『峠の地蔵さん』

2020/1/18
知多郡南知多町大字豊浜

かみさんの知多四国八十八ヶ所霊場巡りで豊浜漁港を過ぎた辺りを通りがかり見かけた「峠の地蔵さん」

息子達が小さい頃、目の前の豊浜の漁港へ釣りに訪れたことはあるが、当時は気にもしなかった。

f:id:owari-nagoya55:20200204131115j:plain 左のカーブの手前に「峠の地蔵さん」と書かれた白い幟が立ち並んでいます。
ブラインドカーブの右手には荒磯松園地という小さな公園があります。

f:id:owari-nagoya55:20200204131149j:plain 山を背にして立つ堂は「峠の地蔵さん」とあるけれど、名に対して地蔵堂の周辺はそれほど峠感は感じられません。
豊浜漁港に駐車させて頂き地蔵さんに向かい、正面全景を収める。

f:id:owari-nagoya55:20200204131227j:plain 境内左に立派に枝を張った巨木が聳え立ち、その勢いは堂を覆いつくさんばかり。
交通安全と書かれていますが、事故が多発する?から堂が作られたという訳ではないようで、それ以外の動機からここに峠の地蔵を安置する理由があったはずです。
そのあたりは由縁を語るものがあると思っていました。

f:id:owari-nagoya55:20200204131252j:plain 道路を渡り堂の周辺を見渡す。
唯一掲げられていた「峠六地蔵尊御詠歌」とあり、三首が書かれています。

「斎藤駒吉作
1. 帰命頂礼(きみょうちょうらい)六菩薩(ろくにん)の峠にまします地蔵尊 岬の山を背に負いて港の船を眺めつつ 身を焼く夏も寒き夜も衆生済度(しゅうじょうさいど)と立ち給ふ
 
2.荒磯の 松に吹く風を  諸行無常の聲(こえ)と聞き 磯うつ波を  華と見て  巷につづく人々も  走る車も押なべて  移る現世(このよ)の 影絵なり

3.春は桜の花吹雪 秋は真澄の月の影 心にもしも 憂あらば 菩薩の前に叩頭(ぬかづ)きて 必ず苦難打ち解けむ  嗚呼ありがたや地蔵尊 嗚呼ありがたや地蔵尊

昭和47年8月 日輪山第65世 秀空大俊合掌」

どなたか調べて見ましたがわかりませんでした。

f:id:owari-nagoya55:20200204131318j:plain 帰命頂礼(きみょうちょうらい)六菩薩とあるけれど、帰命頂礼が分からないので調べて見た、「仏の教えに一身をささげ従い、頭を仏の足にすりつけて礼拝する」意味の様です。
6菩薩と詠われているけれど、堂内には7体の地蔵が安置されています。
写真は二枚貼り合わせてありますが、数え間違いではなさそう。

f:id:owari-nagoya55:20200204131344j:plain 堂の右手に裏山に続く小路があり、上まで登ってみました。

f:id:owari-nagoya55:20200204131409j:plain 小路の途中から眺めた豊浜漁港。
古くは「すさの入江」と呼ばれ漁業で賑わった場所、それは今も変わりません。

f:id:owari-nagoya55:20200204131430j:plain 豊浜港は自然地形を生かした天然の良港として古くから「須佐の入江」として栄えていました。
その光景は尾張名所図会にも描かれていました。

近くには縄文時代中期の遺跡も残り、遥か昔から人が生活していたところ、そのことから万葉集にも「須佐の入江」として「あぢの住む 須佐の入り江の荒磯松 我を待つ児らはただ一人のみ」など二首が残る歴史ある土地柄です。
冒頭のカーブの右手の荒磯松園地はここから来ているものと思われます。

f:id:owari-nagoya55:20200204131453j:plain 小路は少し上ると見晴らしの良い高台に出ます。
その奥に三体の胸像がありますが、詳細は分かりません。
峠の地蔵さんに纏わる何かを期待しましたが、特にこれといったものは見当たりませんでした。

ただ、ここから眺める西の伊勢湾、下の豊浜漁港は見晴らしがいい、なかなかのビュースポット。

f:id:owari-nagoya55:20200204131514j:plain 豊浜漁港もこの見え方です。
たまには海を眺めるのもいいもんです。

「峠の地蔵さん」

住所 /   愛知県知多郡南知多町大字豊浜打合
車アクセス /  南知多道路「南知多」ICから内海方向、国道247号線経由師崎方面に25分程