和歌山県紀の川市粉河 『大神社』

和歌山県紀の川市粉河 『大神社』

f:id:owari-nagoya55:20200921103728j:plain 粉河寺大門の「とんまか通り」と呼ばれる参道沿い、そこに聳える大きな楠木に包まれて大神社は鎮座します。
すぐ東は秋葉山、以前は猿岡山と呼ばれ、天正15年(1587)藤堂高虎が築城した猿岡城址(粉河城)も近い。(現在は碑のみで秋葉公園として整備されている)

f:id:owari-nagoya55:20200921103749j:plain粉河寺の大門に向かう「とんまか通り」を進むと、左手のこの巨木は否が応でも視界に入ってきます。
その木の周囲は玉垣で囲まれ、参道に面して明神鳥居が建っています。

f:id:owari-nagoya55:20200921103811j:plain 鳥居から社殿の眺め。
楠木の巨木の脇に鎮座する大神社、扁額は大神宮とある。
猿岡城下粉河町の氏神として崇敬されている。

f:id:owari-nagoya55:20200921103835j:plain 境内全域を覆い尽くす見事な枝振りの楠の巨木。
御神木のこの樹は天然記念物、樹令は1,000年とも言われるようです。

f:id:owari-nagoya55:20200921103859j:plain1839年(天保10)に纏められた『紀伊風土記』、その中の那賀郡粉河粉河村の項に「大神宮 大門前にあり、東毛村并に粉河村中北町の産土神なり、境内楠の大樹あり周囲三丈五尺許」とこの大楠について記されていました。
楠木は何処に出かけても良く見かける、いずれも大きく成長した姿を見せてくれます。
この御神木も幹は切り落とされているものの、この一本が境内の上空を覆い尽くしている。
その姿は正に御神木たる風格と自然が持つ力強さを感じる。
そうしたものに何かが宿る、白🐍だったり、龍が住むだの、自然に対する畏敬の念を込めて親から子供の頃に教えられたものです。

f:id:owari-nagoya55:20200921103920j:plain 幹回りの見事な事
小さな社が祀られていますが詳細は不明。

f:id:owari-nagoya55:20200921103941j:plain 大神社の創建がいつなのか詳細は不明ですが、猿岡城の城主「藤堂高虎」は氏神として厚く崇敬したとされる神社。
1608年(慶長13)高虎が伊勢へ転封の際、社殿を改築したと伝えられ、社殿装飾の一部に室町時代の遺風が残る彫刻が残っている。瓦葺流造の社殿は近年建て替えられているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200921104003j:plain 当初は「昭和」と見間違え、気にも留めていなかった燈籠ですが、改めて写真を整理している中で「明和八(1771年)の卯」と刻まれていたのに初めて気づく。
小さな「大神社」の長い歴史を語るものはこの燈籠かも知れない。

f:id:owari-nagoya55:20200921104028j:plain 社殿を守護する狛犬は灯篭に比べれば新参者です。

f:id:owari-nagoya55:20200921104050j:plain 祭神は天照皇大神を祀る。
提灯、扁額は「大神宮」とありますが、和歌山県神社庁の『大神社』で統一させてもらいました。

f:id:owari-nagoya55:20200921104115j:plain 彩色された蟇股の彫刻。
彫られているのは松は分かるとしても中央の鳥は・・・・・?
「とさか」があるようだ鶏?雉?

粉河産土神社の祭礼で紀州三大祭のひとつ「粉河祭」では大神社の前のとんまか通りを複数の山車が曳かれるそうだ。
「とんまか」とはなんぞやと調べて見ると、粉河祭のだんじりの運行の際に打つ太鼓の音からきているようです。街に活気をもたらす祭もCOVID19の影響を受け今年は見送られたようです。

門前の巨樹の下に鎮座する、小さな「大神社」ですが、外見以上に古い歴史を持ち、築城の名手からも崇敬されたこの地の氏神様です。
粉河寺を車で訪れた際は歩いて戻ってみるのもいいかもしれない。

『大神社』
創建 / 不明
祭神 / 天照皇大神
住所 / 和歌山県紀の川市粉河
公共機関アクセス / ​JR和歌山線「粉河」下車北へ徒歩15分程
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