京都府舞鶴西「新町金刀比羅神社」

京都府舞鶴西「新町金刀比羅神社
玉岡稲荷神社/龍詣山見海寺
​から東に向かって街道筋を2~3分程歩いて行きます。

この道筋にあたる新町、西町はその昔は旅籠町とも呼ばれていたそうで、旅籠やが軒を連ねていたと云います。
今は旅籠屋から民家に変わっていますが、道筋には当時の雰囲気が漂っています。

f:id:owari-nagoya55:20191223092742j:plain南には愛宕山が迫り、妙に狭くて入り組んだ道筋は東の田辺城へと続きます。
歩き始めて直ぐ、右手に「長久山 妙法寺」の寺号標とその先に赤い山門が見えてきます。
ここは立ち寄りたいけれど先に進むことにします。

f:id:owari-nagoya55:20191223092815j:plainこの道筋には寺社が多く、時間の制約がある放浪者にとっては悩むところ。
妙法寺を通り過ぎ、道筋の右側に浄土寺の寺号標とその先に赤い鳥居が見えて来ます。
昨晩、晩御飯を求め彷徨い、通りすがりにこの前を通り、自由時間には行きたいと思っていた場所、目的地「新町金刀比羅神社」です。
浄土寺と隣り合う様に鎮座しています。

f:id:owari-nagoya55:20191223092834j:plain 「新町金刀比羅神社」全景
石の明神鳥居(1921年)、参道の正面に社、参道脇に二社が祀られ、鳥居前には金刀比羅神社と刻まれた石燈籠(1932年)が建てられています。

f:id:owari-nagoya55:20191223092857j:plain 道筋から見る境内、境内は二段になっています。
道筋から鳥居をくぐると、左に手水舎、その先に赤い鳥居が二つ並ぶ社、右手に流造の社。
参道の石段を登ると金刀比羅神社の社。

f:id:owari-nagoya55:20191223092915j:plain鳥居をくぐり境内へ。

f:id:owari-nagoya55:20191223093202j:plain 左の赤い社、詳細は分かりませんが伏見稲荷から勧請したものでしょうかね。

f:id:owari-nagoya55:20191223093121j:plain 右の社は弁財天。
日本三大弁財天(​竹生島​の都久夫須麻神社、宮島の厳島神社、江の島の江島神社)の江の島から勧請された様です。
小さな社ですが木鼻には彫が施され、中には美しいふくよかな弁天像が祀られているようです。

f:id:owari-nagoya55:20191223093046j:plainこの金刀比羅神社は新町構いで、その始まりは江戸時代にまで遡ると云われています。
讃岐国(現在の香川県)金刀比羅宮を本宮とする金刀比羅信仰は、江戸時代に非常に盛んになり、海運救助、商売の守護神として全国に勧請されました。

嵐に翻弄され、あわや船が沈むその時、金刀比羅さんの御幣が降ってきて助けて頂けると信じられていたそうです。金刀比羅神社玉垣の寄進者に吉原町の漁師達の名が多く刻まれ、厚く信仰されていた事が分かります。

1896年(明治29)の山崩れで社殿が被災、1931年(昭和6)に再建されたのが今の社殿です。
石段下から社殿を見上げると、山肌はすぐ後ろに迫っている事が良くわかります。

f:id:owari-nagoya55:20191223093348j:plain金刀比羅神社扁額

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 社殿から苔生した境内を振り返る、左右の赤い鳥居と石造りの鳥居、その前の道筋は旅籠屋が軒を連ねた街道筋。ここから眺める鳥居の笠木と島木が描く反りは美しいものがあると思います。

f:id:owari-nagoya55:20191223093442j:plain 社殿から西にはお隣の浄土寺山門が一望できます。

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石燈籠(1932年)は再建後に建てられた様ですが、道筋に建つこの燈籠は古い街道の趣を感じさせてくれます。

新町「金刀比羅神社
創建 / 不明(再建1931年)
祭神 / 大物主神
境内社 / 弁天社、稲荷社
住所 / ​京都府舞鶴市新町​小字新町