佛法山 宝生寺

瀬戸市駒前町171
本地大塚古墳南側の通りの光景です。

f:id:owari-nagoya55:20200413205015j:plain近くに「本地会館」停留所があり、瀬戸市コミュニティーバスが運行されているようです。
バス路線がある事を初めて知りました。

f:id:owari-nagoya55:20200413205047j:plainこの辺りから南を見れば小高い丘が迫り、その中ほどに大きなお寺さんが見えています。
「駒前1号古墳」と呼ばれる古墳(残存していない)のあった宝生寺がこちら。

f:id:owari-nagoya55:20200413205112j:plain停留所付近の道路沿いにあたりに、宝生寺寺号標があり、そこから丘に続く車道が伸びています。

f:id:owari-nagoya55:20200413205137j:plain丘の中ほどの道路右側に、大きな自然石に寺号が刻まれています。
左は山門へと続きます。

f:id:owari-nagoya55:20200413205203j:plain山門に続く参道脇に「山門禁葷酒」の戒壇石が建つ。
「さんもんきんくんしゅ」とは修行の場なので「酒や餃子の香りが漂う者は入ってくるな」ということです。今日は酒は飲んでないし、大丈夫。

f:id:owari-nagoya55:20200413205229j:plain直線的な瓦屋根の四脚山門。
右手の斜面に幾つか碑が立っているようです。
境内左に見頃を迎えた桜が彩りを与えてくれています。

f:id:owari-nagoya55:20200413205257j:plain山門額に書かれた文字は達筆すぎて悲しいかな読めない。

f:id:owari-nagoya55:20200413205324j:plain山門から境内の眺め。
桜の先に鐘楼、その先にお堂と本堂、書院?が並んでいます。

f:id:owari-nagoya55:20200413205352j:plain正面には庫裏、右手奥に小さな社も見えています。
その社の前に枝ぶりのいい桜、風が境内を抜ける度に花弁は散り始めています。

f:id:owari-nagoya55:20200413205416j:plain山門右の斜面に「本地幸せ観音」や忠魂碑等が纏められています。

f:id:owari-nagoya55:20200413205444j:plain町を見下ろす高台に建つ平和の鐘。

f:id:owari-nagoya55:20200413205618j:plain山門脇の桜と鐘楼の鬼瓦、そこに紋が入っています、輪宝の様に見えなくもないか。

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f:id:owari-nagoya55:20200413205742j:plain地蔵堂
入母屋妻入りの地蔵堂は境内の伽藍の中では最も新しい、2018年に再建されたものです。

f:id:owari-nagoya55:20200413210058j:plain地蔵堂に掲げられた扁額も新しい。

f:id:owari-nagoya55:20200413210129j:plain新しく綺麗な堂内には5体のお地蔵様「雨降り地蔵」が安置され、寺にはこのお地蔵様に纏わる言い伝えが残るそうです。

『雨降り地蔵 宝生寺狛前町。
今から370年ほど昔、名古屋城を作っている頃のお話です。
ある日の事、本地の宝生寺のお寺の下あたりで運んできた大きな石が車から落ちてしまいました。
おちた石を車に乗せようとしましたが「重くてとても運べません」、「もう腹が減って動けません」と百姓たちは汗を拭きながら云うばかりで石はどうしても動きません。
そこで石を運ぶのを諦めそのままにしておきました。
しかし、このままでは目立つし、邪魔になるので何とかできないものかと庄屋さんを中心に相談を始めました。
すると仲間の老人が「この石を石屋に頼んでお地蔵様の姿にしてもらったらどうたせろう」云いました。
「それは良い考えだと」みんな相槌を打ちました。
宝生寺境内の境内にお祀りしてあるのがそのお地蔵さんだと云うことです。
毎年8月23日の地蔵祭の日に必ずと言っていい良いくらい雨が降るそうです。
そこで人々はいつのころからか、この地蔵さんの事を「雨降り地蔵」と呼ぶようになりました。
また、このお地蔵さんに雨乞いすると雨が降ると云われています。』

農村を潤す雨、降る、降らないは農民にとって死活問題です、「祭の日には雨が降る」。
表情は分かりませんが、この地蔵は村人を守護する不思議な力を持っているのでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20200413210201j:plain入母屋瓦葺で向拝が施された本堂、白壁と木が作るコントラストは美しい。

f:id:owari-nagoya55:20200413210227j:plain本堂正面、安定感のある佇まい。
佛法山宝生寺は曹洞宗のお寺。
開創は1632年(寛永9)、雲興寺15世興南義繁により開創されようです。
その後に現在地からすぐ北側の西本地町1丁目あたりへ移転、雲興寺25世全山紹道により佛法山宝生寺として開山されます。
そこはすぐ北に赤津川が流れています、1720年(享保5)に赤津川は氾濫し一帯に大きな被害を与えたそうです。
それは宝生寺にも甚大な被害をもたらし伽藍を流失したようです、それにより少し高台の現在地へ再び移転し現在に至るようです。
自然は時に試練を与え、それを教訓として人は学んでいきます、ここならば二度と災いはないでしょう。
こうした事が起きた場所には、それを伝える碑や地名として残ったりするものですが、技術の発達や町村統合に伴いそうした先人達の警鐘が薄れてきている。

f:id:owari-nagoya55:20200413210256j:plain本堂山号扁額。

f:id:owari-nagoya55:20200413210322j:plain本堂内の眺め。
本尊は観世音菩薩。
宝生寺の前進は、赤津川と瀬戸川が交わる辺り、現在の西原町弘法大師を本尊としていたともいわれます。

f:id:owari-nagoya55:20200413210346j:plain本堂の向かいにお地蔵さんと小さな社、大小のかわいい河童の置物が幾つも置かれています。

f:id:owari-nagoya55:20200413210412j:plain社は弁天社の様で、後ろには小さな弁天池があり水を湛えています。
河童は水の神としてお祀りされているのでしょう。
ご利益は芸事、家門繁栄、商売繁盛。

f:id:owari-nagoya55:20200413210442j:plain本堂前の一本の桜は「淡墨桜」、ベンチに腰掛け見事な桜をしばし眺める。
ソメイヨシノに比べると開花時期が早いのか、風が通り抜ける度に白い花弁が舞い散り、終わりを迎えていました。

f:id:owari-nagoya55:20200413210507j:plain右に赤い前掛けが掛けられた六地蔵と子安観音が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200413210537j:plain六地蔵から見る境内、散り急ぐ薄墨桜の花弁でベンチは白く染まろうとしています。
こちらのお寺では盆踊りや花火の打ち上げイベント等も行われ、地域住民にとって身近な存在です。

f:id:owari-nagoya55:20200413210600j:plain東側から宝生寺と西本地町方向の眺め、住宅地のように見えますが、雨降り地蔵を必要とした面影はまだまだ残っています。
手前のソメイヨシノと境内の淡墨桜、こうして見ると色合いは随分違うものですね。
桜並木の坂を上っていくと御嶽社、尾張えびす大黒社に至ります。

宝生寺
宗派 / 曹洞宗
山号 / 佛法山
開創 / 1632年(寛永9)
本尊 / 観世音菩薩
住所 / 瀬戸市駒前町171
車アクセス / 本地大塚古墳から2分程
八幡社⇒本地城⇒本地大塚古墳⇒宝生寺