『備前国一ノ宮 吉備津彦神社』

岡山県岡山市北区一宮 「備前国一ノ宮 吉備津彦神社」

吉備の中山の北東の麓に鎮座する広い境内を持つ神社です。
この山は岡山平野の北東にあり、古くから和歌に歌われ、清少納言枕草子にも書かれるなど、この地方ではよく知られる山です。
そして桃太郎伝説のモデルとも云われる大吉備津彦命を祀ります。
境内には桃太郎のお供、猿(楽々森彦命)、キジ(留玉臣命)、犬(犬飼武命)、桃太郎の中で鬼を演じた温羅を祀る温羅神社など桃太郎の出演者が勢ぞろい。

f:id:owari-nagoya55:20200423171036j:plain 「吉備津彦神社」の社頭から眺める中山は、標高は170㍍程の里山ですが、この山の西麓には備中一宮の「吉備津神社」が鎮座し、同じ山の麓に二つの國の一之宮が鎮座します。
このことからも互いの國にとって神聖な山だったのが分かります、中山の由来は両社の中心ということからきているようです。
県道61号線と吉備の中山道が交わる場所に社頭があります。
石鳥居の両脇で赤黒い大きな狛犬がお出迎え、石畳の参道は随神門へ真っすぐに伸びています。

f:id:owari-nagoya55:20200423171103j:plain 「社頭の狛犬」吽形
これは石ではなく焼き物、尾張の陶器製の狛犬は瀬戸や美濃焼狛犬が多いけれど、ここは地元備前焼きの狛犬
岡山市から北東の伊部を中心に造られる備前焼釉薬は使わず、土の風合いと温もりを感じる素朴な焼き物です。写真で大きさが伝わらないでしょうが140㌢はある立派な狛犬です。

f:id:owari-nagoya55:20200423171130j:plain 「社頭の狛犬」阿形
いずれも骨太で筋肉質の逞しい姿をしています。

f:id:owari-nagoya55:20200423171155j:plain 吉備津彦神社案内図
この案内図には書かれていないけれど、この山は社殿を設ける以前の古い祭祀形式の磐座や、古墳が点在し、太古から崇拝対象の山として周辺も栄えていたのでしょう。
社頭の鳥居の左右に神池があり、中央に参道が設けられ、その先に伽藍が広がります。
別名を「朝日の宮」とも云われ、夏至の日の朝陽が正面鳥居から祭文殿の鏡に当たる様に巧みに計算された伽藍となっているそうです。

f:id:owari-nagoya55:20200423171223j:plain 左右の神池、松並木の続く石畳の参道の先に髄神門が間近に見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200423171248j:plain 参道左の神池の中ほどに浮かぶ小島は「亀島」。

f:id:owari-nagoya55:20200423171311j:plain 亀島の注連縄鳥居の先に鎮座する社が「亀島神社」。
髄神門の中央からの方位から亀島神社は水の神とされるそうです。
御祭神 / 市寸島比売命

f:id:owari-nagoya55:20200423171339j:plain 参道を挟み右側に対峙するように浮かぶ小島が「鶴島」。
そこに鎮座する鶴島神社は海上安全の神様。
亀島同様にその方位から風の神とされているそうです。
御祭神 / 底筒男命中筒男命表筒男命神功皇后

f:id:owari-nagoya55:20200423171401j:plain 参道中ほどから社頭の眺め。
夏至の日の朝陽はこの鳥居から祭文殿に光の道を作る、神々しい光景が見られる。
目の前をJR吉備線(桃太郎線)の赤い電車が通り過ぎて行きます。

f:id:owari-nagoya55:20200423171431j:plain 神池に架かる「太鼓橋」鶴島と亀島の間を縦断する参道に架かる石橋。
車輌参道として埋没していたものを、平成16年の参道整備の際に復元されたもの。
創建は定かではないようです。

f:id:owari-nagoya55:20200423171458j:plain 「随神門」。
1697年(元禄10)に備前岡山藩主の池田綱政が造営したものとされ、シックな外観の門。
綱政は後楽園の造園を命じた事でも知られています。

f:id:owari-nagoya55:20200423171522j:plain 随神門に掲げられた額も外観同様にシンプルなもの。

f:id:owari-nagoya55:20200423171545j:plain 「随神」。
左/豊磐窓命、右/櫛磐窓命の二柱が髄神としてお祀りされています。

f:id:owari-nagoya55:20200423171609j:plain 随神門をくぐると一際存在感のある大燈籠。
高さ11.5m.、笠石は8畳と云われ、大きでは日本一と云われる燈籠です。
文政13年(1830年)から安政4年(1857年)の27年にも渡り寄付がよせられ、1859年(安政6)に天下泰平を祈願し建立されたそうです。
建立にあたり27年の長きにわたる寄付を募り、6段づくりの石段には数えきれない奉納者の名が刻まれています。
正面に聳える大きな木は、樹齢千年以上と云われる御神木の杉です。
「この大杉に龍の宿る」という伝承のある、吉備津彦神社を象徴する巨木。

f:id:owari-nagoya55:20200423171635j:plain 「手水舎、手水鉢」
1697年(元禄10)に池田綱政が社殿を造営した際、石工の河内屋治兵衛が奉納した手水鉢です。
河内屋治兵衛は、和泉の國(現在の大阪南西部)に生まれ、江戸期の岡山で活躍した石工。

f:id:owari-nagoya55:20200423171701j:plain 石段の先にある拝殿の上に、中山に落ちようとする夕陽が眩しい。

f:id:owari-nagoya55:20200423171726j:plain 「社殿全景」
現存の本殿は1668年(寛文8)に池田光政が造営に着手、その後の1697年(元禄10)綱政の時に完成した。
流麗な流作りの本殿は当時の社殿建築の技術の粋がつくされたもの。
この流造は吉備国の神社建築の伝統とする正統な姿のものらしい。
この姿は古代の熱田神宮の伽藍にならったものと云われ、拝殿、祭文殿、渡殿、本殿が一直線に配置されたもの。

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「拝殿前の狛犬
こちらも石ではなく焼き物、社頭の狛犬に比べスリムで各部のシルエットはよりはっきりと作られています。
年代が違うこともあるのでしょう、色は随分変色し、日焼けが冷めたような印象。

f:id:owari-nagoya55:20200423171820j:plain 拝殿に掲げられた「一品一宮」の額と拝殿内から祭文殿の眺め。
御祭神 / 大吉備津彦命 
相殿 / 吉備津彦命孝霊天皇孝元天皇開化天皇崇神天皇、彦刺肩別命、天足彦國押人命、大倭迹々日百襲比賣命、大倭迹々日稚屋比賣命、金山彦大神、大山咋大神

f:id:owari-nagoya55:20200423171851j:plain 入母屋造り平入向拝付きの拝殿の南側からの眺め。
派手さはないけれどシックな佇まいは、一ノ宮としての風格が漂います。
訪れたのが3/23、この頃の境内の桜はちらほら、蕾が大きく膨らみ一気にスイッチは入りそうな感じです。

f:id:owari-nagoya55:20200423171916j:plain 拝殿から渡廊で「祭文殿」に繋がっていきます。

f:id:owari-nagoya55:20200423171941j:plain 祭文殿の先の「渡殿」
ここから、本殿にかけてり神域は拝殿域より一段高くなるからか、渡廊はありません。

f:id:owari-nagoya55:20200423172004j:plain 「本殿」
唯一檜皮葺で外研ぎの千木が施された流造の本殿、周囲を透塀が取り囲んでいます。
背後の吉備の中山に巨大な天津磐座磐境を有し、山全体が神の山として崇敬されてきました。
大吉備津彦命は吉備中山の麓の屋敷跡に社殿が建てたのが始まりと言われ、その後佛教も入り、神宮寺や法華堂など伽藍は伽藍は51社を具えたと云われます。

f:id:owari-nagoya55:20200423172034j:plain 写真上
本殿左の神域
石の社は岩山神社の社。
御祭神  /  建日方別命、伊邪那岐命伊邪那美命を祀り中山主神とも呼ばれるそうです。

右の社は尺御崎神社で本殿両脇に二社が祀られています。
御祭神 /  夜目麻呂命  夜目山主命
吉備津彦命の従者がお祀りされていて楽御崎の2社と共に本殿を守るように配祀されています。 あたかも桃太郎さんと共に鬼退治をした猿、雉、犬たちが、今でもお仕えしているかのようです
写真下
楽御崎神社
御祭神 / 楽々与里彦命
本殿の両脇に祀られています、吉備津彦命の吉備の国平定の際に活躍した従者が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200423172104j:plain 背後の吉備の中山には巨大な天津磐座(神を祭る石)磐境(神域を示す列石)があり、山全体が神の山として崇敬されてきました。吉備津彦命は吉備中山の麓の屋敷跡に永住し社殿を建てたのが始まりと言われ、その後佛教も入り、神宮寺や法華堂など伽藍は51社を具えたと云われます。

f:id:owari-nagoya55:20200423172128j:plain 拝殿脇のこの建物と社務所の間から境内を一旦出て、中山に続く参道に向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20200423172152j:plain 境内から左に出ると、社殿と並行するように赤い鳥居が連なり、参道の先は「稲荷神社」に至ります。

f:id:owari-nagoya55:20200423172226j:plain 上
稲荷神社に向かう参道から、流造の本殿の側面の眺望がきき、流麗な屋根の曲線が見て取れます

稲荷鳥居が途切れるあたりから左に、複数の社が現れます。
それらの後方は山の傾斜を生かした段々畑で、その中に大きな石碑も建っています。

f:id:owari-nagoya55:20200423172301j:plain 上
「温羅神社」
御祭神 / 温羅の和魂 童話桃太郎で吉備津彦命と戦った温羅は鬼とされていますが、吉備の国に様々な文化をもたらし「吉備の冠者」の名を吉備津彦命に献上したとされ、温羅の和やかな和魂を祀ります。


「十柱神社」
吉備海部直祖、山田日芸丸、 和田叔奈麿、針間字自可直、夜目山主、栗坂富玉臣、忍海直祖、片岡健命、 八枝麿、夜目丸の十柱が祀られている。

f:id:owari-nagoya55:20200423172335j:plain 上
「牛馬神社」
保食神を祀る。
左後方の一段高い場所に「忠魂の碑」がありますが、この土台となる石も磐座ではないかとされています。

「祖霊社」
吉備津彦神社歴代社家の霊が祭られている。

f:id:owari-nagoya55:20200423172411j:plain 上
赤い稲荷鳥居が途切れると石鳥居が現れ、参道は石段に変わり稲荷神社の社に続く。

「ト方神社」
鳥居を過ぎた左手の斜面に鎮座する小さな社。
御祭神 / 輝武命 火星照命

f:id:owari-nagoya55:20200423172441j:plain 「稲荷神社」
石段を上り詰めた先の小さな境内に社があります。
御祭神 / 倉稲魂命 
五穀豊穣、商売繁盛、諸業繁栄、生産の神、この地方では最も早くから祀られたと云われます。

本殿左はここまでにして、次に本殿右の摂末社に向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20200423172512j:plain 本殿右からの眺め。
流造りの特徴である、緩やかな曲線を描きながら、長く延びる向拝。
良く三間流造とか耳にしますが、正面から見て柱が4本あれば柱の間が三つなので三間社と呼びます。
柱が2本だと柱の間は一つしかないので一間社、身近で良く目にするのがこれが多いようです。

f:id:owari-nagoya55:20200423172538j:plain 上
これも流造、柱は2本なので一間流造。
本殿域右側の手前にある社は「楽御崎神社」御祭神 / 楽々森彦命
赤い社の子安神社が右の高台に見えています。

本殿域右奥の社「尺御崎神社」
御祭神  / 夜目山主命

「楽御崎神社」と「尺御崎神社」は桃太郎のお供の猿、犬、雉の様に本殿左右に祀られています。

ここから右に参道が続き子安神社へ続きます。

f:id:owari-nagoya55:20200423172610j:plain 参道を右に進むと正面に天満宮に至ります。
天満宮
御祭神 / 菅原道真
学問の神さまとして知られる菅原道真ですが、901年(延喜元年)に太宰府に向かう道中の道真が吉備津彦神社に立ち寄ったとされ、古くから天満神社が祀られていたという。
元々の社殿は老朽化により、1909年(明治42)以降は他の末社に合祀されていたそうです。
2005年(平成17)に新たな社殿が再建され現在の姿となっています。

天満宮の左に石鳥居があり、そこから上に続く石段の先が先程の「子安神社」、右手には複数の社が祀られているのが分かります。手持ちの小銭も心細くなってきました。

f:id:owari-nagoya55:20200423172641j:plain 上
鳥居から朱が印象的な摂社の「子安神社拝殿」を見上げる。
祭神は伊邪那岐命伊邪那美命、 木花佐久夜姫命、 玉依姫命を祀ります。

横からの見た社殿全景
古来より縁結び、子授け、安産、育児の神様として崇められ、神社周辺に生えるワラビを採り、夫婦で食べると子宝に恵まれるという伝承があるようです。

f:id:owari-nagoya55:20200423172709j:plain 子安神社の右に七社が整然と並び祀られています。
一つ一つ参拝していきます。

f:id:owari-nagoya55:20200423172733j:plain 上段左から 下宮 / 倭比賣命、伊勢宮 / 天照大神
下段左から 幸神社 / 猿田彦命、鯉喰神社 / 楽々森彦命荒魂 

f:id:owari-nagoya55:20200423172759j:plain 上段左から矢喰神社 / 吉備津彦命御矢、坂樹神社 /  句句廼馳神 
下段 祓神社 / 祓戸神

f:id:owari-nagoya55:20200423172826j:plain 神聖な中山の杜の麓に佇む社の姿はここだけでも厳粛な空気が伝わってきます。

天満宮、子安神社の社頭の前は参拝者駐車場となっていて、車の場合はここが便利で、左に進めば吉備津彦神社の大燈籠に続きます、社頭の狛犬に遭うには一旦戻る事になります。

f:id:owari-nagoya55:20200423172857j:plain 広い参拝者駐車場の外れには中山森造氏の手による桃太郎と家来のセメント像が東を向いて立っています。
視線の先は神池に浮かぶ鶴池とその先に赤い電車が通り過ぎる長閑な光景があります。
吉備津彦神社は歴史と風格のある一ノ宮に相応しい神社でした。

f:id:owari-nagoya55:20200423172928j:plain 訪れた当日はCOVID-19感染防止対策として、手渡しによる御朱印帳の記載を取りやめ、書置きに変更されていました。


備前国一ノ宮「吉備津彦神社」
創建 / 不明
祭神 / 大吉備津彦命
本殿 / 流造
境内社 / 子安神社、天満宮霧島神社、亀島神社、稲荷神社、十柱神社、牛馬神社、温羅神社、祖霊社、七つの末社など
住所 / ​岡山県岡山市北区一宮1043