神領町2の「津島神社」から庄内川の堤を上流に歩いて行きます。
日が傾いてくれば川原を吹き抜ける風は心地いいものがあり、夏から秋への移り変わりを肌で感じます。
途中で内津川の堤を進み、荒子公園の大留荒子古墳を左に見て内津川に架かる橋を渡り、ひたすらまっすぐ進めば15分程で大留町の神明神社に到着。
上は1891年の当地、右は現在で、歩いたコースを靑で表し見ました。
当時の地図に大留神明神社の鳥居は見当たりません。
左のマーカーが津島神社、中央は大留荒子古墳、右が神明神社。
神明神社社頭。
右に社号標と白さが際立つ神明鳥居(平成5寄進)。
両脇を民家に挟まれた参道が境内に伸びています。
鳥居の先に狛犬。
毬と子を持つ狛犬は白地の石が程よく黒ずみ始め、輪郭が浮き立ちいい趣を醸し出している。
参道の先に蕃塀があり、その奥に境内が広がります。
参道を抜けると視界は開け境内が広がる。
境内は公園になっているようで、暑さも和らぎ周辺の子供達の姿がある。
境内左に石灯籠と手水舎、その奥に石碑が建てられています。
手水舎の龍は夏休みのようだ。
燈籠の竿には安政三丙辰(1856)と刻まれています。
ここまで由緒は見かけなかっただけに、創建に繋がるのはこれかな?
石碑・・・・・拡大写真を撮り忘れ内容が分かりません。
蕃塀
4脚の控え柱を持つもので、鳥居と同年に寄進されたもののようです。
正面にある拝殿の眺めはこの蕃塀が遮っている。
蕃塀の左から社殿の全景。
拝殿かと思っていたが、どうやら神楽殿の様です。
切妻瓦葺の四方吹き抜けの神楽殿、中では夏休みの宿題の答え合わせでもしているのだろうか、地元の子供たちが集まって賑やかだ。
なかなか見かけなくなった光景だ、ここは邪魔しちゃいけないな。
神楽殿の先の社殿、その両脇にこんもり盛られた一画があります。
右のこんもりは御嶽神社。
左の玉垣の脇のこんもりは親王塚古墳。
7世紀後半から末に築造されたと推定される直径15㍍の円墳で、横穴式石室を持ち一説には後醍醐天皇の皇子の遺品が納められていたとも云われる。
境内右の御嶽神社。
右の三角の石碑が御嶽神社、中央が霊神碑、左に役行者と刻まれた石碑があり、このこんもりは霊峰御嶽そのもの。
下の写真は御嶽神社左の庚申塔。
拝殿から本殿。
本殿域は石垣で一段高く盛られ、玉垣で囲われています。
切妻平入の拝殿。
由緒書きは見あたらないので詳細は不明です。
こうして写真を撮っていると、先ほどの子供たちが寄ってきて「お参りにきたの?僕もお参りしよう」と声をかけられる。
今時、軽々しく子供に声も掛けられないご時世だけに何だか妙にほっとするのはおやじだけか?
いいね、この神社、子供の頃の自分を思い出す。
拝殿右に本殿の右に祀られる豊川稲荷に続く参道があります。
境内は綺麗に手入れされ気持ちがいい。
豊川稲荷
板宮造りの社、狐の姿は見受けられません。
拝殿から流造の本殿へ続く渡廊から本殿域の眺め。
本殿左にも社があるようです。
拝殿左から拝殿と渡廊、手は掛かるけれど木造は温もりがあっていいものです。
煌びやかな飾り金具もなく落ち着いた佇まいです。
本殿左は津島神社、社の造りも大きさも豊川稲荷と瓜二つ。
本殿も黄金色の飾り金具はなく一見地味に見えますが、手の込んだ斗栱の組み合わせや木鼻には彫が施されています。
神明神社の祭神は天照大神でいいと思いますが、意外に子供たちが詳しかったりして。
由緒書きを掲げてやりたいものです。
神社東から境内の全景。
毎年10月の秋祭りではこちらの境内で棒の手や神楽が奉納されるようです。
そうした地域の伝統も高齢化や担い手不足などで風化に繋がっていくものですが、子供達が集う神社であれば担い手は生まれそうだ。
子供の頃の自分を見たような気がする神明神社です。
2020/8/25
大留 神明神社
創建 / 不明
祭神 / 天照大神
境内社 / 豊川稲荷、津島神社、御嶽社
住所 / 春日井市大留町5
公共機関アクセス / JR中央線「神領」駅から徒歩で東へ20分程
神領町2津島神社からのアクセス / 東へ徒歩15分
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