社宮司神社

名古屋市東区芳野2
名鉄瀬戸線尼ケ坂」駅から高架沿いに東に10分程歩き、信号を右に曲がると市バス「杉村町」停があります

f:id:owari-nagoya55:20200809034404j:plain「社宮司神社」はこのバス停の前に鎮座しています。
名鉄瀬戸線だとこの辺りは「尼ケ坂」駅と「森下」駅の中間に位置し、どちらから来ても大差はない。
名鉄瀬戸線の前進は1905年に開通した瀬戸電機鉄道で1939年に名鉄(名古屋鉄道)と合併し現在に至っています。
かつてはここに「社宮祠」駅があり、駅名にあるように社宮司神社へのアクセスは非常に良かった。
往時のこの駅は参拝客の利用が見込めたのだろう。その駅も合併から5年ほどして廃駅の道を辿ったようです。現在の様に高架となったのは1990年と比較的日が浅い。

f:id:owari-nagoya55:20200809034430j:plain最寄り駅ができるほどだった「社宮司神社」さぞかし簡単にわかるだろうと高を括っていた。
ところが実際は義市稲荷を過ぎても神社らしき建物はなく、道行く方もいなかったので聞くに聞けず何度も行ったり来たり。
周囲は住宅ばかりでひょっとして社くらいは見えないか見渡してみる。
バス停の前のこんもり茂った木々の隙間を覗くと社の扉らしきものが。
鳥居も社号標もなく、民家の杜の中に社が鎮座していた。

f:id:owari-nagoya55:20200809034542j:plain

呼び鈴を鳴らしてもいいのだろうが、こうして訪れる側は初めてかも知れないが、住んでいる方にすれば正直「またかい?」と感じるはず。
賽銭を入れ、チャチャッと参拝させて頂いて引き下がる事に。
戻る際に車の陰に隠れるように石標があり、狭くて写真に納められなかったけれど見せて頂きました。
社号標と思いきや 「伊斯許理度売命」と彫られていた。

「いしこりどめのみこと」は作鏡連(かがみづくりのむらじ)らの祖神、八咫鏡(やたのかがみ)を作った天糠戸(めのぬかど)の子とされる神。
古事記では伊斯許理度売命日本書紀には石凝姥命や石凝戸邊命と表記される、鉄鋼、金物業の守護神で延命長寿にもご利益があるという。

岩戸隠れでは、天照大御神が引きこもってしまい、それにより世の中は暗に包まれてしまう。
困った八百万の神々、引きこもりの天照を岩戸から外に連れ出そうと闇の中で天宇受売命の妖艶な踊りを始め賑やかに宴会を始め、天照の気を引こうと画策した。
顔を出した天照に八咫鏡(やたのかがみ)を差し出し、それに興味を抱いて顔を見せた天照を手力男命が一気に引っ張り出し、世の中は再び明るさを取り戻した。
世の中に光を取り戻すための重要なアイテムが八咫鏡

以前掲載した「日前神宮國懸神宮」​の御神体日像鏡日矛鏡」は八咫鏡に先立って鋳造されたものとされるそうだ。

f:id:owari-nagoya55:20200809034657j:plain宮司神社の創建は不明。

写真は社宮司神社からひと区画ほど南の​義市稲荷。
この稲荷はここに屋敷を構えた名古屋藩付家老の竹腰正信の屋敷に祭祀されたのが始まりで、社宮司神社は屋敷の東北の鬼門に建てられたのではないかという。
当時をイメージさせる古図はないものか、探して見たけれど探しきれませんでした。

f:id:owari-nagoya55:20200809034719j:plain上は瀬戸電機鉄道時代の周辺と現在ですが、大正時代の当時ですらどの程度の伽藍だったのか、社地も特定できませんでした。
今は民家の庭の奥に鎮座する形ですが、現在よりは社地は大きかったと思われます。
もし鬼門として鎮座されたものであれば江戸時代まで遡る由緒ある神社。

宮司神社 
創建 / 不明
祭神 / 伊斯許理度売命
住所 / 名古屋市東区芳野2
公共交通機関アクセス / ​名鉄瀬戸線「尼ケ坂」駅から東に10分
関連記事 /  「日前神宮、國懸神宮」 ​義市稲荷社