永弘院(ようこういん) / 上野城址

名古屋市千種区上野にある臨済宗妙心寺派のお寺。

f:id:owari-nagoya55:20200119140109j:plain 交通のアクセスも良く、基幹バス「谷口」で降車、南に歩いて二~三分程。
永弘院は近年補修が行われ、寺の西側から見る印象は子供の頃から比較すると綺麗なっている。
何より大きな変貌を遂げたのは、写真左の駐車場。

以前は小さな公園があり、そこには赤い社の八坂社が南を向いて鎮座していた。
現在この八坂社は姿を消し、ここから東の上野天満宮の晴明殿(2017年造営)に合祀されたと聞く。

ここから東に弁天公園がありますが、以前は公園北角の小高い場所に小さな祠があった、いつしか社もなくなっていました。
推測になりますが、こちらも恐らくは上野天満宮で合祀されているのではないかと。
当たり前の様にそこにあったものが、ある時気付けば姿がなくなっていると妙に寂しい思いに駆られる。
ここ数年、近隣の長養寺なども含め改修ブームの様です。

f:id:owari-nagoya55:20200119140134j:plain 山門を構える南側からの伽藍全景。
永弘院の南に小学校があるけれど、一帯はかつて上野城(1532年~廃城時期不明)があった辺り。
城の遺構はなく、境内に城址の碑が立つのみ。

f:id:owari-nagoya55:20200119140155j:plain 山門。
造営時期等は定かにならないけれど、伽藍の中では鐘楼と並び古いものです。
右に「上野山 永弘院」の寺号標。
子供の頃は「えいこういん」と教えられてきましたが、因みに「ようこういん」と読みます。

f:id:owari-nagoya55:20200119140220j:plain 木造瓦葺の切妻の四脚門。
門から窺う境内、手前に百度石、敷石の先に夕陽を浴びて赤く染まる本堂。

東海四十九薬師霊場28番札所。
東海四十九薬師霊場とは三重県名張市の勝宝院福就寺を一番札所とし三重、愛知、岐阜の薬師如来巡礼するもの。

f:id:owari-nagoya55:20200119140250j:plain 木造の山門に土塀の白が冴えています。
永弘院は幾度も焼失を繰り返して、都度再建されて来た、先の戦争でも空襲に見舞われ、山門、鐘楼を除き焼失。
延焼を免れた山門、鐘楼には当時の火の勢いを示す焼け跡が残っています。

f:id:owari-nagoya55:20200119140312j:plain 山門をくぐり境内へ。
綺麗に手入れされた庭の先に、正面に本堂、右手に石塔と庫裏、寺務所。

f:id:owari-nagoya55:20200119140333j:plain 境内右手の手前の鐘楼と奥の事務所。
以前はこの右手に地蔵堂があったけれど、老朽化によりこちらに安置されていた地蔵は新たに新築した観音堂遷座されています。
現在は空の建屋のみです。

f:id:owari-nagoya55:20200119140357j:plain 四足の瓦葺り鐘楼。
瓦には山号と寺紋の三階菱が施されています。
梵鐘は戦時中に供出される憂き目にあうも、戦後に再び鋳造されたものです。
除夜の鐘を突くことができ​、毎年それを楽しみに訪れる方も多いようです。

f:id:owari-nagoya55:20200119140418j:plain 山門左の放生池、右は観音堂

f:id:owari-nagoya55:20200119140438j:plain 観音堂
境内西に建ち、2019年に三十三観音、馬頭地蔵などがここに纏めらました。
地蔵堂から遷座の際、像は水洗いされ永年の汚れを落とし、こちらに安置されました。

f:id:owari-nagoya55:20200119140500j:plain 放生池の袂に弁財天の碑。
石橋の先に、東を向いて石の祠の弁財天が祀られています。
ここで初めて分かったことがありました。

この弁財天は先に書いた弁天公園に祀られていたものです。
縁起によると、約500年近く弁天池の水神として農民から崇められてきたが、宅地化により見守る池は公園となり、1981年(昭和56)にこちら移設したらしい。

f:id:owari-nagoya55:20200119140524j:plain 本堂。
本尊は薬師如来
創建は1538年(天文7)とされる。
信州小笠原家後裔の下方氏一族の下方貞清が開山。

上野城の北東にあった藥師堂に祀られていた薬師如来を本尊として建立されました。
本能寺の変以降、下方氏一族は荒廃、それと共に永弘院も衰退していきます。
当時上野村と呼ばれ、村人、檀家の支えにより、村の禅寺として伽藍は整えられていきます。
以降も幾度となく災害に見舞われますが、都度再建され現在の姿に至ります。

f:id:owari-nagoya55:20200119140546j:plain 境内西の水子地蔵尊

f:id:owari-nagoya55:20200119140608j:plainその右に二体の石像が安置されていますが、詳細は不明。

f:id:owari-nagoya55:20200119140629j:plain 境内で見られる子供の石像。
印象に残る表情のものしか掲載しませんが、ほかにも複数安置されています。

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山門をくぐった境内右隅に建つ上野城址の碑。
築城年1532年(天文元)頃の、二重堀を持った平山城だったと云われる。
現在は城の名残はなく、この碑がそれを伝える。

永弘院(ようこういん)
宗派 / 臨済宗妙心寺派
山号 / 上野山
創建 / 1538年(天文7)
本尊 / 薬師如来

住所 / 名古屋市千種区上野1丁目4-18
公共交通機関アクセス / ​基幹バス2「谷口」降車、南に数分