「芝東照宮」東京都港区

東京都港区芝公園4「芝東照宮

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 増上寺から日比谷通りを5分程南に歩く。
芝公園を右手に眺め旧台徳院霊廟惣門(右)と増上寺(中央)、後方に東京タワーも一望できる。

f:id:owari-nagoya55:20200705101949j:plain 芝公園の一画が目的地「芝東照宮」。
社号標の先の参道は駐車場になっているようで、参道を普通に車が出入りしています。

f:id:owari-nagoya55:20200705102012j:plain 参道に入ると1788年(天明8)に奉納された凛々しい容姿の一対の狛犬

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 参道の明神鳥居と扁額、「家達」(いえさと)の文字が入っています。
家達(1863~1940)は徳川家16代当主で、徳川幕府の終焉がもう少し遅ければ慶喜の次を担う将軍の座も現実のものだっただろう。この扁額は2000年(平成12)に改修されたもの。

f:id:owari-nagoya55:20200705102104j:plain 鳥居から最初の石段を上る。
両脇の芝東照宮の提灯には当然ながら葵の紋が入ります。
正面にはいかにも東照宮らしい拝殿が見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200705102127j:plain 境内右に徳川家光が植樹したと伝えられる御神木のイチョウの大樹。
戦災を免れ今も境内右に聳えたっています、1956年(昭和31)に東京都の天然記念物に指定されているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200705102147j:plain 境内右に手水舎、手水鉢があり清水は常に注がれています。

f:id:owari-nagoya55:20200705102212j:plain 参道両脇に「徳川家康公(家光公お手植え公孫樹)」と書かれた青い幟。
公孫樹? イチョウの事ですね、黄金色に染まった境内はとても綺麗なもの。
杉などに比較すると非常に燃えにくい樹で、落ち葉の絨毯は防火シートの役割も果し、銀杏が実れば食料にもなる、そんなことから神社仏閣や広域避難場所などの周囲で見かけることが多い。

f:id:owari-nagoya55:20200705102233j:plain 権現造の拝殿全景。
芝東照宮日光東照宮久能山東照宮上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つとされる。
大きさは違えど煌びやかさは通じるものがあります。

芝公園は古くは増上寺境内でそこに勧請されたもので、境内の社殿の一つだった。
由来は家康が1601年(慶長6)に還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた「寿像」を駿府城に於いて祭祀していた。

1616年(元和2)家康は死去に際して「寿像」を祭祀する社殿を増上寺に建造するよう遺言したとされ、その年に着工、1617年(元和3)に竣工、完成した社殿は家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」から「安国殿」と呼ばれ、これが芝東照宮の起源とされる。
上野東照宮の創建が1627年(寛永4)とされるので、芝東照宮の方が創建は早かった事になる。

f:id:owari-nagoya55:20200705102254j:plain 拝殿左の由緒書きと境内の方位石。

f:id:owari-nagoya55:20200705102318j:plain 芝東照宮
創建 /   1617年(元和3)
祭神 /  徳川家康
御神体 /  徳川家康寿像

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 創建以来年月を重ね、明治の神仏分離令に伴い、増上寺から切り離されて芝東照宮となります。
そして1945年(昭和20)の東京大空襲により伽藍を焼失し、唯一焼け残ったのは御神体の「寿像」と神木のイチョウだけだったという。

今見る社殿が再建されたのは1969年(昭和44)の事だという。
鉄筋コンクリート東照宮として生まれ変わり、近年では2014年(平成26)に幣殿、拝殿、外部壁や、飾り金具等に補修の手が入っているようです。
斜めから見る姿は実に複雑な屋根構造をしている。

f:id:owari-nagoya55:20200705102359j:plain 南から見た芝東照宮社殿。
左の本殿から拝殿が繋がっているのが分かります。
ここ芝東照宮久能山東照宮上野東照宮の様に本殿域の拝観できないようです。
上野東照宮より創建が古いけれど、空襲で被災するかしないかで随分と佇まいに差を感じてしまう。
キンキラで近寄りがたい存在感の上野東照宮に対し、身近で親しみやすいのが芝東照宮かもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20200705102419j:plain 芝東照宮の境内から南に続く小道があり、そこを抜けると梅林が広がります。
「銀世界の梅」と呼ばれ、2/20の頃の梅林は赤・白の梅が咲き始め、満開にはまだ少し早かった。
色合いの乏しい街中にあって、四季を感じることができる貴重な場所かもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20200705102442j:plain 東京タワーが一望できる芝公園の中、芝東照宮の背後に小高い盛り上がりがあります。
芝公園ランプの北側の切通しになった部分で、通りには「丸山貝塚」の解説が掲げられています。
ここは5世紀後半につくられたと推定される前方後円墳の「丸山古墳」。
墳丘へは石段もあり自由に登ることができる。看板の辺りは円型に繋がる方型部分の裾にあたるようだ。

埋葬者など詳細は不明なようですが、長さは約112㍍にもなり、都内最大規模の古墳と云われる。
この古墳、円型の墳丘部分は江戸時代に既に広場となっていたと言われます。
古墳として認識されたのは意外に新しく1893年(明治26)の事で、発掘調査では埴輪や須恵器などが見つかったそうですが遺構らしいものは見つからなかったいう。
丸山古墳周辺には7世紀頃の小型の円墳が複数存在したようで、副葬品も出土されたようです。
ビルが立ち並ぶ環境にあって、現在では海岸のイメージすらできないけれど間近に海が迫っていたようです。
2020/02/20

芝東照宮
創建 / 1617年(元和3)
祭神 / 徳川家康
住所 / 東京都港区芝公園4-8-10
公共交通機関アクセス / 都営地下鉄三田線 御成門駅下車 A1出口より徒歩2分
関連記事 / ​増上寺​、久能山東照宮上野東照宮
増上寺からアクセス / 徒歩で​南へ5分程

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