市営地下鉄桜通線「川名」駅から西に5分程歩いた山王通り沿いに鎮座します。
入口右に「曹洞宗 太平寺」の寺号標。
広い境内の正面に庫裏、左に本堂の伽藍です。
入口左掲示板の教え
「一歩自分に振り返って、静かに坐り自己内省することで 物事への執着から放たれ「本来の面目」あるべき姿が現れてくる」
曹洞宗の教えは座禅が根源と云われます。
「形に拘ることなく禅を組み、姿勢を正し、心を集中することで心と体のバランスを整える」ものだと解釈しています。
普段の雑念や今どきの煽りを受け、一日中不愉快な時などは坐って落ち着かせるようにします。
この教えは広い意味でそうした時を持てと言っているのかも知れません。
お寺の教えは普段忘れている事を教えてくれたりもします。
境内正面に唐破風が施された庫裏、右手には山門があります。
入口右の手水鉢。
その後方は複数の地蔵を収めた堂に続きます。
方型の堂を含め三つの地蔵堂が並んでいます。
石畳の敷かれた右の参道の先は山門に続きます。
手前の堂には錫杖と宝珠持つ地蔵菩薩を含め5体が安置されています。
左の切妻屋根の覆屋の内部は二つに分かれ、左右に各々2体が安置されています。
作られた年代など詳細は分かりませんでした。
左の覆屋には複数の地蔵が安置されています。
弘法大師や馬頭観音、役行者に千手観音、如意輪観音やユニークな不動明王なども安置されています。
さながら石仏博物館の様相。
伽藍全景。
左の本堂裏手の墓地には、室町時代に作られたと云われる五輪塔があるそうです。
山門全景。
正面が山門、その先に本堂の伽藍なので、現在の山王通りの入口に対し、東側の細い路地に面したこちらが本来の入口だったのかな。
山門左の戒壇石「不許葷酒入山門」とあります。
葷(くん)は匂いのある野菜や肉、酒はおやじ大好物のサケだよね。
臭いのあるものは修行の妨げになるので入門してはダメよという事。
今日のおやじは大丈夫、飲んでませんよ。
正面に入母屋瓦葺の本殿、右に庫裏。
本殿の右には春を告げる梅が境内に彩りを与えています。
梅の下にひっそりと小さな地蔵が祀られています。
風化により像の表情や、正面に刻まれた文字は読み取れません。
本殿全景。
本殿の山号額。
護邦(ごほう)山と読むそうです。
創建は定かではありませんが、この地を治めた佐久間氏によるとも云われます。
初代住職が1533年(天文2)に亡くなったと云われます、なのでそこから更に遡ることになります。
1584年(天正12)の小牧・長久手の合戦で焼失、1897年(明治30)に再建されますが再び焼失、現在の伽藍は1931年(昭和6)に再建されたもの。
本尊は聖観世音菩薩、大本山は福井県の永平寺。
太平寺と北側の飯田街道にある川原神社とは関りがあり、神仏分離により大般若経のすべてが太平寺に移されたと云います。
本堂の木鼻装飾(上)と半鐘(下)、最近はお寺の除夜の鐘も苦情として上がる世の中らしい、今も使われているのだろうか。
本殿左の寄棟瓦葺お堂、詳細は分かりません。
お堂の前の参道を右に進むと墓地に至ります。
堂前に吊るされた鰐口と赤い鰐口紐。
神社と寺では呼び鈴ともいえる鳴り物の形態や紐の色は微妙に違ってきます。
どちらも風情のある音色に変わりないのですが。
堂内、焦点が合っていないけれど、お釈迦様と脇侍が安置されているようです。
本堂南側からの眺め。
雲をデザインした鬼飾りには「太平」の寺号が入っています。
子供の頃、ばあさんに連れられ、こちらにお参りに来た記憶があります。
おやじになった今、当時の記憶をたどる様に訪れましたが、菩提寺ではない太平寺を訪れた理由は今となっては分かりません。
子供は理由より駄菓子の方につられるものです。
太平寺
山号 / 護邦山
宗派 / 曹洞宗
創建 / 不明
本尊 / 聖観世音菩薩
住所 / 名古屋市昭和区川名本町4-24-7
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄桜通線「川名」駅から西に5分程、途中「山王通りの三体石仏」もあります。