春日井市大留町 「冬至弘法と禅源寺」

春日井市大留町「禅源寺」
大留町の神明神社から5分程東へ、進路に庄内川の堤が現れます。

f:id:owari-nagoya55:20201006162535j:plain一旦、堤に出て庄内川上流の流れを望みます。
この上流付近は小牧・長久手の合戦の舞台にもなった大留城址があった場所。

また、この辺りにも庄内川の渡し「大日の渡し」があったようです。
江戸時代、幕府は諸国を見回る巡見使を各地に派遣していたという、この地を訪れた巡見使が嘗ての「大日の渡し」を利用した記録が残るようです。
渡しの碑があるだろうと河原や堤を探してみるもそれらしい物は見つかりませんでした。

f:id:owari-nagoya55:20201006162558j:plain堤から北に下りると正面にお堂が現れました。
グーグル先生もこのお堂が何かは御存知ないようで、右手に鎮座する「禅源寺」だと仰る。

f:id:owari-nagoya55:20201006162616j:plain「禅源寺」の左に隣接する堂、左には「冬至弘法大師、開運徳神」の石標がある。
こうした石標を見たのは初めてかも知れない。

冬至弘法大師が托鉢に訪れる日とされ、当日はあずきの粥を御馳走として振舞い、翌日はぜんざいを振舞う風習があったそうです。
「禅源寺」を横目にこの「冬至弘法」から最初に訪れてみました。

f:id:owari-nagoya55:20201006162635j:plain遠目に狛犬が見えていたが、ここまで来ると狛犬以上に堂の朽ち方が目に入る。
切妻瓦葺で妻入の堂は、荒れ果てた印象を受け、もしかすると現在は使われていない?

遠巻きに見させて頂き、玉垣の寄贈者「蚕種家」、「河田悦治郎」とあった。
自宅で調べて見るとこの方は蚕で名を馳せた方のようです。

春日井における蚕種改良と育成技術の普及に尽力された方のようだ。
明治維新から大正にかけ養蚕は広まり、昭和30年代になくなるまで盛んに養蚕が営まれ、農家の収入源の一つとして貢献したようです。

f:id:owari-nagoya55:20201006162655j:plain堂の左に手水鉢があるけれど使われている形跡を感じない。

f:id:owari-nagoya55:20201006162722j:plain民家の陰になり気付かなかったけれど、左にも堂がありました。
堂は瓦が落ち屋根も抜けているようで、見るからに痛ましい。
蚕種家の支援があったであろう「冬至弘法」、蚕の衰退と同じ道を辿っているのか。

f:id:owari-nagoya55:20201006162743j:plain右に禅源寺が鎮座していますが、フェンスがある事から寺と関連しているのか定かではありません。

本尊は大日如来で、嘗て美濃国可児郡の長瀬村安置されていたそうです。
洪水により像は流失し、玉野川(庄内川)沿いのこの地に流れ着き、この渕に生えていた椋の木の股に懸っているのを村人が見つけ堂を建て安置したのが始まりのようです。

「大日の渡し」の「大日」はここ禅源寺を指す様で、寺の近隣から上志段味へ渡していたようです。
小牧・長久手の合戦では、秀吉側の池田・森軍が渡河した場所とされるようです。

f:id:owari-nagoya55:20201006162802j:plain入母屋瓦葺の重厚感漂う本堂ですが、1627年(寛永4)に再興、1826年(文政9)再建、1891年(明治24)の震災で被災、その後再建されたもの。

「禅源寺」
宗派 / 臨済宗妙心寺派
創建 / 1397年(応永4)
本尊 /  大日如来(行基作と云われる)
住所 / 春日井市大留町810
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