『新明太一宮』

2020/1/1
毎年恒例、かみさんの実家に新年の挨拶と岩倉の総鎮守神明太一宮の初詣に訪れました。

f:id:owari-nagoya55:20200112141207j:plain 新年を迎え普段送迎の車の多い岩倉駅西口ローターリーは車も少なく静まり返っています。

f:id:owari-nagoya55:20200112141307j:plain上は右がこの地の明治24年頃と現在。
岩倉街道を中心に集落が点在し周囲は田畑が広がる、現在の岩倉駅周辺は特に民家が集中している事が分かります。

f:id:owari-nagoya55:20200112141334j:plain岩倉駅からは線路沿いに徒歩5分程。
公共交通機関のアクセスも良く、駅からも近い。
岩倉市中本町西出口に鎮座する神明太一宮(社)は岩倉市を含めた4市3町の総社。
そうした事から社頭や境内には初詣に訪れた参拝客で賑わっています。
地元の方々から如何に崇敬されているのかが良くわかります。

f:id:owari-nagoya55:20200112141404j:plain境内右に神池と太鼓橋があります、現在周囲は柵で囲われ立ち入り禁止となっているようです。
新池の先に手水舎と入母屋瓦葺の建物は神饌所だろうか

f:id:owari-nagoya55:20200112141536j:plain手水舎の左に神馬。
腹部に丸に太一の神紋が入っています。
太一とは、古代中国の思想で宇宙、天地、万物の根源とされ、日本では天照大神と捉えるそうです。
神宮雑書には鳥羽天皇奉献の神領の地で、1113年~1118年(永久年間)に伊勢神宮を勧請、奉斎した神明社とあります。
この太一はそうしたお伊勢さんとの所縁から神紋に使われているのでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20200112141602j:plain鳥居の正面には石造りの蕃塀が不浄な者の侵入を防いでいて、その先に切妻平入の拝殿と本殿の伽藍。

神明太一宮の創建年代などの由緒ははっきりしませんが、鳥羽天皇が奉献した神領の地であり、前述したように平安時代以前から伊勢神宮と所縁がある神社で、北伊勢大神宮とも呼ばれた様です。
戦国時代の1559年(永禄2)、信長の岩倉城攻めで社殿を焼失、1594年(文禄3)に再建されたもの。
以降は徳川家康の四男で尾張藩主の松平忠吉(1580~1607)の棟札が残存、尾張德川家から厚遇されたようです。
祭神は天照皇大神豊受大神国常立尊倭姫命
境内社には稲荷社、子安社、白山社、天神社、津島社、市神社、猿田彦神社、出雲社。
境外摂社は東町神明社、大市場町神明社、大地町神明社、南新町神明社

f:id:owari-nagoya55:20200112141627j:plain境内左の猿田彦神社(左)と出雲社。

f:id:owari-nagoya55:20200112141657j:plain更に右には子安社が祀られています。
この西側に参拝駐車場があり、車で訪れても駐車場所に困る事はないでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20200112141726j:plain拝殿左手にある白山社と津島社が祀られています。

拝殿右手にも同じ様に市神社、天神社と本殿右手に秀成稲荷神社があります。
初詣と言う事で大勢の人写りもあり、これ以上の撮影はやめる事にします。

我家情報、ここのおみくじは息子曰く大吉が良く出るとしている。息子が小さく可愛かった頃、地元の神社で大吉が引けず、実家に向かう途中の神社で引きまくり念願の大吉を「当たった」と称し大喜びしていた事を思い出す。何か違っているが子供の頃はそんなもんです。
大人になった彼は今年もここで参拝しおみくじを引いていた。
「当たりかい、外れかい?」結果を尋ねると「教えない」とな、マァ可愛くないこと。

『新明太一宮』
創建 / 不明
祭神 / 天照皇大神豊受大神国常立尊倭姫命
住所 / 岩倉市中本町西出口4
公共交通機関アクセス / ​名鉄犬山線「岩倉」下車徒歩5分程