日割御子神社  熱田神宮摂社

日割御子神

歳とともに目覚めが早くなるけれど、今朝は新聞配達のバイクの音と共に一日が始まった。
この時間なら熱田神宮もそれほど密にはならないだろう、チャリにまたがり熱田神宮摂社の日割御子神社へ。

f:id:owari-nagoya55:20200903092149j:plain 熱田神宮南門
早朝のため駐車場は御覧の通り入れません、車で来なくて正解、チャリを停め境内へ。
鳥居から先の参道は普段見たことがないほど、参拝客は少ない。
熱田神宮は混んでいる印象が強く、日中は敬遠していたけれど、日の出から門が開くまでの間は静寂の空間が広がっている。

f:id:owari-nagoya55:20200903092200j:plain 普段はこの一ノ鳥居から境内へ進むところですが、駐車場の右に参道があるので日割御子神社に参拝するのであればこちらからが近い。

f:id:owari-nagoya55:20200903092209j:plain 駐車場から一ノ鳥居、上知我麻神社方向の眺め。

f:id:owari-nagoya55:20200903092221j:plain 車止めのある参道から境内へ。
ここ熱田神宮は太古の頃には、象の鼻の様な熱田台地が海に突き出た先端にあたり、台地には熱田神宮古墳、西に白鳥古墳や断夫山古墳、北に高倉古墳群など築造され、象の鼻の先端は古来から特別な場所だったのかもしれません。

f:id:owari-nagoya55:20200903092230j:plain 参道をしばらく進むと右手に進む脇参道があります、ここを奥に進みます。
境内の東端に当たるため、杜を通し朝陽が最初に差し込む場所かもしれません。
差し込む朝日は神々しいものがあります。

f:id:owari-nagoya55:20200903092240j:plain 奥に向かうと左側に熱田神宮摂社「日割御子神社」が鎮座します。

熱田神宮と別宮、境内外摂社の高座結御子神社、氷上姉子神社、八剣宮、上知我麻神社、下知我麻神社を総称し熱田七社と呼び、日割御子(ヒサキミコ)神社はそこに数えられる。

創建は定かではないけれど延喜式神名帳では愛智郡の熱田神宮に関連する名神大社熱田神社高座結御子神社、孫若御子神社、日割御子神の四社が記されている。
延喜式神名帳は927年(延長5)に纏められたとされるので創建はそれ以前、一説には孝安天皇の時代(紀元前392年から384年頃)とも云われ、熱田神宮本宮より創始は古いとされます。

象の鼻の先端に当たり、海に張り出た洲崎の名残で干崎と呼ばれていたそうで、それが社名になったと云われます。

f:id:owari-nagoya55:20200903092253j:plain 社殿は鎌倉、室町、江戸、昭和と幾度か補修の手が入れられ、江戸時代には「日破宮」とも呼ばれていたとも云われる。それも1945年(昭和20)、先の大戦による空襲で焼失し、現在の社殿は1982年(昭和57)に再建されたもの。

f:id:owari-nagoya55:20200903092307j:plain 日割御子神社由緒

f:id:owari-nagoya55:20200903092317j:plain 銅葺き屋根で一間流造の社殿、祭神は天忍穗耳尊(アメノオシホミミノミコト)。
天照大神素戔嗚尊の誓約から生まれた五皇子の長男(弟に天穂日命天津彦根命、活津彦根命、熊野久須毘命)。
稲穂の神、農業神として崇められ、方位除け、厄災除け、開運招福、家内安全などご利益を授かる事が出来るという。

たまたま早朝に訪れて見たけれど、朝もやが漂う杜りの中に佇む社殿が朝陽に照らされていく光景を見るとここは特別な空間である事を改めて感じる。

日割御子神
創建 / 不明 
祭神 /   忍穗耳尊
住所 / 名古屋市熱田区神宮1
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄名城線「伝馬町」駅下車徒歩10分程
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