名古屋市西区浅間 『冨士浅間神社』

以前掲載した、名古屋城西の屋根神様から​徒歩5分程西​に、住宅や店舗が混在する一画に小さな杜に赤い稲荷鳥居が見えてきます。

掘川の西にあたり、美濃路沿いの城下町の趣が感じられます、堀川沿いの四間道を境にして東が幅上、鎮座地のある西は幅下とされました。
現在の住所は名古屋市西区浅間1になります。

f:id:owari-nagoya55:20200219123946j:plainすぐ南に国道22号線、西に県道63号線がありながら以外に静かな一画です。
今回の徘徊最後の目的地『冨士浅間神社』に到着。
ランチでご機嫌のかみさん、ここまでは快く付き合ってくれました。

f:id:owari-nagoya55:20200219124010j:plain神社北側の道路からは、シックな色合いの玉垣の先に、見上げる位置に佇む本殿が良く見えます。

f:id:owari-nagoya55:20200219124030j:plain神社東の通りに東参道、左に社号標があり、鳥居から先の境内は石畳が敷かれ、正面に社務所が窺えます。東鳥居を通り過ぎ、その先を右に曲がると南鳥居に出ます

f:id:owari-nagoya55:20200219124053j:plain鳥居の正面に拝殿が望めます。
左に『郷社 冨士浅間神社』と彫られた社号標。
pcにふじと入力し一発変換で出てくる富士ではなく「冨士」が正しいようです。
この先間違えて使っていたらごめんなさいです。

f:id:owari-nagoya55:20200219124118j:plain鳥居から拝殿左方向の眺め。
左は先程東鳥居から見えていた社務所、正面に一対の狛犬と拝殿。
賽銭箱には桜の紋が描かれています。

f:id:owari-nagoya55:20200219124142j:plain右手に手水舎、鉢の前後に石標が見えます。

f:id:owari-nagoya55:20200219124204j:plain手前の石標。
以前は神社の西に江川が流れていました、そこに架けられていた「江川橋」の親柱だということです。
江川は1932年(昭和7)埋め立てられますが、過去のこの地を伝え残す遺構として境内に移されたようです。

f:id:owari-nagoya55:20200219124226j:plain手水鉢はふたつの龍頭があり龍口からは絶えることなく清水が注がれています。

f:id:owari-nagoya55:20200219124249j:plain手水鉢の奥の石碑。
1937年(昭和12)に神域拡張した際に建てられたようで『神域拡張敷地・九十三坪二合四勺』と彫られています。

f:id:owari-nagoya55:20200219124310j:plain手水舎の左の建物は神楽殿?、高床構造が必要だったのか分からないけれど、ここでは神楽殿としておきます。

f:id:owari-nagoya55:20200219124336j:plain楽殿の左に鳥居があり、その先は鬱蒼とした緑に包まれ、参道は奥へと続きます。
突き当りに境内社があるようです。右に赤い幟が連なっています。

f:id:owari-nagoya55:20200219124359j:plain鳥居に掲げられた扁額と幟には「浅間稲荷社」とあります。

f:id:owari-nagoya55:20200219124422j:plain参道は二手に分かれ、右に進むと赤い稲荷鳥居が建ち並ぶ浅間稲荷社へ続きます。
豊川稲荷と同じ神紋の入る赤い幟、赤一色の空間に身を置くのは久し振りのような気がします。

f:id:owari-nagoya55:20200219124444j:plain浅間稲荷社。
複数の狛狐が突然訪れた見慣れぬ訪問者をじっと見つめているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200219124507j:plain正面参道の奥に境内社
その前を小ぶりな狛犬が守護しています。

f:id:owari-nagoya55:20200219124549j:plain頭の形に特徴がある狛犬です。

f:id:owari-nagoya55:20200219124609j:plain境内社全景。
左から天神社、右隣の相殿に秋葉社、津島社、八幡社、白山社、疱瘡社、神明社が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200219124631j:plain境内社から左の本殿側面を眺めると内研ぎの千木と鰹木を持つ神明造の様です。
玉垣から先の本殿域は見通せず、末社の存在までは確認できませんでした。

f:id:owari-nagoya55:20200219124653j:plain入母屋造の拝殿正面全景。

f:id:owari-nagoya55:20200219124715j:plainふくよかな容姿の拝殿前の狛犬は昭和に入り奉納されたものです。

f:id:owari-nagoya55:20200219124737j:plain木造の拝殿は木の温かみを感じる落ち着いたもので、扁額もそれに調和する色合い。
個人的な見方で大袈裟ですが、この国や国民性を象徴する原点がこの光景じゃないかと思っています。

掲げられた扁額、吊るされた提灯は「淺間」と書かれ、提灯には五七の桐紋と桜紋が施されています。
神紋が桜紋で社紋が五七の桐紋。

f:id:owari-nagoya55:20200219124758j:plain本殿方向の眺め、御幣の左右に小さな狛犬があります。
『冨士浅間神社』は1398年(応永5)、現在の東区東桜1で当時前山と呼ばれていた場所に三谷源太夫駿河冨士浅間神社の分霊を勧請したのが始まりと云われ、祭神は木花開耶姫
家康も参詣したとされます。

現在地の幅下に遷座するきっかけは、1610年(慶長15)の名古屋城築城、元地を石垣の加工場とするため一時的な替地としてこの地に移転したもので、築城後の元地には冨士神社が再建されますが、そのまま現在地に留まることになったようで、前山の冨士神社を「冨士権現」、幅下の『冨士浅間神社』を淺間社と呼び分けていたようです。

元地の前山は、今や片側4車線の桜通りが目の前を通り、なかなか静かに落ち着いていられない。
ある意味幅下に留まって正解だったのかも知れない。
これから温かくなって境内の桜が咲くと別の表情を見せてくれそうです。

冨士浅間神社
創建 / 1398年(応永5)
祭神 / 木花開耶姫
境内社 / 天神社、秋葉社、津島社、八幡社、白山社、疱瘡社、神明社
住所 / 名古屋市西区浅間1-3-2
公共交通機関アクセス / ​市営地下鉄鶴舞線「浅間町」から北へ徒歩5分程