、管理人の方も亡くなり、村民の高齢化や施設の老朽化が進み、閉鎖は苦渋の選択だったのだろう。
ここがなくなると、無印では津南と嬬恋キャンプ場の二か所となり、この地方からのアクセスが大変になります。
自然に包まれ、プライバシーが確保された静かな環境の無印良品南乗鞍キャンプ場、閉鎖はとても残念だ。

【お知らせ】南乗鞍キャンプ場 最後のイベント開催について

過去記事
予定通り乗鞍キャンプへ

『弁財天』豊田市東広瀬町

国府八柱神社から次の目的地に向かう際、矢作川左岸沿いの山の斜面に弁財天を見かけ立ち寄ってみました。
今回はそちらを掲載します。

上は国府八柱神社の社頭から県道355号線(青矢印)を直進します。
道はすれ違いが困難な対面通行なので、路肩・待避所に近い方が道を譲る気持ちが無いとスムーズに通過できない。矢作川左岸は幅寄せ、バックに自信がない方の走行はお勧めしません。

国府八柱神社から約800m先の県道左脇に複数の奉納旗と赤い祠が見えてきます。
ここが今回の東広瀬町石田の弁財天。
車は近くに草むらがあるのでそちらに駐車しました。
ここから少し先の左の斜面が、野生のシカが道路に下りてきて鉢合わせした場所です。
この道は対向車だけではなく、鬱蒼とした山から突然飛び出してくる野生動物にも注意が必要です。

弁財天全景。

山の斜面に石段を設け、その先に朱塗りの祠が祀られ、右手に案内板が立てられている。

案内板には、四国八十八ヶ所高野山のお砂を安置している旨が記されています。

祠全景。
気付かなかったが、右側にも小さな祠が祀られ、弘法大師と思われる小さな像が安置されています。

祠の中には真新しい御守護の札が収められており、古そうな石板には「弁文表」と刻まれているように見えますが、仮にそうだとしても自分にはその意味は分からない。
弁財天について「豊田市史」に目を通すも、祭祀年代など詳細は不明でした。

『弁財天』豊田市東広瀬町
創建 / 不明
祭神 / 弁財天、弘法大師
境内社 / ・・・
氏子域 / ・・・
例祭日 / ・・・
所在地 / ​​豊田市東広瀬町石田 
国府八柱神社から弁財天まで・車ルート / ​八柱神社社頭を左折し県道355号線を​直進800m、約1分​。
参拝日 2025/9/8 
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『八柱神社』豊田市富田町芦ノ沢
『猿投神社』豊田市藤沢町丸竹
『八柱神社』豊田市国附町宮ノ洞

 

『八柱神社』豊田市国附町宮ノ洞

先に掲載した豊田市富田町 八柱神社、往古は八王子観音として崇敬されていました。
明治2年国附町八柱神社より八神の分霊を請け八柱神社と改めました。
今回は、その国附町八柱神社を掲載します。

写真右手が県道355号線で、参道口と県道の分岐点に立つ八柱神社社標と幟立てが目印になります。
鎮座地は、新富橋から矢作川左岸に渡り、県道355号線で下流に300mほど下った国附町地内のちびっこ広場の西側に社頭を構えます。
この神社のある国附町は江戸時代は国府村と呼ばれ、慶安4年(1651)当時、大島陣屋の石川氏が領地を得たことから地名を「国附」としたといわれ、当神社は石川氏が貞享2(1685)年に創建したと伝えられています。

この参道には車止めはなく、社標から少し奥まった所に石の明神鳥居を構えています。

この鳥居を通過できる車であればこの先の広場に駐車は可能です。
この鳥居の柱には天明2年(1782)、石川阿波守總恒の名が刻まれています。
鳥居は社殿域にも両部鳥居があるので、ここが一ノ鳥居ということになります。

保安林の中の参道を少し進むと、その先は広がりをみせます。

参道の幅からすると、この広々とした空間は、過去に社殿でも建っていたのではと思えるほど広い。
かつては境内に大きな舞台があったとされ、祭礼には、棒の手の奉納や鉄砲の音が響き渡ったようです。

北垂れの斜面に続く石段、社殿はこの先の左側になります。
この保安林全体が社叢で「八柱神社社叢林」として豊田市の名木に指定されています。

朱塗られた木造両部鳥居から社殿の眺め。
社叢に包まれた入母屋茅葺屋根の拝殿は実に趣があり、印象に残る佇まいです。

国附町を見下ろす高台に作られた境内西側の手水舎。

手水舎から社殿全景。
境内に由緒書きはなく、当神社の歴史について愛知県神社名鑑(1992)は以下のように記しています。
『十二等級 八柱神社 旧指定村社
鎮座地 豊田市国附町宮ノ洞193番地
由 緒 創建は明らかでないが、古くは八王子大権現と称し、江戸時代は領主石川氏代々崇敬あつく社殿の造営、社領の寄進、祭事の執行等について尽瘁せられた、石川氏初任の国附で地名も国附となる。
石川氏は七千石領内56ヶ村みな崇敬する。
別当桜洞寺維新に際し廃止する。
境内社御鍬社は明和4年(1767)6月28日、秋葉社は宝歴5年(1755) 3月の創立なり。
明治5年10月12日、村社に、昭和20年12月15日、指定社となる。
氏子は鎮座地の国附町と隣村の東広瀬町上切と東加茂郡足助町大河原地区を含めた近隣では一番大きく編成されたが終戦後分離した。
例祭日 10月15日
社殿 本殿流造、覆殿、拝殿、神饌所、神庫
氏子数 二四戸』

神社は貞享2年(1685)に石川氏が創建したと伝わり、元禄12年(1699)に石川氏三代總乗が家督を承継、その御礼として当神社に元禄14(1701)年に一振りの剣が寄進されたということです。
豊田市郷土資料館だより」によれば、当神社には「八柱神社記録」があり、『宝物 剣 壱振 但 三ッ葵紋付キアリ 銘 康継 元禄十四年三月吉日 源總乗』と書いてあるそうで、現在は豊田市郷土資料館に寄託されています。

拝殿前の境内社
左が明和4年(1767)創立の御鍬社、右が宝歴5年(1755)創立の秋葉社

拝殿全景。
正面と後方には黒い腰板に朱色の連子窓が施され、後方は渡り廊下で覆殿と結ばれています。
覆殿の左右に神饌所、神庫があります。

正面右側に「金的中」の奉納額が掛けられており、文字は脱色し奉納年月日は読み取れませんが、かつては弓術の競射が行われていたようです。

拝殿後方の渡廊と覆殿。
ひと昔前のこの辺り、冬ともなれば大雪が降るところ。
温暖化の昨今は雪より、程度を知らない降雨から本殿を護るためにも、こうした大きな覆殿も必要なんだろう。

本殿は檜皮葺の流造のように見え、木鼻は象を模したシンプルな意匠。
ここに天忍穂耳命天穂日命天津彦根命、活津彦根命、熊野橡樟日命、市寸島姫命田心姫命湍津姫命の八柱が祀られている。

古くは八王子大権現と呼ばれ、いつから八柱神社に改められたものか定かではないが、国府村の鎮守として江戸時代以前から鎮座していたのかもしれません。

八柱神社豊田市国附町宮ノ洞
創建 / 不明(貞享2年)
祭神 / 天忍穂耳命天穂日命天津彦根命、活津彦根命、熊野橡樟日命、市寸島姫命田心姫命湍津姫命
境内社 / 御鍬社、秋葉社
氏子域 / 豊田市国附町
例祭日 / 10月第4日曜日
所在地 / ​​豊田市国附町宮ノ洞193 
猿投神社から国府八柱神社まで・車ルート / ​県道11号線を下流の新富橋に向かい、矢作川の対岸へ、橋を渡って突き当り右折、県道355号線で国附町地内のちびっこ広場へ。​移動時間5分、距離2.5km​。
参拝日 2025/9/8
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『八柱神社』豊田市富田町芦ノ沢
『猿投神社』豊田市藤沢町丸竹

『猿投神社』豊田市藤沢町丸竹

八柱神社から県道11号線を2~3分ほど上流に向かい豊田市藤沢町地内に向かいます。
阿摺ダム下流300mの県道11号線沿いに立つルネッサンス高等学校の看板から左に入った山腹に鎮座するのが藤沢町猿投神社。
8月に一度訪れましたが、社頭を見つけられず諦めた経緯があり再び訪れました。

県道から細い道を左に入るとすぐ右にルネッサンス高等学校の校舎が現れます。
猿投神社の入口は写真の「なかよしの像」と「藤沢小学校100周年記念碑」の右側です。
現在の藤沢小学校は2010年に廃校となり、現在はルネッサンス高等学校が校舎として転用されています。

参拝社駐車場がないので、県道を300mほど阿摺ダムに進み、右手の旧道の入口付近に駐車し5分程歩いてきました。

神社入口の全景。
学校の通用口に続く道が神社入口になります。
前回はここを見落とし、左に続く細い山道に踏み込み、Uターンスペースもなく、随分奥まで行ってようやく戻ってきました。

右手を進むと写真の藤沢薬師堂が鎮座します。

鎮座地の藤沢町は、江戸時代三河国加茂郡藤沢村で、藤沢の由来は、この辺りが藤の生い茂る沢があることから藤沢と呼ばれるようになったという。
藤沢薬師堂は藤沢町の入口の山裾に建てられ、現在の堂は平成5年に建替えられた入母屋瓦葺の妻入りの堂で、外陣は吹き抜けの床板張り、内陣が本尊を安置する堂になっています。
堂の左に弔忠碑が建てられ、右手後方の鳥居が藤沢町 猿投神社の社頭。
この一画は藤沢集落の鎮魂と信仰の場となっているようです。

藤沢薬師堂。
地元では「お薬師さま」として崇敬されている。
本尊の薬師如来と脇侍に日光菩薩を安置している。
創建時期は不明ですが、矢作川が今日のように多くのダムや橋が架けられる以前、村人や旅人の安全を祈願して祀られたのがはじまり。
後に、筏による資材運搬に従事する村民の安全も祈願するようになった。

今も集落住民が当番制で日々お世話しているようです。

薬師堂から左手に進むと写真の猿投神社社頭があります。
右手に「村社 猿投神社」の社号標と神明鳥居が立っており、山裾沿いに参道が上に伸びています。

参道の先の境内。
校舎の裏側の山肌を整地した広い境内、正面に見えているのが社務所だと思われます。
本殿・拝殿の社殿は左の石段の先になります。

社殿全景。
社務所がある境内より、更に高い山の斜面の上に社殿が建てられており、右手の白壁の建物が象徴的な存在となっています。

石段から拝殿方向の眺め。
猿投神社境内に解説はなく、愛知県神社名鑑(1992) から確認してみました。
『十五等級 猿投神社 旧村社
鎮座地 豊田市藤沢町丸竹181番地
祭神 大碓命
由緒 創建は明らかでないが、藤沢の氏神として村民深く尊崇する。
明治六年五月、村社に列格した。
例祭日 十月十六日
社殿 本殿 神明造、覆殿、拝殿、社務所、神庫
神賑行事 鎌田流棒の手と豊作の年は献馬を奉納、棒の手は昭和三十三年三月県無形文化財指定
宝物 葵のご定紋付き献馬山車(ダシ一式)八幡大郎義家公鎧着武者姿の木偶(人形)氏子数 三五戸』

三河国西加茂郡誌(1892)、豊田市史(1978)にも目を通すが、猿投社・猿投神社として社名の記載はあるが神社名鑑以上の情報は得られなかった。

石段途中の狛犬
タイトな場所に安置されており、寄進年は確認できなかった。

拝殿正面全景。
正面の小壁に蛇のように白くて長いものが飾られています。

拝殿左の手水鉢。

拝殿側面の全景。
四方吹き抜けの切妻瓦葺の妻入り拝殿。

拝殿妻壁に龍の彫飾りが施されています。

拝殿から神門方向の眺め、白い蛇のように見えていたのは白龍だった。

蛇も龍も似たようなものだが、龍は空想の生きものだと思えば抵抗はないが、こうした雰囲気のなか、蛇の姿が脳裏に刻まれると良からぬことを想像するのでどうも駄目だ。
それにしても立派な「龍」だこと。

本殿域全景。
透かし塀が両側面から神門に繋がるもので、側面に回り込むと覆殿が露わになる。

大きな覆殿の下の本殿は神明造。
藤沢町 猿投神社は、豊田市猿投町大城に鎮座する三河国三ノ宮 猿投神社から勧請されたもので、大碓命をお祀りする。
御神体である猿投山西峯の西宮の背後には、宮内庁管理の大碓命の墓があります。

拝殿右の倉造りの神庫。
神社名鑑にある宝物がここに保管されているのだろうか。

参拝を終え拝殿から下の境内を眺める。
猿投山の里宮から西宮へ行こうと思うと、熊鈴を鳴らしながら往復で半日ほど要しますが、藤沢町の猿投神社は県道から僅か10分程もあれば参拝できます。


『猿投神社』豊田市藤沢町丸竹
創建 / 不明
祭神 / 大碓命
境内社 / ・・・
氏子域 / 豊田市藤沢町
例祭日 / 10月第4日曜日
所在地 / ​​豊田市藤沢町丸竹181
八柱神社から猿投神社まで・車ルート / ​県道11号線で矢作川上流に1.4km北上、藤沢町丸竹地内で左折、移動時間5分以内​。
参拝日 2025/9/8
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『八柱神社』豊田市富田町芦ノ沢
過去記事
・​猿投神社 §5 西の宮

『八柱神社』豊田市富田町芦ノ沢

9月に入っても相変わらず暑い日が続いています。
外に出かける気分ではないが、写真の在庫もないことだし、矢作川のシラハエ釣りを目的に気合を入れて出かけてきました。
目的地は8月に訪れた豊田市枝下町、そこから県道11号線で矢作川上流を目指しました。

写真は阿摺ダム下流約1kmほどの豊田市富田町足ノ沢地内の矢作川の様相。
普段なら澄んだ流れの矢作川ですが、この日は土砂交じりの濁った流れで、釣りやカヌーを繰り出す気分にはなれない。

上の看板から県道を挟んだ北側の眺め。
写真左側の道の入口に社号標が立っていることに気付き、車を停めたままにして神社に向かってみました。

県道脇の参道口、右手に「村社 八柱神社」の社号標が立てられています。
参道はここから集落を抜け、右手の小高い山に続き、社殿は約400mほど進んだ山中に鎮座しています。

集落から右手方向の山中に続く簡易舗装の道をひたすら上った先になります。
写真撮影データでは参道口から神社の鳥居まで徒歩で10分ほど先にあります。
軽四駆なら行けなくもないと感じるかもしれませんが、この先幅員は狭くなり、転回スペースもないので戻りはバックです、冒険はしない方が賢明です。

参道中ほどの光景。
切通の周囲は竹や広葉樹が生い茂り、何やら不穏な気配を感じさせる道です。
八柱神社に訪れる前に、良からぬ想像を掻き立てる出来事がありました。
それは矢作川左岸の豊田市国附町下高瀬付近を走行中、山の斜面から大きな雌鹿が車道に下りてきて、急ブレーキを踏むことになりました。
鹿も車に吃驚して車道で一瞬睨みあっていましたが、すぐに山に戻っていきました。
夜間ならともかく、人里近くの日中でも鹿は動き回っているのです。
写真撮れば良かったと後悔したが、時間にして僅かなものだろう、一方で熊や猪でなく良かったと安堵する場面が脳裏に刷り込まれています。

余談ですが、長い渓流釣りの経験でも、大型の野生動物と対峙したことはあっても、こんな里山で日中に対峙する経験ははじめての事。
周辺の田畑では電気柵が張られ、極端な例で田畑と住居全体を柵で囲みその中で人が活動している場面も見受けます。

過剰な保護と猟師の減少で、食べなくなり個体数が増えすぎていることを実感します。
個人的感想として鹿の刺身は絶品、熊は固い、猪は臭いそんな印象です。
話がそれた、拍手をしながら山道を進む事にします。

枯れ枝や枯れ葉の堆積する参道を更に5分程進むと森は開け、鳥居の姿が現れます。

高い幟立てと、それを凌ぐ高さの二本の杉が聳えています。

鳥居から社殿の眺め。
山の中腹から氏子の集落を見下ろすようにひっそりと佇んでいます。

鳥居の柱に「三庚子年」とあったが元号が読み取れなかった。
恐らく明治三十三年の寄進かと思われます。

鬱蒼とした森の中の境内から社殿方向を見上げる。

拝殿から更に一段上の覆殿の眺め。
愛知県神社名鑑(1922)では富田町 八柱神社について以下のように記しています。
『十五等級 八柱神社 旧村社
鎮座地 豊田市富田町足ノ沢一六〇番地
由緒 社伝に、創建は応永十年(1403)勧請という。
古来里俗産土神として崇敬する。
本地仏観音像をまつり八王子観音と称した。
明治制度改めにより廃止し明治二年国附の八柱神社より分霊を請け改めて八神を祀る。
同五年十月、村社に列格した。
例祭日 十月十四日。
社殿 本殿 神明造、覆殿、幣殿、拝殿、神饌所
氏子数 20戸』とありました。

室町時代の鎮座地富田は高橋荘の荘域の一部で、現在に至るまで代々受け継がれてきた歴史ある神社。

拝殿左から本殿を収める覆殿の全景。
覆殿入口左側に手水鉢が置かれていますが、境内に狛犬の姿はありません。

覆殿正面全景。

ガラス越しに覆殿の中を撮ってみると、朧げに浮かび上がった本殿の姿は神明造の特徴の棟持柱が見られます。
ここに祀られているのは五男三女神
猿投山周辺には八柱神社八王子神社が多く祀られているように思えます。
もともとは長い歴史を持つ神仏習合であったものを、明治政府の神仏分離令により、須佐之男命の八柱の御子神に置き換えざるをえなかったのだろう、一部には神仏習合時の面影を伝える社標などが残されている神社も見られます。

拝殿から鳥居の方向の眺め。
古来の富田町の産土神として本地仏観音像を祀ってきた八王子観音。
往時の姿と崇敬対象は違うかもしれないが、地域の産土神として大切に受け継がれています。
今回、分霊を請けた「国附の八柱神社」にも参拝しているので日を改めて掲載する事にします。

境内から鳥居の眺め。
集落から少し離れた山中にありながら、参道は蜘蛛の巣もなく、人の往来があるようで、境内も人の手が入っているのが良く分かります。

八柱神社豊田市富田町芦ノ沢
創建 / 応永十年(1403)
祭神 / 天忍穂耳命天穂日命天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命、市杵島姫命湍津姫命田心姫命
境内社 / ・・・
氏子域 / 豊田市富田町
例祭日 / 10月第2日曜日
所在地 / ​​豊田市富田町足ノ沢160
猿投グリーンロード枝下ICから八柱神社まで・車ルート / ICを降り枝下町舞木道交差点左折、県道11号線で4.4km直進、新富国橋をくぐった左。​移動時間6分​。
参拝日 2025/9/8
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