『武島天神社』

「上宿山神社」の南隣の​区画の角地に村社「武島天神社」が鎮座します。
番地で云えば城西5-16

f:id:owari-nagoya55:20200213215308j:plain北に「山神社」、手前に「武島天神社」の2社が視界に入る距離です。

f:id:owari-nagoya55:20200213215405j:plain南向きに二つの鳥居を構え、石畳の敷かれた参道は真っすぐ拝殿へ続きます。

拝殿左に覆屋が見えています。

f:id:owari-nagoya55:20200213215430j:plain境内入口右に社号標「武島天神社」と刻まれています。

社名の頭の武島はこの辺りが武島梅の木と呼ばれた名残と思われますが、その後も五平蔵町、上宿六軒町、天神町編入を重ね、1980年に城西へ町名が変わる以前は泥町と呼ばれ土地柄を表しています。
その昔は名古屋台地の北端に建つ名古屋城を見上げるように低地が広がり、雨に見舞われるとすぐに湿地となる土地柄だったようです。
「武島天神社」は山神社と同様、現在の名古屋城深井丸付近に鎮座していたとされ、築城に伴い現在地に遷座したとされます。

f:id:owari-nagoya55:20200213215457j:plain社殿全景。

瓦葺で切妻造の吹き抜け拝殿。
境内には梅が咲き誇り、天神様を主張するかのようです。

f:id:owari-nagoya55:20200213215537j:plain境内左の手水鉢。

f:id:owari-nagoya55:20200213215603j:plain菅原道真を祀る天神社には撫で牛。

白い体に特徴的な黒い立派な角が生えています。

f:id:owari-nagoya55:20200213215656j:plain拝殿の右が社務所の様で、石畳は左の覆屋に続いています。

f:id:owari-nagoya55:20200213215727j:plain拝殿前の狛犬は彫が深く多少頭でっかち。

f:id:owari-nagoya55:20200213215757j:plain拝殿に掲げられた扁額は「武嶋天神社」とある。

鬼瓦に桐の紋があしらわれています。

f:id:owari-nagoya55:20200213215851j:plain拝殿から神明造の本殿は良く見通せます。

f:id:owari-nagoya55:20200213215917j:plain武島天神社由来

「勧造年月不詳、一説に応安元年1568という、万治4年(1661年)社殿修築、明治13年三月村社となる。
 祭神 少彦名命菅原道真とも伝えられる
例祭日 十月第三日曜日
古来の説によると、五穀豊穣の祈願は勿論、家内安全、殊に子供の無事な成長を祷る神という信仰が厚く、天神様即道真公となったものかと。
又戦前には古鏡の内に現れ給う菅公のお姿を心霊として発行した。
末社 天王社
熱田神宮津島神社秋葉神社のみたましろを受け町内安全、火難鎮䕶を祷る泥町一丁目、二丁目、三丁目それぞれの屋根神様。」
1661年(万治4)に社殿が修築されたととある、創建はそれ以前となります。
尾張名所図会に武島天満宮について記されていました。
「武島天満宮、山神の社の南にあり神前の古鏡に武島天満宮の文字あり、武島はもと地名にして今川氏豊の家臣等、たけしまに居住ありしよし・・・・・」
名古屋城以前の那古野城にまで遡るようです。

f:id:owari-nagoya55:20200213215949j:plain拝殿左の覆屋。

f:id:owari-nagoya55:20200213220018j:plain手前の灯篭は1915年(大正4年)の奉納。

f:id:owari-nagoya55:20200213220047j:plain覆屋の中に祀られた板宮造りの社が由緒にある末社の天王社。

元は泥町1丁目、2丁目、3丁目に祀られていた熱田神宮津島神社秋葉神社の屋根神様だとされます。
屋根神様は1600年頃から始まった名古屋独特ともいえる祭祀形態と云われますが、空襲や区画整理、建て替えに伴い極端に減ってきました。
屋根の上に屋根神が祀られた町の光景も、遠くない将来それも見る事が出来なくなるやも。

f:id:owari-nagoya55:20200213220116j:plain天王社脇の梅は今がピークを迎え、周囲にほのかに春の香りを漂わせています。

f:id:owari-nagoya55:20200213220145j:plain拝殿から参道入口方向の眺め、境内に彩りを与えてくれる梅もやがて桜にバトンタッチ。

『武島天神社』
創建 / 不明
祭神 / 少彦名命菅原道真
住所 / 名古屋市西区城西5-16-40