地下鉄名城線堀田駅から徒歩で1~2分のところに「濱神明社」が鎮座します 神社南側には100均ショップがあり分かり易い
神社は東側道路に面し、鳥居と本殿は東を向いて祀られています
道路を挟んだ反対側に手水舎と社務所?があります
手水鉢には清水は注がれていません
「濱神明社」全景
境内西側はマンションが迫り、両側を店舗とビルに挟まれています
街中で良く見かける神社の光景です
右に大きな社号標、正面に三社祀られているようです
街中の境内、けっして広いものではないですし、この収まり方は近隣から遷座してきた
結果なのかもしれません
社号標 なかなかに立派なものです
左に名古屋市教育委員会解説板と見所案内板(東ノ宮神社) この一帯を記載する時に決
まって「この一帯は過去は海または海岸線、新田開発により田園化された地域・・・・・」
という流れになりますが、ここ濱神明社のある瑞穂区塩入町も正にそれです
昔のこの辺りは呼続の浜と呼ばれ渡付場があったあたり
名古屋市の史跡巡りには以下の様に解説されています
「昔のこの辺りは呼続の浜と呼ばれ渡付場があった 東北、土居の浜には塩焼所があり神宮に塩を奉納していた
天白川の築堤後は田園となり害虫を除き五穀豊穣を祈るため、天照大神を祀った 明治41年津賀田神社に合祀されたが、昭和15年現地に遷座された
境内には天正17年1589年の刻銘がある市内最古の月待供養碑、神道関係の碑として珍しい斗帳寄進碑(対のうちの一基は津賀田神社にある)
とある こちらを訪れた際は、上の解説板を見て頂ければ見落としがないかも知れません
境内社全景 左右に常夜灯と、石積みの神域に三社が祀られています
右手の碑が解説板にあった市内最古と言われる月待供養塔、左に燈籠の陰で見えませんが斗帳寄進碑があります
祭神は天照大神、左右の小社は不明 (写真は3枚張り合わせ)
十七夜月待供養塔、驚くのは1589年(天正17)に刻まれた文字が今も明瞭に読み取れる事
「天正十七年巳丑五月吉日 敬白十七夜待開眼供養の所 尾州愛知郡分野住人四郎五郎 現世安穏後生善所」 三つの〇の中に丸の中の梵字は種字といい、仏を一文字で表したもの
左は不動明王を表す「カーン」、左が毘沙門天の「ベイ」、そして中央に勢至菩薩の「サク」と刻まれ、中央部分が五輪塔に彫られているのを見ると思いますが「キャカラバア」と言うそうです 空輪、風輪、火輪、水輪、地輪を表します
神域左の斗帳寄進碑 斗帳寄進碑は伊勢神宮に斗帳(幔幕)を寄進し祈願成就を祈った記念碑
これの対になるものが津賀田神社にあるという こちらの碑は表面が風化し、書いてあるのは分かりますが読み取れません
十七夜月待供養塔の前の皐月の植え込みの下の石に「西行腰掛石」
西行法師が熱田神宮で「かくばかり 木陰すずしき 宮立ちを 誰が熱たと 名づけ初めけむ」と詠んだことから、彼の熱烈なファンが寄進したものだと言います
実際に西行法師かここに腰掛けたというものではない様ですが、上部には手形も彫られ、側面に西行法師腰掛石と彫られています
腰掛けるには丁度いい形はしています
境内から鳥居方向の眺め 昭和13年建之の鳥居から先は本来参道が伸びていて、道路により分断されたということだろう
塩入町の濱神明社、海は遠く離れてしまったけれど、その昔ここが海に接していたことを表す語り部のような存在です
濱神明社 創建 / 不明
祭神 / 天照大神
住所 / 名古屋市瑞穂区塩入町14-5
アクセス / 地下鉄名城線「堀田」駅下車北に1分