「上条城址」春日井市上条町

今回も春日井市

JR春日井駅から直行すると10分ほど、春日井市上条町3の不明社経由で西に歩く事15分程で上条城跡に着くのではないでしょうか。

f:id:owari-nagoya55:20200623104957j:plain 目標となるのは1本の木が聳えるこの石碑、というか右側の駐車場かもしれません。
東西に長い駐車場の西角に建つ石碑が上条城跡。

f:id:owari-nagoya55:20200623105019j:plainどこかに遺構はないのか?
右は整地された駐車場で痕跡らしきものは見当たりません。

f:id:owari-nagoya55:20200623105040j:plain 城址を示す石標があるのかと思えば、自分が見た限りそれらしい石標は見当たらない。
石碑正面にそれらしい事が彫られているのでは?と近づいて見るも、この碑には「林金兵衛君碑」とあり、その下に細かい文字が碑の全面に彫られている。

林金兵衛(1825年(文政8)~1881年( 明治14))を調べて見ると、初代東春日井郡長で今井兼平から数えて林家の28代目にあたり、上条城(じょうじょうじょう)主の小坂氏の子孫に当たる方だそうです。
上条城は小坂光善が1218年(建保6)に築城し、後に近江国へ移り住んでいたが、林重之の代に上条城に戻り、名字を「小坂」から「林」へ改姓したそうです。
上条城は1586年(天正14)に秀吉により廃城となるも、小牧・長久手の戦いで秀吉は自ら兵を率いて竜泉寺の帰路、林重登の屋敷で少しの期間滞在したという。
秀吉はこの時の礼として重登を春日井郡57ヶ村の総代庄屋に指名、重登から林金兵衛の代まで大庄屋として明治に至るまで勤めた。
城であり林家の屋敷でもあったようです。
この碑にはこうした事が刻まれていると思われます。

f:id:owari-nagoya55:20200623105102j:plain 遺構としては駐車場が嘗ての本丸で「人呼びの丘」と呼ばれる天守跡(左のこんもり部分)やその東側に石垣や西側には土塁の痕跡が残る。
こうして見ると遺構というより造成工事中の趣です。

f:id:owari-nagoya55:20200623105120j:plain 駐車場から北側を見ると今もこうして石垣が残っています。
北側には回り込んでいないのでよく分かりませんが、本丸跡の駐車場は時代の流れとはいえ、石碑や遺構をここまで留めているのだから、当時を忍ばせる想像図や解説が掲げられていると訪れる方は多くなると思う。
文化財に指定されていない事もあり予算が付かないのだろう、これが現実なのかも知れない。
訪れる方もなく静まり返った上条城跡、折角の遺産がもったいない気がします。
2020/6/13

上条城址
築城 / 1218年(建保6)
築城主 / 小坂光善
主な城主 / 小坂光善、林重之、林盛重、小坂雄吉
廃城 / 1586年(天正14)
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公共交通機関アクセス / JR中央線「春日井」駅下車、​南口から南へ徒歩約10分
上条町3の不明社からアクセス / ​社から南西に徒歩10分