『虎渓山 永保寺』

岐阜県多治見市虎渓山町「永保寺」

f:id:owari-nagoya55:20191212092442j:plain 「永保寺」へはJR中央線の北側の駐車場から歩いて向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20191212092508j:plain 駐車場脇に永保寺伽藍の案内板もあり迷う事はないと思います。

f:id:owari-nagoya55:20191212092530j:plainJR中央線の踏切を越えると分かれ道、燈籠のある右側の参道を進みます。
後は5分程歩けば永保寺に至ります。

f:id:owari-nagoya55:20191212092555j:plain 参道沿いの寒桜が丁度見頃を迎えていました。

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 参道左に臨済宗南禅寺派、虎渓山東雲峰続芳院
永保寺の三つの塔頭寺院の一つ

f:id:owari-nagoya55:20191212092749j:plain手入れされた庭園の先に入母屋瓦葺の本堂
開基は1402年と云われ、本尊は聖観世音菩薩坐像
本堂左に五三桐の鬼瓦と虎渓西国三十三観音の第三十ニ番の千手観音石像が安置されています。

f:id:owari-nagoya55:20191212092811j:plain 虎渓西国三十三観音イラストマップ
西国三十三番全てを周るには時間も費用もかかる重たい課題です。
虎渓山一帯には全てが安置され、上手くすると一日で拝めます。
その時にはとても役立つありがたいマップです。

f:id:owari-nagoya55:20191212092835j:plain 続芳院を過ぎ、徳林院を右手に眺めながら緩やかに下る参道を進みます。

f:id:owari-nagoya55:20191212092903j:plain 間もなく左手に永保寺の方丈と本堂、正面に観音堂が見えて来ます。

f:id:owari-nagoya55:20191212092927j:plain 臥竜池の先に観音堂
庭園のもみじ、11月第一週のこの時期に紅葉を期待するのは早いようです。

f:id:owari-nagoya55:20191212092952j:plain 華蔵院(方丈)
永保寺は1313年の開基、長い歴史の中に幾度も火災や地震により被災してきました。
都度再建され、現在の本堂、方丈華藏庵と唐破風の大方玄関は2011年、庫裏は2007年に再建されたものです。

華蔵院の手前の燈籠は陶製燈籠で東洋一と云われ、1906年尾州赤津(現在の瀬戸市)の名工作助の手によるもの。

f:id:owari-nagoya55:20191212093019j:plain 天厨院から華蔵院
山号の虎渓山の由来となった「虎渓」は、中国廬山の虎渓の風景に似ていることからきているようです。  1313年(正和2年)土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が長瀬山のこの地に庵居し開創されたものと云われます。

f:id:owari-nagoya55:20191212093045j:plain 大玄関の先に凛々しい虎・・・・・

f:id:owari-nagoya55:20191212093109j:plain ・・・・・と人気者の猫、境内を案内するかのように付いてきてくれました。

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f:id:owari-nagoya55:20191212093153j:plain 瓦葺で入母屋袴腰付の鐘楼
記録では1758年(宝暦8)に再建された様ですが、その後も補修の手が入っているようなのか、外観に酷い傷みは見られません。 

f:id:owari-nagoya55:20191212093218j:plain 臥竜池からの眺め、
無際橋(手前)の先に観音堂(右)と左の小高い所に六角堂。
紅葉がピークの頃には臥竜池に写り込み美しい表情を見せてくれると思います。
水質が今一つなのが良くわからない。

f:id:owari-nagoya55:20191212093247j:plain 六角堂
臥竜池の梵音岩の上に建ち、堂内には多くのお地蔵様が祀られているそうです。
その数は千体を近く安置されているそうで、様々な願を掛けるために一体を借り受け、願が成就すると同じ地蔵を自分で彫り、二体にして返却したそうです、そのため千体近くにもなったようです。
全てのお地蔵様は満願成就に関わられたお地蔵様ばかりだそうで、寺の案内には「願いを叶えるには、自らが願いを叶える努力をすること(精進)が大切です。苦難に立ち向かって生きようとする努力、精魂込めてひたすら進もうとする心構えを持つ」とある。
頑張る人のみ願いを叶えてくれる、何もせず願いをかけても虫が良すぎるという事です。

f:id:owari-nagoya55:20191212093317j:plain 臥竜池に架かる反り橋の無際橋から観音堂

f:id:owari-nagoya55:20191212093343j:plain観音堂(水月場)
1314年(正和3)に夢窓国師により建立されたもので、堂内には木をくりぬき、岩窟に見立てた厨子がありその中に本尊の聖観世音菩薩座像が安置され、南北朝期から室町初期の歴代住持や檀那の位牌もここに納められているそうです。

f:id:owari-nagoya55:20191212093406j:plain 入母屋造り、檜皮葺の屋根は軒にかけての曲線は美しいものがあります、国宝に指定されています。

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f:id:owari-nagoya55:20191212093453j:plain 観音堂から右の小島に小社が祀られています。
ここからふたたび無際橋方向に向かい臥竜池沿いに開山堂へ向います。

f:id:owari-nagoya55:20191212093527j:plain 今回訪れた動機の一つが、真っ赤な紅葉に染まった庭園と建物が池に写り込む姿が脳裏に残っていたから。
訪れた11月の一週目では苔生した緑の庭園と臥竜池に写り込む伽藍が主役となります。
これで楓があかく染まると更に美しい世界が広がるのでしょう。
街中よりは標高は高いとはいえ、紅葉の見頃は11月後半なのでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20191212093555j:plain 日本百名橋にも選ばれる無際橋を側面から眺める。
橋の手前の小島は亀島と呼ばれ、橋の上から島を眺めると、島は甲羅、周囲に組まれた石は頭や手足のように配置されています。
手前にも鶴島と呼ばれ小島がありますが画角に入りませんでした。

f:id:owari-nagoya55:20191212093620j:plain 臥竜池西の三笑橋を渡り、右手の参道を進んだ先に開山堂が見えて来ます。

f:id:owari-nagoya55:20191212093643j:plain 右手に馬頭観音が祀られています。第二十九番

f:id:owari-nagoya55:20191212093708j:plain 開山堂(国宝)
1352年(文和元)に足利尊氏により建てられたもので、正面からだと入母屋ですが、本堂の裏に祠堂があり相の間で一体となっていて、後の権現造りの原形と解説されています。
ここには元翁本元と夢窓疎石の木像が安置されていると云います。

f:id:owari-nagoya55:20191212093732j:plain 三笑橋に戻り、左に少し進んで見ました、虎渓西国三十三観音第二十八番、この先を進んで行くと全ての観音様を拝めるようです。

f:id:owari-nagoya55:20191212093757j:plain 先にはこうした堂もあり、山肌や参道脇に観音様が祀られているのでしょう。
今回はここまでにして、来た道を戻り保寿院に向かいます。
次回全てを回って見る事にします。

f:id:owari-nagoya55:20191212093829j:plain 登僊嶺保寿院
永保寺方丈から六角堂に続く小路を登りきると赤い山門が見えて来ます。

f:id:owari-nagoya55:20191212093859j:plain 永保寺塔頭寺院のひとつで他に慈雲峰徳林院があります。

f:id:owari-nagoya55:20191212094040j:plain 永保寺第三世の果山正位禅師により1341年(暦応4)に創建されたもの。

f:id:owari-nagoya55:20191212094105j:plain 現在の本堂は1915年(大正4)に再建されたようで、山門も含めて新しい印象を受けます。
本尊は釋迦牟尼佛、脇侍は文珠・普賢菩薩、両側に十六羅漢が祀られているようです。

・・・・・ここでカメラのバッテリーがなくなります。
慈雲峰徳林院や虎渓西国三十三観音の全貌は後日再訪し、ここに加筆する事にします。

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 虎渓山 永保寺
宗派 / 臨済宗南禅寺派
山号 / 虎渓山
開基 / 1313年
本尊 / 聖観世音菩薩
住所 / 岐阜県多治見市虎渓山町1-40