『紀伊東照宮』

和歌山市和歌浦西2丁目「紀州東照宮
和歌の浦湾を望む雑賀山の頂に鎮座し、徳川家康を神格化した東照大権現紀州藩初代藩主徳川頼宣を神格化した南龍大神を祀る神社。

この地方の紀三井寺和歌浦天満宮紀州東照宮の3ヵ所は急な石段で有名、三社合わせて合計389段の石段を一日で回る事を「和歌の浦急峻三社寺巡り」というそうです。
既に紀三井寺は制覇したのでこれで二社目にチャレンジ。

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 当初予定には入っていなかったけれど、時間に余裕があれば参拝としていたけれど、紀三井寺から車で県道151号線を西に10分ほどと近いので、折角来ただけに紀伊東照宮は是非とも見ておきたいとかみさんに無理いって参拝することにしました。
上は参拝者有料駐車場入口に掲げられた紀伊東照宮の看板と葵の紋のレリーフが嫌でも視界に入ってきます。

f:id:owari-nagoya55:20200827233022j:plain 一の鳥居から広い駐車場に入ります。
駐車場左の建物は東照宮会館、こちらであれば石段を登る事なく御朱印は頂けるようです。

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その右にある社は「権現不動堂」

f:id:owari-nagoya55:20200827233523j:plainさて一ノ鳥居から社殿を目指します、鳥居は三ノ鳥居まであるようです。
後方の小高い山が雑賀山、あそこまで登ります。

f:id:owari-nagoya55:20200827233550j:plain 二ノ鳥居。
一ノ鳥居に比べ額も付き、葵の紋が入ります。

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 三ノ鳥居。
二ノ鳥居と同様額が付きますが、葵の紋はこちらにはない。
右手に社号標と左手に境内案内板があります。

f:id:owari-nagoya55:20200827233639j:plain 境内案内板。
目の前の参道は途中で一旦左に折れ、そこから真っすぐ続くようです。
途中には福森稲荷社と弁財天社の二社があるようです。

f:id:owari-nagoya55:20200827233706j:plain 三ノ鳥居の額は重厚感のある色合いと字体のもの。
6月とはいえ陽気は真夏です、杜の木陰に包まれた参道を進みます。

f:id:owari-nagoya55:20200827233732j:plainここから先の雰囲気は厳粛な空気が漂います。
木陰の中の参道の両脇に立ち並ぶ年季の入った石灯籠は、徳川家の家臣から寄進されたもので、石畳の参道の奥まで続きます。
意外にも参道は目と鼻の先で左に折れるようです。

f:id:owari-nagoya55:20200827233800j:plain 参道を一旦左に折れ、右に参道が続きます、そのあたりの参道左に赤い玉垣と鳥居、さらに青い「稲荷大明神」と書かれた幟が見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200827233828j:plain 「福森稲荷社」への参道はこの奥で右に続き、その先に社が祀られています。
左の小さな鳥居が置かれた石標は日之出大神、その右の石標は吉光大神と彫られています。
和歌山県神社庁によればこの三社は境内社となっています。

f:id:owari-nagoya55:20200827233857j:plain 「福森稲荷社」
詳細は不明。

f:id:owari-nagoya55:20200827233923j:plain 再び参道に戻って先を眺めます。
反り橋の先に見上げるような急な石段とその先に随神門が見えてくる。

f:id:owari-nagoya55:20200827233954j:plain 反り橋の右手は堀の様相、その中に水が湧き出て池を作り、中央の小島に弁財天社が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200827234017j:plain 弁財天社へは反り橋を渡って右側に狭い下りの石段を下りていきます。
橋の手前とその先に二つの鳥居を構えています。

f:id:owari-nagoya55:20200827234042j:plainこちらには立派な由緒書きが置かれていました。
1621年(元和7)、徳川家康公の十男で紀州藩初代藩主の徳川頼宣公により創建されたと言う。
その目的は東照宮が鎮座するお山のお守りとしてここに祀られたらしい。

f:id:owari-nagoya55:20200827234108j:plain 御神徳はこの地の守り神のみならず、学問向上、商売繁盛、家運向上、海上安全、井水防火、防疫、安産祈願と霊験あらたかだそうです。
祭神は市杵島比売神

f:id:owari-nagoya55:20200827234132j:plain 弁財天社の右に小さな祠。
内部には宝船に乗った七福神が祀られています。
宝船の前に置かれているものは長い蛇に見えてしかたがない…蛇はどうにも好きになれない

f:id:owari-nagoya55:20200827234241j:plain弁財天社から反り橋を見上げる。
山肌に降った雨は自然とこの弁天池に流れ込むようになっている。

f:id:owari-nagoya55:20200827234308j:plain 反り橋の先に壁の様な108段の石段、「侍坂」と呼ばれ、石段の数108段は煩悩の数を表すのだという。
この「侍坂」を避ける迂回路が石段の左にあります。
「緩い石段」と書かれてはいるが、こうした道は遠回り以外の何物でもない、直登あるのみ。

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 角の取れた石段を一段、二段・・・・・、随神門を見上げて登っていたが、中ほどから足元ばかりが気になる、石段の数も途中で忘れた。
先を登るかみさんの足取りも重くなり、遂には足元を見て登っている。数はともかく結構な斜度がある。
和歌の浦急峻三社寺巡り」甘くはないか。

f:id:owari-nagoya55:20200827234357j:plain 朱塗りも鮮やかな二層の随神門が間近になってきた。この辺りに来ると再び石灯籠が現れる。
石段の両側は切り立った斜面と杜が迫っているため、極彩色に彩色された随神門と左右の廻廊の全容は意外と収まらないけれど、関西の日光とも呼ばれるのも分からないでもない。

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 随神門前から扁額を見あげ…る、首の筋肉が悲鳴を上げる、少し離れて眺めるのがいいのかも。
「侍坂」の急登108段と紀三井寺の結縁坂の231段、登り切ったぞ。
すぐ西隣に残りの和歌浦天満宮があるけれど、今の気分は「もう十分」

f:id:owari-nagoya55:20200827234521j:plain 日本一大きいといわれる随神が鎮座する。

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随神門をくぐると視界は開け、境内が広がります。
正面に檜皮葺の唐門、拝殿は入母屋造の檜皮葺で破風が施されています。
周囲は檜皮葺きの端垣が取り囲んでいます、瑞垣に彩色される特徴のある緑の色、お馴染みの色ですが最近この色が気になりだした、何色というのだろう?

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境内右に手水舎と正面の瓦葺の建物は神輿蔵。
赤い玉垣に囲われた一画は「楓の木」、古い葉は枯れても新芽が出るまで落ちる事はないそうで、縁起を担ぎ合格祈願に訪れる受験生も多いと云います。

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境内から廻廊と随神門、社務所の眺め。
御朱印はやはりこちらで頂きたいもの。

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 入母屋瓦葺の随神門は至る所に彫飾りと彩色が施され、豪華絢爛ですが、意外に地味な方なのかもしれない、何より金色に光り輝く飾り金具が目に飛び込んでこない。

f:id:owari-nagoya55:20200827234926j:plain 唐門から先の拝殿、本殿は拝観料を支払えば間近に見ることができます。

f:id:owari-nagoya55:20200827235008j:plain 唐門左の解説。

f:id:owari-nagoya55:20200827235100j:plain 唐門から拝殿の眺め。
最後の11段の石段を登って拝観することに。

f:id:owari-nagoya55:20200827235126j:plain 極彩色の唐門の天井に描かれた天女、色彩は鮮やかです。

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拝殿、正面に金色に輝く狛犬(獅子かも?)、その先にこれまた金色の葵紋。
社殿は拝殿、石の間、本殿の構成、ここはもう豪華絢爛そのもの。

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眩いばかりに光り輝く金色と細かな彫や彩色が溢れている、さすが徳川。
社殿を左回りに見て廻ります。

f:id:owari-nagoya55:20200827235819j:plain 拝殿西側の石の間の軒下に左甚五郎の「鶴亀」が描かれています。

f:id:owari-nagoya55:20200827235847j:plain 唐門に戻ってきました。

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 色鮮やかで傷みの目立たない社殿は、創建から50年の年忌毎の根本修理、10年・15年に彩色修理と計画的に手が入れられて来たそうで、それは今も受け継がれこの姿を留めています。

f:id:owari-nagoya55:20200827235936j:plain 唐門から随神門、その先の眼下に和歌の浦湾を一望できる。
こうしてみると標高は結構ありそうです、‣・・・・という事はあれだけ下る? 当たり前か

f:id:owari-nagoya55:20200828000115j:plain随神門から和歌の浦湾を眺めると「緩い石段」は捨てがたいけれど、この景色を眺めながら再び「侍坂」を下っていこう。
「隣も行く?」、無理です。

2020/6/26
紀伊東照宮
創建 / 1621年(元和7)
祭神 / 徳川家康、徳川頼宜
境内社 / 権現不動堂、福森稲荷社、日之出大神、吉光大神、弁財天社
住所 / 和歌山市和歌浦西2-1-20

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