「随心山浄土寺」

新町「​金刀比羅神社​」の西隣に立派な山門が印象的な寺「随心山浄土寺」は鎮座します。
先に訪れた「​龍詣山遍照院見海寺​」はこちらの末寺にあたる。

f:id:owari-nagoya55:20191224114245j:plain通りに沿う様に石垣が高く積まれ、庫裏が建っているので、道筋から山門以外の伽藍は良く見えません。
東西に続く道筋から真っ直ぐに山門をくぐり境内に続く訳ではなく、山門が東を向いて立てられているので、参道は山門前から右に曲がります。すんなりと入れさせない?城の様な雰囲気が漂う。
金刀比羅神社から見下ろす浄土寺が伽藍を見るには一番のビュースポットかも知れません。

f:id:owari-nagoya55:20191224114259j:plainこの立派な山門を持つ浄土寺の創建は定かではありません、末寺の見海寺が1660年の創建である事からそれ以前の創建と思われます。
しかしながら、浄土寺は1946年(昭和21)に火災で山門を除き焼失してしまったようです。
火災の難を逃れた山門が伽藍の中では一番古い物のようです。

入母屋瓦葺の屋根、その大棟の両脇に乗せられた鯱瓦に目が行きます。
鯱は火災の際には口から水を吹き出し火除けとされます。
1946年の火災で山門が被害を免れたのも鯱のお陰かも知れません。

f:id:owari-nagoya55:20191224114310j:plain山門は二層になっていて、上層を鐘楼としたこの造りはこの辺りでは珍しいもののようです。
下げられるた梵鐘には、時の住職三誉(團仲)の知る限りの寺の歴史が銘文として刻まれているそうです。

当然ながらいくら仰ぎ見ても見れる訳もなく。

f:id:owari-nagoya55:20191224114325j:plain山門の木鼻の装飾は獅子でしょうか、それ以外に各所に施された透かし彫など、なかなかのものです。

f:id:owari-nagoya55:20191224114337j:plain隅棟の大きな鬼飾り、デザインは良くわかりませんが、早朝の空を背景にシルエットは像の鼻のようにも見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20191224114351j:plain山門から境内の眺め
浄土寺はこの地方の浄土系寺院の中でも古い起源をもつ浄土宗の寺院。
江戸時代に田辺藩政に関わる有力な寺として位置付けられていたそうです。
残念ながら火災により焼失し、現在の本堂は近代的な姿に生まれ変わっています。
境内をひと回りしたいところですが時間も早いのでここまでとします。

f:id:owari-nagoya55:20191224114405j:plainこちらの寺院も舞鶴百選の一つ、有志により語り継ぎたい地元のスポットとして解説板が設置されていました。
「この地方の浄土系寺院の中でも古い起源を持つ浄土宗の寺院。
江戸時代に田辺藩政に関わる有力な寺として位置づけられていた。
昭和21年の火災で、山門だけを残し本堂等は焼失したが、今に残る山門(鐘楼門)は二層の楼門につくり、上層を鐘楼としておりこの地方ではめずらしいもので、鐘楼に下げられている鐘には、時の住職三誉(團仲)上人が、記憶にある限りの寺の歴史を鐘銘にとどめている。城下町倶楽部」

焼けてしまい趣がなくなったとは言え、歴史が無くなる訳でもなく、この山門を守る鯱と語り継ぎたい歴史的建造物がある事は素晴らしい事です。
我が町にこれ程の情熱を持って語り継ぎたいものは・・・・・

そろそろかみさんも目覚める時間です、車に戻る事にします。

「随心山浄土寺
山号 / 随心山
宗派 / 浄土宗
本尊 / 阿弥陀観音地蔵
住所 / ​京都府舞鶴市字新103