『大日社』諸説ある幻の和爾良神社の飛地末社

春日井市上条町4
左手に製紙工場があり、子供の頃は「香しいにおいの漂う場所」の印象が強かった。
その後技術も進歩し今やそんなことは全くない。
過去の事かもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20200711082502j:plain 県道25号線(称春日井一宮線)で写真の前方、春日井市役所方向に向かうと県道508号線下街道に交わります。
大日社は大手製紙会社春日井工場の東にあたります。目印は歩道橋と右手の森かも知れません。

f:id:owari-nagoya55:20200711082559j:plain 大日社正面全景、緑の中に鳥居の白さが際立ちます。
県道沿いの小さな杜に南を向いて明神鳥居が見られます。
所謂参道はなく、杜を取り囲む様に玉垣で囲われていて、鳥居の前の月極駐車場を通りそこから鳥居へ向かう事になります。見た所参拝者駐車場もないので車で訪れると困るかもしれません。

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大日社境内全景。
広い境内の中央に社殿があり、間引かれて大きく枝を張って育った木々が境内に程よい木陰を作っています。
風通しも良く、木々が鬱蒼としているわけでもないので、この時期悩ませられる蚊や、じめじめした環境ではありません。陰か陽かで表現すれば陽の神社。

f:id:owari-nagoya55:20200711082709j:plain 大日社鳥居と境内に木陰を提供してくれる樹々。
大日社が単独で社殿を構える姿はあまり記憶がありません。

f:id:owari-nagoya55:20200711082730j:plain 鳥居右のトウカエデの巨木とその手前に道風橋の石標。
このあたりは小野道風生誕地として、ここから庄内川方向の松河戸付近に道風記念館が建てられています。
道風の生誕地は諸説あるようで、記念館のある松河戸説とここ上条町の上条城付近の二つの説があるようです。何れも決定的な根拠を見出せないようです。

今ほど河川整備されていない昔、暴れ川で流れを幾度か変えてきた庄内川の付近で生活するとしたら?
個人的に住むのであればこの辺りだろう。

サボテンや葡萄、桃などで馴染みのある春日井ですが道風以外にも謎があります、それは和爾良(カニラ)神社。大日社は和爾良神社の飛地末社として記されていますが、東に少し歩けば事実、和爾良神社が鎮座しています。
我こそは幻の和爾良神社と伝えられていたり、ここがそうだと推定される神社は複数存在し、考察されていますが決定打は出ないようです。
和示良神社 / 名古屋市名東区猪高町猪子石
両社宮神社 / 春日井市宮町

f:id:owari-nagoya55:20200711082758j:plain 綺麗な透塀に囲われた社殿全景。
柿渋が塗られているのかな? 木漏れ陽を受け、落ち着いた色合いで佇む姿は個人的に好きな光景です。
祭神は大日霎命で創建などの詳細は分かりません。

f:id:owari-nagoya55:20200711082820j:plain4本の鰹木と内削ぎの千木を持つ神明造の社、こちらも経年劣化を感じさせない綺麗なものです。
後方は県道25号線、交通量は多い方ですが境内では意外に苦にならない。
歩道を行き来する歩行者も少ないようで、ベンチでもあれば涼んでいきたくなる。

f:id:owari-nagoya55:20200711082841j:plain 大日社由緒
祭神 大日霎命(日の神)
住所 春日井市上条町4丁目2181番地
由緒
鎌倉時代の健保6年(1218年)
木曽義仲の四天王の一人である今井四郎兼平の孫の小坂(男坂)孫九朗光善が上条城を築城した折、衰微していた和爾良神社を再興し、また、三の丸の外に外廊の土塁をめぐらせ、その西南の隅(本丸中心から150間)に御旅所を造営し、大日霎命をお祀りした。
大日の森(道風の森)として親しまれている。」

御旅所とはよく耳にするけれど
神社の祭礼など神さまが神幸の途中で休憩やお泊りになる場所の事、なので普段は御旅所には神さまはお見えになりません。
そうした事から由緒に祭神を記さない場合もあります。
時に摂末社や配偶神を祀って社殿を構えるものもあったり、諸事情により元の鎮座地から一時的にお祀りされたりする場合もあるようです。

f:id:owari-nagoya55:20200711082905j:plain 参拝させてもらい、社の全容を収めさせて頂きました。
シックな社だけに僅かに施された金色の飾り金具は存在を主張してきます。

こちらの由緒書きに大日霎命(オオヒルメノミコト)と記されているので、普段からこちらにお見えの様です。(大日霎命は天照大御神の別名)

f:id:owari-nagoya55:20200711082928j:plain西側から見た境内の眺め、社殿の左に注連縄が吊るされた石があるようです。

由緒によれば上条城を築城した折、衰微していた和爾良神社を再興し、本丸から150間に御旅所・・・・・とあります。上条城は写真右手方向になります。
この御旅所が本丸から150間となると少し距離間が違うような気もしないでもないが、大した問題ではないだろう。
何よりもここを知る方がそうらしいといい、後世に語り継ぐ目的で記された由緒は率直に受け入れ尊重するものです。
個人的にこの差は長いスパンで見れば「それがどうした?」と思ったりする話です、古老の伝承は時にウイットに富んだジョークの様な事を語ってくれたりもする、悪意でも、利権に絡むものでもない彼らにすれば真実そのもので聞くのが楽しかったりする。

昨今世の中で起きている???と比べれば、取るに足らないし、歴史の謎は専門家が出してくれるのだろう。昨今起きている???は謎ではなく、その気になれば結論が出せるものばかり。

f:id:owari-nagoya55:20200711082952j:plain 境内の左わきの石標。
相変わらず学びがない、写真で読めばいいとする悪い習慣から、今回も刻まれている中身は読み取れない。指でなぞるか?

f:id:owari-nagoya55:20200711083014j:plain境内から鳥居方向の眺め。
鳥居や玉垣は2018年(平成30)と刻まれています、和爾良神社・合祀再興800年を記念し建之されたもののようです。

梅雨の晴れ間、汗だくの体に心地よい日陰と風を提供してくれた大日社、歴史も分からないし謎の多い地域ですがとても快適な環境を提供してくれました。

和爾良神社の飛地末社 大日社
創建 / 不明
祭神 / 大日霎命
住所 / 春日井市上条町4-2181
公共交通機関アクセス / JR中央線「春日井」駅下車、​
徒歩で南へ15分程
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