『中山神明社』 名古屋市瑞穂区中山町

名古屋市瑞穂区中山町の「中山神明社」へ参拝
所在地は名古屋市立大学山の畑キャンパスの東と書けばイメージしやすいでしょうか

f:id:owari-nagoya55:20190818105201j:plainキャンパスの東側の通りから北方向の眺め、直ぐ先に昭和税務署があり、その先は東西に伸びる八熊通りが見えています

f:id:owari-nagoya55:20190818105231j:plain通りから東を眺めると住宅街に「ここが中山神明社だよ」と云わんばかりに杜が見えています

f:id:owari-nagoya55:20190818105253j:plain中山神社を西側から見た眺め

f:id:owari-nagoya55:20190818105332j:plain南から見た全景、街中にあってこの杜はとても存在感があります

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鳥居前から境内の眺め、鳥居の先の吹き抜け拝殿、左右に末社がある様です

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神社入口の由緒書き、細かく記録されこれを見る事で神社の生い立ちが良くわかります
内容は
「1667年(寛文7)、名古屋南寺町の養林寺の住職、専誉上人(せんよしょうにん)、愛知県高田村字藤塚の古墳上に祠を建立、天照皇大神を奉祀したのが神社の起源である。
以来、1692年(元禄5)呑良上人、1754年(宝暦4)に明誉上人により熱田大神若宮八幡社を歓進合祀。
1907年(明治40)県立第五中学校、国立第八高等学校開校の為現在地に遷宮
1923年(大正12)社殿を造営。
1937年(昭和12)神域を拡張。1939年(昭和14)秋葉社、天王社を合祀。
1984年(昭和59)神木を龍神として奉祀。
1987年(昭和62)大宰府天満宮を歓進合祀。」とあります

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今昔マップで明治・大正・現在と見比べてみます
由緒に出てくる高田村藤塚、現在のキャンパスを含め昭和税務署一帯が西藤塚として地名が残っています
瑞穂台地には塚も含めると相当数の古墳があり、八高古墳(青丸)はキャンパス内に現存し、ここから遷宮されたようです
キャンパス内には、5世紀中頃の円墳と前方後円墳の二つがあり、原形は留めていないながらも残存するそうです
八高古墳の名は国立第八高等学校の八高から付いた様です
上段左が遷宮前の明治24年の当地ですが、鳥居マークは出て来ません
下の大正になって国立第八高等学校や鳥居が表れてきます

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境内に入ると、大正12年と刻まれた玉垣、燈籠は社殿造営時の献納されたものです
その先の左が手水舎

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眼光鋭い青光りした龍は綺麗な清水を満たしてくれています

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街中の神社なのでそれ程広いものではありません
しかし、拝殿、社務所境内社もありながら良く纏まっていて境内は意外に広く感じます

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拝殿前の狛犬の達

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拝殿前景、切妻瓦葺の吹き抜け拝殿、賽銭箱に五七の桐
派手な飾り金具で着飾る事無く、シックな佇まい

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拝殿、本殿と右の建物が社務所

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拝殿扁額(左)と本殿側の軒下の奉納額、☆と梅?、つるはし?つながりは分からない

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本殿全景
大きなムクノキが作る木陰の下で南を向いて祀られています

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本殿左の三社を参ります

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左から津島社、秋葉社熱田神宮と並びます

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次に本殿右の神明天満宮を参ります

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神明天満宮全景
絵馬には道真公の姿が描かれています
1987年大宰府天満宮を合祀とあります、梅紋や撫で牛は見当たりません
社号標の脇に「飛梅」がありますが、それを主張するものはそれくらいです

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境内東外れの社務所

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拝殿右に聳え立つ楠木、正面に鳥居を構えた神明龍神
大きな木の立ち姿には神々しさを感じるものです、そうした場所には白蛇や龍が住むと語り継がれます

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神明天満宮右脇のムクノキ、保存樹として年輪を重ねていくとやがて白蛇が住みつくのでしょうね
古墳の上で鎮座し続ける事ができた神社もあれば、引っ越しするしかない神社もあるけれど
境内の手入れの良さ、由緒書きなど氏子に厚く崇拝されている事から、ここ中山神明社は引っ越して来て正解だったのでは
「中山神明社
創建 / 1667年(寛文7)
祭神 / 天照大御神
境内社 / 秋葉社熱田神宮、津島社、神明天満宮龍神
住所 / 名古屋市瑞穂区中山町2-5