孫若御子神社

熱田神宮摂社  孫若御子神
熱田神宮境内の東側に鎮座し、南隣に「日割御子神社」、北隣に南新宮社と隣り合っています。

f:id:owari-nagoya55:20200909233833j:plainこちらへは駐車場の右の参道から「日割御子神社」を過ぎた右側の参道からアクセスする事になります。
この三社に繋がる東参道は参拝者の往来は意外に少なくなる。
自分自身、本宮へ真っすぐ進むのが普通になってしまいあまりこちらの参道は縁がない。

f:id:owari-nagoya55:20200909233842j:plain参道から右に入ると正面にガランとした空間が現れます。
孫若御子神社はその左奥で南を向いて鎮座します。
日割御子神社の社の造り、佇まいともに酷似しています。

f:id:owari-nagoya55:20200909233853j:plain銅葺き屋根で一間流造の社殿、こちらも同様です。
祭神は天火明命

f:id:owari-nagoya55:20200909233903j:plain由緒書きも見事に同じ、もちろん内容は違うけれど、写真を整理している段階では取り違えそう。
天火明命は古代の豪族尾張氏の祖神とされる。
海人とも云われているけれど、どこから辿り着いたのかなど謎が多いけれど、尾張国一円を支配していたのは尾張氏
そのことは熱田神宮宮司藤原氏に継承されるまで尾張氏世襲してきたことからも天火明命を祀ったのは自然の流れかもしれません。
由緒によればこの神社は古来からここに鎮座していたのではなく、海蔵門(現在の南門付近)の西に鎮座していたらしい。ここに遷座したのは1868年(明治元年)の事らしい。
火明(ほあかり)ほが赤くなるという意味のようだ、稲穂への尊称と云われている。

品種改良が重ねられた現在の稲穂から、赤い穂はイメージしにくいけれど、古代米は赤いひげを付け赤米とも呼ばれ、最近よく見かける様になった田んぼアートの赤みを受け持っている。

f:id:owari-nagoya55:20200909233914j:plain孫若御子神社の創建は不明ですが、927年(延長5)に纏められた延喜式神名帳にも記されているのでそこからさらに遡る事になります。それでいて熱田七社には数えられない。
姿は良く似ていながらそこの線引きはよく分からない。


熱田神宮摂社 孫若御子神
創建 / 不明 
祭神 /   天火明命
住所 / 名古屋市熱田区神宮1
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄名城線「伝馬町」駅下車徒歩10分程
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