長野県松本市浅間温泉『西宮恵比寿神社・東泉部薬師堂・不動院』

薬師堂から湯之街通りの坂を上り今晩の宿に向かう

f:id:owari-nagoya55:20191014103116j:plain正面に大音寺山が迫る三叉路で西宮恵比寿神社の案内を見かけ
食事の時間にはまだ余裕もあり立ち寄ってみる事にしました
神社はこの道を真っ直ぐ進んだ方向の様です

天武天皇の頃684年(白鳳14)には既に「信濃に遣わして行官を造らしむ 束間の温湯に」と記されている

f:id:owari-nagoya55:20191014103125j:plain間もなく墓地に突き当り、道を間違えた?と思いますが、少し入ると左に鳥居が見えホッとする
夕暮れが迫る墓地はなんとなく抵抗があります

f:id:owari-nagoya55:20191014103137j:plain墓地を背に小さな堂があります
お参りしていく事にします、この堂は東泉部薬師堂と云うそうです
右の案内板には以下のように記されています
「古くは湯薬師として下方の荒湯源泉の所にあった、寛保2年(1742)横谷沢の大水害で流され、下浅間に移転した
昭和63年浅間文化財修理の寄付の際本尊を購入、平成5年寄付によりここに堂を新築、本尊を安置」
比較的最近に建てられた堂のようです

f:id:owari-nagoya55:20191014103148j:plain堂の右には句碑が二つ
左が芭蕉の句碑で「春雨の木下につとふ 雫かな」、右は老鼠堂機一で「咲て見せ 散ってみせたるさくらかな」と記されています
浅間温泉の歴史は古く、近くに縄文時代の遺跡が発掘されされるなど、古くから人が生活を営んでいた
その記述は日本書紀万葉集にも残り、正岡子規伊藤左千夫からなる「アララギ派」発祥の地とされる、その事を示すかの様に一帯には多くの歌碑が建てられています

f:id:owari-nagoya55:20191014103159j:plain墓地から離れ西宮恵比寿神社へ向かいます
左に手水鉢があり、石鳥居の右が社殿となっています、正面は社務所かな?

f:id:owari-nagoya55:20191014103209j:plain既に灯が入りました
拝殿と社殿は大音寺山を背にして、浅間温泉街を見下ろす様に鎮座しています
拝殿正面には小さな狛犬が一対

f:id:owari-nagoya55:20191014103221j:plain 西宮恵比寿神社全景

商売の神様「えべっさん」を祀る神社です
1891年(明治24)摂津國西宮神社(兵庫県西宮市)から勧請し、西宮講社松本事務所として創建されたのが始まりのようです
社殿は1925年(大正14)、今とは別の松本市深志3丁目に建てられていたが、1952年(昭和27)現在地に本殿、翌年に幣殿と拝殿が増築され現在に至る様です(浅間温泉旅館協同組合マップより)

この内容について現地案内板と年代に多少の乖離があるようですが、ここではマップの年代を引用しています

f:id:owari-nagoya55:20191014103232j:plain精いっぱい目を見開き拝殿を守る小さな狛犬

f:id:owari-nagoya55:20191014103244j:plain 西宮大神の扁額
社務所へは回廊でつながり、その中央に拝殿、幣殿、本殿が一体となっています

f:id:owari-nagoya55:20191014103255j:plain流造の本殿は幣殿と一体となっているけれど、こうして見ると大胆なつながり方をしています

f:id:owari-nagoya55:20191014103305j:plain境内右の大きな石碑
当初は何が彫られているのか良くわからなかった
こうして改めて見ると大きな「大黒天」が描かれていました
1924年(大正13)の建立で作者は太田南海作

f:id:owari-nagoya55:20191014103314j:plain 社号標の右側に上に登る道が伸び、入口には不動院の看板が掲げられています

f:id:owari-nagoya55:20191014103323j:plain登り始めて直ぐに道祖神、手に何を持っているのかよく分からないけれど、とても穏やかな表情で描かれています
道祖神は地域の守り神として集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄を祈願して石碑や石像の形態で祀られています
ここ浅間温泉は現在は上浅間、下浅間と呼ばれていますが、古くは上浅間は横手、流、山田、倉下、湯坂と下浅間は横町、立町、裏町、庚申町と細かく分かれていて、温泉街を歩いていると至る所に道祖神を見かけます

f:id:owari-nagoya55:20191014103337j:plain境内から西宮恵比寿神社方向の眺め
参道沿いには複数の地蔵が安置されています

f:id:owari-nagoya55:20191014103347j:plain不動院
江戸時代は上浅間の三才山道の傍らにあったという
明治4年に廃院となり、昭和15年に現在の地に宗教結社
本尊の不動明王は眼病と火の災いに霊験あらたかと云われ、鬼の様な形相は苦しむ人々を必ずや救うという決意が表情に表れたもの

f:id:owari-nagoya55:20191014103358j:plain色褪せた不動院扁額

f:id:owari-nagoya55:20191014103409j:plain 境内右に三社と地蔵が祀られているけれど詳細は不明
訪れた時は、右の倒木が稲荷社と思われる社を押し潰し、鳥居もなぎ倒され痛々しい状態で近づくのに躊躇する状態でした

f:id:owari-nagoya55:20191014103423j:plain境内で見かけた庚申塔と二十三夜塔
民間信仰のひとつで、月を信仰の対象とする講員が集まり、月を拝みお経を唱え飲食を共にする月待行事を行うもの、この塔はそうした場所に
建てられるものらしい
二十三夜講以外にも十五夜十六夜、十九夜、二十二夜など特定の月齢の夜に月待行事を行う講があるようです、今もここで続いているかは定かではありません

二十三夜塔から道は更に上に続きますが、少し登って先を見てきましたが、ここは親子ひろば展望台に続く全長296㍍の北遊歩道の様です

f:id:owari-nagoya55:20191014103433j:plain不動の滝
不動院の左手から下に降りる小道があり、そこを少し下ると小さな滝がある
カラフルな不動明王が見守る中、ここで修業をするのだろう

f:id:owari-nagoya55:20191014103445j:plain来た道を戻るのも如何なものか、小道をそのまま降りる事にします
その途中に「虹はいて 夏よせつけぬ 瀑布かな」と彫られた花ノ本聴秋の句碑がある
そこから少し下り、石橋を渡ると視界は開け、細い小道は更に温泉街へと続いています

f:id:owari-nagoya55:20191014103457j:plain篠田焼登り窯の案内板
多治見の荒廃した窯跡で使用していた窯瓦を使用
1946年(昭和21)に京都清水焼の登り窯をモデルに四分の一サイズでこの場に作られたとある
草に覆われ釜らしき外観はわからずじまい

温泉街に続く道路に合流したあたりに再び大きな石標「開道記念碑」
1921年(大正10)に浅間から三才山へ行く浅間峠の道路改修記念に建立(碑文は老鼠堂機一)


往時は松本市から浅間温泉まで路面電車(1964年廃線)がつながり賑わったようですが、今は解体中のホテルや廃業した温泉宿が目に入り、寂れた印象が漂うけれど、往時の名残を一部にとどめています
静かな温泉地を求めるならいいところです


西宮恵比寿神社/東泉部薬師堂/不動院
住所 / 長野県松本市浅間温泉3丁目10-6
アクセス / 安曇野ICから20分程

今回の台風19号で被災した長野県の方々お見舞い申し上げます
早い日常への復旧を祈ると共に見慣れた光景の様変わりを見ると他人事とは思えません
明日は我が身、長野に行く機会を作ろう