熱田区神宮2「円通寺」
市内を南北に伸びる県道226号線、大津通の「秋葉」交差点南西の角に鎮座する曹洞宗のお寺。
大津通を挟んで眺める「円通寺」伽藍全景。
日中は通り沿いに羽団扇の紋と秋葉三尺坊大権現の幟が立ち並んでいるのをご存知の方は多いと思います。 この時間ではその幟も降ろされていていつもの姿とは違う趣。
普段見かけていながら参拝に訪れるのは数少ない、ましてや写真に収めた事すらなかった。
今回は近くて縁遠かった秋葉山円通寺と親しまれている「曹洞宗補陀山圓通寺」を訪れてきました。
園通寺は山号を羽休山、秋葉山ともいい、熱田神宮と所縁も深く、尾張氏が熱田社の神宮寺として建立したされる。創建は810年 ~824年(弘仁年間)とも云われる。
空海が熱田神宮に参篭のため滞在した際、一宇を建立して自彫の「聖十一面観世音観音」を安置したと云われています。
現在でも街中にある境内としては広大ですが、かつては1700坪とも云われる寺領を誇ったそうです。
尾張名所図会に「円通寺羽休秋葉宮」として伽藍が記されています、それも空襲により伽藍の一部を残し焼失、現在の伽藍は1957年(昭和32)に再建されたもの。
なので歴史はあるものの建物からそれを感じさせるものはありません。
通り沿いに続く塀の南側、袖壁の先に薬医門の山門と寺号標。
山門から本堂の眺め、左手に赤い像が安置されているようです。
境内全景
左に本堂と右手に秋葉本殿、奥の院。
境内は各地から奉納された天然記念物の銘石が配されている。
本殿左の赤い像はコンクリート仏師「浅野祥雲」の手による毘沙門天王像。
彼の作品は多く残っていますが個人的に桃太郎神社が強烈な印象があるため、その延長で捉えてしまいますが、こうした像もしっかり手掛けているんです。
本殿はコンクリート造りで瓦葺入母屋造。
山号額
本堂内の眺め、本尊は聖十一面観世音観音。
本堂右の子持ち石
天然記念物の銘石で、この石に祈願すれば子宝を授かるとされます。
秋葉本殿、尾張名所図会に描かれた当時は鳥居が描かれていましたが現在は存在しない。
本殿は戦後の1960年(昭和35)に建替えられていますが、外観は当時の趣を留めるものです。
手前の手水舎から右手に進むと奥の院に続きます。
山号が刻まれた手水鉢。
本殿は左に御朱印授与所、右に小さなお堂があり七福神の一柱「大黒天」を安置しています。
秋葉大権現と云えば最初に頭に浮かぶのは静岡県浜松市の秋葉神社(創建709年)ですが、本殿左の由緒書きには「日本最古の秋葉大権現出現の霊地」と書かれている。
秋葉大権現(火の神様)、今より千八百年ほど前、日本武尊を火難よりお救いになった秋葉大権現は「火防守護、諸難消滅、心願成就」の大誓願をもって日本で初めてこの地に「秋葉神社」として尾張氏に祀られる(後の圓通寺)。
この地に圓通寺が開山され多くの修行僧が集まった中に、一人の僧に姿を変え秋葉三尺坊(秋葉大権現)として弟子入りし、永享年間(1429年 ~1441年)十余年の修行を経て仏法の奥義を授けられ、感謝の余り本来の姿である天狗僧の姿を現したいう、三尺坊は寺を永刧に守護する誓いを立てたとされる。
この事から秋葉三尺坊大権現や羽休の秋葉などとして呼ばれる由縁とされる。
赤い提灯に天狗のアイテム羽団扇の紋、この団扇の秘めた力は飛行のみならず、火炎、分身、変身、風雨、人心、折伏、縮地等自由自在に操るパワーを持つと云われます。
参拝しその力に肖りたいものです。疫病退散!
御朱印は月替わりの特別御朱印も頂けるようでカラフルなものです。
大黒天を安置する堂
「福徳 商売繁盛の神として古くより宮の恵比寿、秋葉の大黒天と並び称して福徳のご利益あらたか」
お堂の右から奥の院へ続く参道。
奥の院全景、向拝付きの方型の堂が二つと右手に社が一つ。
右手前が弁財尊天を祀り、正面が毘沙門天を祀ります。
弁財尊天の堂内。
阿形は玉を咥え、吽形はニシャッと微笑んでいるようにも見える。
吽形の台座に伊藤萬蔵と刻まれています、名古屋城下塩町で「平野屋」の屋号で開業し財を成し、狛犬や灯篭など多くの寺社へ寄進された方でその名は各地で見る事が出来る。
堂の右に不動明王。
堂内。
毘沙門天は四天王の一神で、四方を守る神、多聞天とも呼ばれています。
奥の院の一番右奥の社、詳細は不明。
本堂再建に尽力された第28世鉞厳禅師像。
補陀山圓通寺、秋葉大権現が最初に姿を見せた場所。
街中の身近な存在でありながら訪れる機会がなかったけれど、漸く参拝させて頂きました。
圓通寺
山号 / 補陀山
宗旨 / 曹洞宗
本尊 / 聖十一面観世音観音
創建年 / 810年 ~824年(弘仁年間)
住所 / 名古屋市熱田区神宮2-3-15
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄名城線「伝馬町」駅下車北に徒歩5分
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