西国三十三所第29番札所 『松尾寺』・『六所神社』

福井県大飯郡青葉山
標高は693㍍で福井県大飯郡高浜町京都府舞鶴市にまたがる山。
別名「若狭富士」とも呼ばれるそうです。
西国第二十九番札所 「松尾寺」はこの山の中腹に鎮座します。

f:id:owari-nagoya55:20200110085933j:plain細い道を登り切ると左の高見に仁王門が現れます。
車はこの先の右側の駐車場に止めることになります。

f:id:owari-nagoya55:20200110090047j:plain道路からはこの石段を上り境内に、この反対側には石段が麓へと続いています。
随分とショートカットしているので途中に色々と見所があるのかも知れません。

f:id:owari-nagoya55:20200110090113j:plain仁王門。
山号青葉山、両脇には仁王像が・・・・・、見えているのは実は写真のパネル。
オリジナルの仁王像を修復の際にパネルを掲げたものらしい、それが修復後もこの状態を維持したまま。
2Dですが新たにレプリカ像を作り安置よりもいいのかも知れませんね。
修復を終えた仁王像、霊宝殿で公開されているようです。
やがてはフォログラムなんて時代になっていくんでしょうかね。

f:id:owari-nagoya55:20200110090113j:plain入母屋瓦葺の仁王門、1730~1802年(享保15~享和二年) の建造とされます。
門の至る所に千社札が貼られています、どうやってここに貼ったの?といつも思う。
派手な彫や彩色が施されている訳ではありませんが、大きな屋根を支える木組みは伽藍の中で目を引く存在感があります。
京都府文化財に指定されています。

f:id:owari-nagoya55:20200110090201j:plain仁王門をくぐり参道を進みます、右手は霊宝殿、左手に勅使門があります。
正面には特徴のある屋根を持つ本堂が見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200110090224j:plain参道左、菊の紋が施された勅使門。
この先が庫裏になります。

f:id:owari-nagoya55:20200110090243j:plain参道から仁王門の全景。
その先に麓を見下ろすように南を向いて立つ仁王門。
やはり麓からここまで自分の足で訪れ、眺める景色なのかもしれない。 

f:id:owari-nagoya55:20200110090302j:plain最後の石段を登ると境内が広がり、正面に二層の屋根を持つ本堂。

f:id:owari-nagoya55:20200110090322j:plain右手には手前に手水鉢、その先に鐘楼、左手に太師堂が見通せます。

f:id:owari-nagoya55:20200110090359j:plain大きな一枚岩の手水鉢。
龍口からは勢いよく清水が注がれています、鉢は苔に覆われ味のあるものです。

f:id:owari-nagoya55:20200110090421j:plain境内左の経堂。
瓦葺宝形造りで、露盤・宝珠が施された一見すると蔵の様な建物。
仁王門と同時期に建てられたもので、こちらも京都府文化財に指定されています。

f:id:owari-nagoya55:20200110090445j:plain経堂の脇に銅葺屋根のお堂があるけれど、額もなく、回廊には六地蔵の石像が安置されています。

f:id:owari-nagoya55:20200110090515j:plain本堂左の歌碑が並び、山裾に赤い堂が立てられています、詳細は不明。

f:id:owari-nagoya55:20200110090537j:plain西国三十三所第29番札所 松尾寺「本堂」
宝形造りで銅葺の二層屋根を持ち、大きく張り出した唐破風の向拝が印象的です。

現在の建物は1730年(享保15)に再建されたものらしいけれど、右手の渡り廊含め細かいところに痛みが目立つ。
とはいえ、西国札所の風格を備えたものです。
本尊は馬頭観世音で、農耕や牛・馬、車馬交通の守り仏として三十三霊場で唯一の観音像。

右手の大師堂とは渡り廊で繋がっていますが、随分と痛みが目立ちます。

f:id:owari-nagoya55:20200110090558j:plain「松尾寺」
山号 / 青葉山
宗派 / 真言宗醍醐派
創建年 / 慶雲5年(708年)
開基 /  威光上人
本尊 / 馬頭観音菩薩
絹本著色普賢延命像(国宝)、 絹本著色孔雀明王像・木造阿弥陀如来坐像など重要文化財を多数。

堂内は多数の額が掲げられ、本尊の馬頭観音坐像は秘仏で拝観はできません。
お前立ちが本尊に酷似しているとのことなので、そこからイメージするか77年に一度訪れると云われる御開帳を待つことになる。
2016~2020年、西国三十三所草創1300年記念として三十三所の各札所では普段非公開のお堂や諸尊の御開帳や庭園が公開されてきたようです。

本堂唐破風向拝
梁、木鼻、向拝下の龍の彫物など見とれてしまうほど手の込んだものです。
見ると惚れぼれします。ここにも千社札がびっしり貼られています。

f:id:owari-nagoya55:20200110090624j:plain本堂の右の大師堂。
左の渡り廊と繋がっています。
正面の額は心霊閣と書かれ、内部には空海の像が安置されています。

f:id:owari-nagoya55:20200110090653j:plain

鐘楼。
銅板葺の袴腰入母屋造。
左手の大きなイチョウは1119年(元永2) に鳥羽天皇お手植えによるもの。
聞くところによると、寺社にイチョウが良く植えられているのは、イチョウの葉は燃えにくいそうで、
火災の延焼除けに植えられると聞いた気がします。         

f:id:owari-nagoya55:20200110090726j:plain大師堂の裏手に神社が鎮座します。
松尾寺と係わりは無いようで、この下の村の方々により祀られているようです。
松尾寺の境内に隣接する趣のある神社でした、こちらにも足を運んでみて下さい。
杉林の中に笠木の曲線も美しい明神鳥居、その先に本殿が見えています。

f:id:owari-nagoya55:20200110090754j:plain石段の先の本殿と、左右の狛犬、燈籠は味があります。

f:id:owari-nagoya55:20200110090824j:plain本殿前の狛犬と石灯籠。
石灯籠はキノコを連想させます。
狛犬は台座に大正元年明治天皇崩御記念?と刻まれていたと思いますが、味のある表情をしています。

f:id:owari-nagoya55:20200110090848j:plain屋根は銅葺きで素木の本殿、近年手が加えられたのでしょうか、シンプルで綺麗な外観です。
社名は色々調べた結果、六所神社の様です。
祭神は笠津彦・笠津姫を祀るようですが、それ以外は創建時期を含め、はっきりとしませんでした。

六所神社の参拝も終え、駐車場へ戻ります。

f:id:owari-nagoya55:20200110090913j:plainやはりこの寺は仁王門ですね、帰り際境内から見る門の光景はとても印象に残ります。門の右手に見える小さな池「放生池」と呼ぶそうです。

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仁王門の右手の石標「まつのをのてら」と彫られている。
また、この石標の右にトイレがありますが、立ち寄られる事をお勧めします。

f:id:owari-nagoya55:20200110091006j:plain「放生池」の先にも小さな社が二社鎮座していました。
駐車場の近くに掲げられていた文化財の案内板、境内で由緒などの解説は見られなかった。
幾度となく火災にあい、その都度、細川幽斉や京極家により再建され、今の本堂は牧野英成により修復されたとされます。これだけの寺です、もっと広く外に向かって誇ればいいと思う。

f:id:owari-nagoya55:20200110091034j:plain​御詠歌「​そのかみはいく世経ぬらん便りおば 千歳もここにまつのをのてら 」

西国三十三所第29番札所 
松尾寺
住所 /  ​京都府舞鶴市字松尾532

松尾寺へのアクセスは県道772号線経由と県道564号線経由の二手になりますが、訪れた2019/11/16時点は県道564号線からのルートは工事通行止め(現在は通行可)。
見通しの悪いヘアピンが続く山道を車で25分程登ると松尾寺に至ります。

このような道ですが対向車は結構多く、見通せない場所に限って必ず対向車とすれ違うものです。
無意味な意地の張り合いは時間の無駄、待避所に近い車が潔く進路を譲らないと混乱は必至。
車にはRも付いています、後ろにだって進めます。
譲られたら挨拶を忘れずにすることで気持ちも伝わり、お互いに嫌な思いをすることなく遠出のドライブを楽しめます。