「天王社」守山区鳥羽見1

守山区町北 1 『天王社』から瀬戸街道を南へ。
矢田川橋の手前から右に堤防道路を矢田川下流に向け歩きます。

f:id:owari-nagoya55:20200518092700j:plain 矢田川に架かる矢田川橋、並行して瀬戸電の矢田川橋梁が架かっています。
ちょっと前までは矢田川の流れと岸辺の緑、そこに赤い電車がゆっくり〃通り過ぎる姿は趣があった、
今は銀ピカで綺麗な車両に変わり通過していても存在感は薄くなった気がする。

f:id:owari-nagoya55:20200518092722j:plain 直線的に流れる矢田川下流の眺め、中央のこんもりしたところは長母寺、その手前に矢田の渡しの石標があります。

f:id:owari-nagoya55:20200518092749j:plain 澄んだ水が緩やかに流れる矢田川ですが、少し前、更に昔と流れは大きく変わってきました。
上段左は明治頃の川の様子、右がほぼ現在、随分と流れは真っすぐに変わってきました。
マーカーの位置が今回の目的地鳥羽見1の「天王社」。

下段は尾張名所図会に描かれた長母寺、これが描かれた当時も川は北側を流れています。
それ以前の矢田川は長母寺の南を流れていましたが、1767年(明和4)に矢田川は大きな氾濫を起こし流れは長母寺の北を流れるようになりました。幾度となく暴れた矢田川も護岸が整備され、今はなりを潜めていますが天井川である事に変わりはありません。
水害が避けられない土地柄なので輪中や水屋であったり独特の文化が生まれます。

f:id:owari-nagoya55:20200518092831j:plain 堤防道路を下流に向かう、道は堤防道路と堤防北側に向かう分かれ道にでます。
そこを下ると更に先で二手に分かれます、鳥羽見1の天王社はこの分かれ道の右に鎮座しています。
赤い覆屋が見えると思います。

f:id:owari-nagoya55:20200518092855j:plain 玉垣で囲われた境内に大きな屋根が設けられ、突然雨が降っても濡れずに参拝できる。

f:id:owari-nagoya55:20200518093009j:plain社の全景。
赤く塗られた覆屋の下に赤い社は守山でよくお見掛けする外観そのものです。
社の台座はひと際高く石垣が積まれ、南を向いて祀られています。
これも矢田川を見据えてのことだろうか。

f:id:owari-nagoya55:20200518092942j:plain 扉が開けられた社の中に津島神社の札が納められています。
棟札や蝋燭立てなどに創建に繋がるような年号は見当たらなかった。
こちらの天王社の詳細も不明。
鎮座地を1891年のマップで見ると当時は鳥羽見集落の西外れに辺り、そこから西は水田が広がっています。恐らくはそれくらいに鳥羽見の守護として祀られたものではないでしょうか。

f:id:owari-nagoya55:20200518093053j:plain 天王社後方からの眺め。

左の高台に見える森が守山城址と宝勝寺、ここは守山大地の西の端。
この高台から見る周囲の眺めは遮るものはなく、城を建てるには絶好の場所なのが分かります。
嘗て水田が広がっていた光景は家並みに変わりましたが、その中にポツン〃と小島の様に森が点在する所には神社が残っています。 

次の目的地はここから宝勝寺の高台に向かいます。

鳥羽見1「天王社」
創建 / 不明
祭神 / 速須佐之男
住所 / 名古屋市守山区鳥羽見1
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線「​矢田」駅から矢田川橋を渡り左、徒歩5分程
町北1天王社からのルート / 矢田川橋で右に​堤防道路を徒歩5分程
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