『西八龍社』名古屋市北区中味鋺

名古屋市北区味鋺
東龍神社​から庄内川右岸堤防の道路沿いを西(下流)へしばらく歩く
やがての堤防の下に鎮座する緑の屋根の神社が見えてきます
東があれば西もある、という事で西八龍社が今回の目的地です

現在は直線的に流れる庄内川も以前は蛇行を繰り返し、氾濫も頻発した地域
河は人々に苦難を与えると共に豊かな土壌を与えて来た
ここに住む人々はそうした河と共に生活を営んで来ています
その環境からは独特の文化や​水屋​という知恵も生まれてきます

f:id:owari-nagoya55:20191114103838j:plain西八龍社は堤防道路の下に鎮座していますが、昔の堤は現在より川側にせり出していた所に鎮座していたと云われます(上の写真は左が明治右が現在)
戦火で焼かれ本殿以外は焼失、1950年(昭和25)から始まった大規模な庄内川改修工事で、せり出し部分を北に下げて新しく堤を築く事になり、それに伴い西八龍社は移転を余儀なくされ現在地に幣殿・拝殿・社務所を再建したようです
それから時も過ぎ、2018年改築工事の手が入ったようです

f:id:owari-nagoya55:20191114103849j:plain庄内川の堤から右に降りていくと、右手に社殿も見えています
堤から下に続く参道?には神社幟を立てる柱があります

f:id:owari-nagoya55:20191114103902j:plain堤防の中ほどから境内全景の眺め
右に社号標、鳥居が建ち、境内には左手の榎など立派な木々が聳えています
榎の黄葉も終盤を迎え、落葉の時期を迎えています

f:id:owari-nagoya55:20191114103911j:plain鳥居前(昭和11)から下流側の眺め
堤防との高低差を感じる事が出来ると思います
近年の異常降雨、水位が堤を超えた時、周辺は二階部分のみならず、一体は湖沼の様になってしまう土地柄

f:id:owari-nagoya55:20191114103919j:plain 移転が昭和、改修が2018年なので、それを機に建てられたと思われる社号標
表面は鏡のように周囲の風景を映し出しています

f:id:owari-nagoya55:20191114103928j:plain鳥居から境内の眺め
楽殿の先に緑も鮮やかな屋根を持つ真新しい社殿が並びます
今は浮いた感じがしますが時間と共に落ちいていくと思います
綺麗な境内です

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境内左の榎の脇に手水石

f:id:owari-nagoya55:20191114103948j:plain 社殿全景
右が社務所、中央が拝殿、左が御神木の覆屋

f:id:owari-nagoya55:20191114103957j:plain 左の御神木
これがこの神社のシンボルと云える存在

f:id:owari-nagoya55:20191114104007j:plain 元は中が空洞の杉の古木
こうした古木には不思議な話がつきものです
雷が落ちた、中に住みついた獣を煙で追い出そうとした等、色々な謂れがあるようですが
どれが正解であろうが大きな問題ではないような気がします

人の力では何ともし難い自然の事象、そこから生まれる畏怖の念は神(摩訶不思議なもの)の存在を意識し、敬う心が芽ばえてくるのは当然のこと
「火のない所に煙りは・・・・・」ではないけれど、それにつながる事象があったのでしょう
個人的には落雷の痕跡に見えます

西八龍社の創建は921~938年(承平年間)と伝えられる古社ですが、1818~1830年(文政年間)にかけて雷除けの神、日乞いの神として厚く崇敬されたと言われます
それは現在もそのまま受け継がれています

f:id:owari-nagoya55:20191114104019j:plain解説板
「雷が落ちて焦げたとされる「杉の大木」
「雷除」神社として知られる西八龍社のシンボルとして伝えられる」
とあります
確かに杉の巨木の空洞の内側は真っ黒に炭化し、雷が落ちたと云われると頷けます

・・・・・? 雷が落ちた木が雷除け?
そこにはまた何かがあるのでしょうね

怖い物として「地震・雷・火事・おやじ」と良く聞いたものですが
最近「おやじ」の威厳は落ちるところまで落ち、街からは「雷おやじ」も絶滅危惧種
今のご時世は「地震・雷・火事・洪水」なのかも知れません

f:id:owari-nagoya55:20191114104029j:plain大きなガラス窓から外光が良く入る明るい拝殿、木肌は見るからに新しく清々しい
拝殿から回廊で左の社務所に繋がっています

通称「かみなり神社」と呼ばれ、古くから、雷除け・日乞いの神として敬われ、地元のみならず、遠方からも参拝に訪れるようです
神紋は三つ巴

f:id:owari-nagoya55:20191114104040j:plain 西八龍社略記
祭神 / 高龍神
創建 / 不明(承平年間931~938)、朱雀天皇の御代と伝えられている

「移設に際しては霊験を恐れ手がけられなかったところ、氏子総代などに依頼して移築が叶った」
「霊験を恐れて」とは以下のようなことらしい
1943年(昭和18)、春日井市にある名古屋陸軍造兵廠鳥居松工場の廃水施設のため、地蔵川の改修工事が行われたそうです
工事は水分橋の西から庄内川の右岸にかけて行われ、工事は進み西八龍社の境内に入ったところ、工事に従事していた作業者は次々に病気になった
それは神域を犯した祟りとされ、工事は頓挫してしまったそうです
1950年の移転の際も工事関係者はその事があり請け負うものがいなかったようです
それを形にしたのが氏子達と言う事です

f:id:owari-nagoya55:20191114104051j:plain本殿
光物の少ない素朴な流造
後方には杉が杜を作っています
御神木の幹の太さと比較すると植えられた年代は違うようです

f:id:owari-nagoya55:20191114104107j:plain本殿前の燈籠
竿の部分に何か彫られているようですが、年代ではなく奉納者のお名前の様です

f:id:owari-nagoya55:20191114104119j:plain角の取れた石を高く積み上げ、その上に本殿が祀られています
この高さも水を意識したものでしょうか

f:id:owari-nagoya55:20191114104132j:plain控えめな社殿にあって、金色にあつらわれたの三つ巴の神紋が輝いています

f:id:owari-nagoya55:20191114104321j:plain綺麗に改修された境内西側からの眺め

f:id:owari-nagoya55:20191114104333j:plain鳥居左の榎も移転の際に植えられたものでしょう、今では見上げるばかりに大きく根付き
空を遮るように枝が伸びています

f:id:owari-nagoya55:20191114104345j:plain この地の時の移り変わりを語り継いで行く榎
古い地名や古木、その地を伝える語り部であり、付き合い方を教えてくれるものです

西八龍社
住所 / 名古屋市北区味鋺1-203
アクセス / 名鉄小牧線味鋺」下車 西へ、​東龍(東八龍)神社経由で徒歩25分程
御朱印は​味鋺神社​で頂けるようです