『八王子神社』瀬戸市瀬戸市共栄通5-66

名鉄瀬戸線「水野」駅から南に15分程。
名古屋方面から車だと、国道363号線矢田川(赤津川)に架かる本地橋を渡ってしばらくすると緩やかな登りとなります。
東寺山町の交差点を左折、北方向に2~3分走れば「八王子神社」です。

f:id:owari-nagoya55:20200507221332j:plain 一之鳥居前に曹洞宗慶昌院がありますが、この辺りは城屋敷町。 

f:id:owari-nagoya55:20200507221354j:plain 「八王子神社」一ノ鳥居から境内の眺め。
訪れたの2020/4/5、境内の桜が見頃を迎えていました。

f:id:owari-nagoya55:20200507221415j:plainニノ鳥居手前の参道左に「今村御蔵」
1853年(嘉永6)年貢米、米が凶作時の備蓄目的で建てられた蔵。
2019年に改修の手が入れられたものが現在の姿。

f:id:owari-nagoya55:20200507221442j:plainニノ鳥居から境内の眺め。
中央に拝殿、左に手水舎、社務所、右に赤い鳥居が連なっています。
側面と後方に大きな楠木が取り囲んでいます、明るく風の通りがいい境内です。

f:id:owari-nagoya55:20200507221506j:plainニノ鳥居右の社号標。

f:id:owari-nagoya55:20200507221529j:plainニノ鳥居左の手水舎と一ノ鳥居方向の眺め、その先の左が慶昌院本堂で右が参拝者駐車場。

f:id:owari-nagoya55:20200507221556j:plain 上 手水舎脇の由緒書き
由緒抜粋
当社の創祀年代は不明、1473年(文明5)癸巳9月松原下総守源廣長による本殿修復の棟札が残り、これ以前よりこの地に祀られていた古社。
尾州誌志曰く「八王子の社、今村に有り。5男3女神を祀り、天照大神、素盞嗚尊を配享す」と記されている。1907年(明治40)神饌幣帛料供進社に指定。

下 境内伽藍
本殿修復に貢献した松原廣長は1482年(文明14)、品野村城主永井民部(長江利景)との戦いで廣長は敗れ討死、その後城は無くなりました、それでも、村の人々や慶昌院歴代住職に守られて八王子神社は今にあります。この地を治めた廣長を祀る社が本殿西隣に鎮座しています。

f:id:owari-nagoya55:20200507221629j:plain 社殿東から社務所方向を見る。
建物と比較すると大きく横に広がった楠の枝振りには感心する。

f:id:owari-nagoya55:20200507221656j:plain 桐紋の入った三ノ鳥居から拝殿正面の眺め。
石段を上がった先に社殿が建ち、右奥には緑色の屋根の社があるようです。

f:id:owari-nagoya55:20200507221721j:plain 拝殿を守護してほぼ100年、均整が取れた容姿の狛犬

f:id:owari-nagoya55:20200507221749j:plain 拝殿に掲げられた扁額と鈴、忍び寄るCOVID-19を感じさせる光景です。
何度も見たくはないけれど、そうそう見られるものではない、鈴紐が垂れ下がる日を待つしかない。
願い事は決まっている、参拝。 

f:id:owari-nagoya55:20200507221816j:plain 拝殿東から三間社流造の本殿域の眺め、右側に脇殿。
本殿を小ぶりな狛犬が守護していますが寄れませんでした。

祭神 / 天之忍穂耳命、天之菩卑能命天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命多紀理毘売命多岐都比売命市寸島比売命
脇殿 / 天照大御神須佐之男大神
例祭  /  10月中旬日曜日

f:id:owari-nagoya55:20200507221845j:plain 本殿左の赤い鳥居、その先は「伏見稲荷八王子大明神」へ続く、手水鉢に清水はない。

f:id:owari-nagoya55:20200507221913j:plain 伏見稲荷八王子大明神「稲荷殿」全景。
ここから左に進むと今村城の遺構に続きます。

f:id:owari-nagoya55:20200507221939j:plain 稲荷と云えば狐、痩せたお狐さんに出逢うと悲哀を感じてしまうが、こちらはいい姿をしている。
稲荷殿の左に大きさが様々な狐の群れ。

f:id:owari-nagoya55:20200507222005j:plain 稲荷殿扁額と内部の眺め。

f:id:owari-nagoya55:20200507222034j:plain 稲荷殿から八王子神社本殿、拝殿方向の眺め。

f:id:owari-nagoya55:20200507222103j:plain 稲荷殿から左に進むと三つの石の祠があります、詳細は分かりません。
今こうしてみると、中央に祠の正面に梵字らしきシルエットがある事に気付きました。

誰かがいない。

f:id:owari-nagoya55:20200507222132j:plain 本殿後方に小さな池があります。
嘗ての今村城の堀の名残で西側に「松原廣長公城跡」の石標が建つています。

f:id:owari-nagoya55:20200507222204j:plain 池の中ほどの小島に続く石橋の袂に二つの石碑。

はっきりしないけれどコントラストを上げていくと「水宮」?と彫られているような。
下は水神

f:id:owari-nagoya55:20200507222235j:plain 今村城は寛正年間(1460年 ~ 1466年)に三河国松原吉之丞が現在の瀬戸市に移るために築城され、二代城主廣長の死と共に廃城の道を辿り、八王子神社境内に嘗て城であった痕跡は、僅かに残る水堀とお鶴の井戸が残る。
今村遺蹟保存会により建てられた碑が建ち、廣長が村人から慕われていた事がここに表れています。

f:id:owari-nagoya55:20200507222302j:plain 「お鶴の井戸」
池の東に石碑が建ち、その手前に石で四角に組まれた井戸、そこには今も水が湧き出ているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200507222331j:plain 社殿西側の眺め、手前の神明造の社が松原公社殿。
社の正面全景、鰹木が5本、内研ぎの千木が施されています。
右に大きな石碑が建てられています。

f:id:owari-nagoya55:20200507222356j:plain 社の全景、後方では千木が付いていたが、正面に千木は見当たらない。落ちた?しかも両側?
右の石碑は松原公を称え、後世に語り継ぐために建てられた碑。

f:id:owari-nagoya55:20200507222422j:plain 上
右手に連理の椿(夫婦椿)と呼ばれる御神木があり、縁結び、家内安全にご利益があるそうです。
奥に三間社流造の本殿が間近に見て取れます、狛犬はやはり顔は見せたくないようです。

西側から鮮やかな緑に包まれた社殿側面の全景。
切妻平入の拝殿と本殿がコンパクトに纏められています。

古くから鎮座する八王子神社、松原廣長の居城今村城跡と共に今も地元から慕われ続けています。

八王子神社
創建 / 年代不明、1473年松原廣長により本殿修復
祭神 / 天之忍穂耳命、天之菩卑能命天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命多紀理毘売命多岐都比売命市寸島比売命
脇殿 / 天照大御神須佐之男大神
例祭  /  10月中旬日曜日
境内社 / 伏見稲荷八王子大明神、松原公社殿
住所 / 瀬戸市共栄通5-66
公共交通機関アクセス / ​名鉄瀬戸線「水野」駅から南に15分程

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