繁華街に溶け込むように鎮座する「烏森神社」

東京都港区新橋2
烏森神社を訪れたのは現在の様なコロナ禍に陥る前の2月20日の事、当時でもアルコールスプレーとマスクは用意していった。

おやじにとって新橋と云えば賑やかで居酒屋などが密集する聖地。
その聖地のビル街に鎮座する烏森神社は都会の様式に適応した神社だ。
ここでは鎮守の杜はビルだ、ひっそりと佇む神社のイメージとは若干かけ離れている。

f:id:owari-nagoya55:20200720041352j:plain 神社に向かう路地裏は洗練された都会の姿とは別の表情を持つ、大好きな雰囲気です。
かみさんの舵取りがなければ、親父の進路は神社からそれていくのは間違いない。

f:id:owari-nagoya55:20200720041424j:plain 烏森神社は芸能の神として崇められる天鈿女命を祭神とする神社。
見慣れない形の一ノ鳥居、なんと呼べばいいのだろう

平安時代の940年(天慶3)、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治で知られる藤原秀郷が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐が現れ白羽の矢を与えたという。
その矢を持って東夷を鎮めることができた事から、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現れ、神鳥の群がる所が霊地だと告げた。
そこで桜田村の森まできたところ、お告げ通りの烏が群がる場所に出逢い、そこに社頭を造営した。
それが、烏森稲荷の起こりとされる。

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 『江戸名所図会』の烏森稲荷社に当時の様子が描かれています。
石畳の参道と鳥居、その先に社殿を構え周囲は杜に囲まれていた様子が描かれていました。
当時から参詣者で賑わい日本橋椙森神社、神田の柳森神社と併せ「江戸三森」として古くから崇敬されてきた神社。
参道脇の光景は変れど、当時の面影は今も漂っている。

明暦の大火が起こった際、江戸の町は焼け野原となり、烏森稲荷社の周辺は焼けてしまった。
しかし不思議な事に烏森稲荷社だけが延焼を免れたそうです。
これは神威の致すところと考えられ、人々の信仰は厚くなっていったようです。

f:id:owari-nagoya55:20200720041512j:plain 延焼しなかった烏森稲荷社ですが秀吉の小田原征伐の際に、稲荷社は焼失してしまいます。
その後、家康が跡地に大名屋敷を建てたそうですが、屋敷に入った大名家は相次いで断絶に至るという不吉な結果が起こったことから、社殿を再興したそうです。

1873年(明治6)にそれまでの烏森稲荷社の社名から「烏森神社」へ改め現在に至るようです。
今日まで新橋烏森の守護神として人々から崇敬され続けている。

f:id:owari-nagoya55:20200720041534j:plain 烏森神社ニノ鳥居と拝殿全景。
一ノ鳥居同様に不思議な形をした鳥居です、現在の鳥居は1993年(平成5)に建てられたコンクリート製の鳥居。
石段の先の社殿も鳥居同様に伝統的な様式に固執しない独特の造りで1971年(昭和46)に造営されたもの。

f:id:owari-nagoya55:20200720041558j:plainニノ鳥居の先で拝殿を守護する狛犬
狛犬は鳥居や社殿の様に弾けられなかったと見え、見慣れた面々です。

f:id:owari-nagoya55:20200720041620j:plain 手水鉢は個性的で、類を見ないおしゃれな外観です。
烏森神社では、心願色みくじと呼ばれる、おみくじと一緒に願掛けができるくじがあります。

赤が(恋愛、良縁)、黄は(金運、幸運、商売)、青が(厄祓、仕事学業、芸)、緑は(健康、家庭)に色分けされ、おみくじと同じ色の「願い玉」と呼ばれるお守りと願掛けの「願い札」が授与され、書かれた願い札は後日神職により心願成就祈願が行われるそうです。
参拝者に訪れる方の年齢層や性別の傾向を見ていると恋愛・良縁を求める若い女性が多いようです。
カラフルな御朱印も女心をくすぐる一つなのかも知れません。

f:id:owari-nagoya55:20200720041646j:plain 吽形の狛犬の先に「きやり塚」と記された石標があります。
 江戸時代の町火消し「め組」一番組が奉納したと伝わり、明暦の大火を免れた事もあり火伏せの神として、町火消しから崇敬が篤かったとされる。

地名の由来(神社HPより)
『 烏森の地は、古くこのあたりが武蔵の国桜田村と呼ばれていた時代には、江戸湾の砂浜で、一体は松林であった。
その為、当時この地帯は「枯州の森」あるいは「空州の森」と言われていた。
しかもこの松林には、烏が多く集まって巣をかけていた為、後には「烏の森」とも呼ばれるようになった。
それが烏森という名の起こりである。明治以降昭和7年まで町名として使われていたが、その後新橋に改められ、今ではJR新橋駅の烏森口としてその名をとどめている。』

例大祭 (神社HPより)
『5月4.5.6日 江戸時代までは稲荷信仰にしたがって、2月初午の日が例祭日とされていた。『祠曹雑識』によれば、百余りの稲荷番付の中で烏森稲荷は東の関脇に位置付けられている。氏子町は神輿・山車踊りや練り物等を出すのが習わしで、稲荷祭の賑わいとしては江戸で1・2を争うものであった。明治以降は例祭日を端午の節句5月4.5.6日に改め、夏祭りのはしり烏森祭として全国的に有名である。』

f:id:owari-nagoya55:20200720041710j:plain 幕には烏・森・稲をあしらった紋と三つ巴の紋。
ご利益を求め訪れる参拝客は途切れることはなかった。

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 質感のないビルが密集する中にコンクリートの社殿、木の質感を強調したシンブルな額や拝殿内の木の色が唯一温もりが感じられる部分。

f:id:owari-nagoya55:20200720041906j:plain 烏森神社(烏森稲荷)

創建 / 940年(天慶3)
祭神 / 倉稲魂命、 天鈿女命、 瓊々杵尊
住所 / 東京都港区新橋2-15-5 
公共交通機関アクセス / 地下鉄(銀座線・都営浅草線)新橋駅 徒歩数分

f:id:owari-nagoya55:20200720041928j:plain 細い路地に赤ちょうちん・・・・・おやじ心をくすぐる光景だ。
親方様は宣言解除したものの…解除はすれども具体的な施策は示されない。
日々発表される数値だけを捉えると2月はいいタイミングだったのかもしれない。
親方様、お忍びで自分の目と足で町に出て見たらどうだろう、舵を切る方向が見えてくるのでは