総社穴馬神社
岐阜県白鳥町から福井方向に向かう国道158号線を走る。
九頭竜湖畔沿いに続く国道沿い、右手に大きな石鳥居と穴馬総社の社号標は運転していても視界に入ってきます。
湖畔を見下ろす高台に鎮座する穴馬神社。
社頭の前の通りが国道158号線、手前に広い駐車場があり、そこに車を停めておけば気兼ねなく参拝できます。
山んなかの人気のない国道に接する社頭正面の眺め。
大きな「穴馬総社」の社標と石鳥居、その先に石段が続きます。
その先にニノ鳥居と拝殿の姿が視界に入ります。
ニノ鳥居
拝殿に掲げられた扁額は国道からも見て取れる大きなものです。
拝殿
山奥の神社なので石段の先は鬱蒼とした雰囲気の境内をイメージしましたが、目の前に広がる境内は山の斜面を切り開き、陽光が入る明るく綺麗に整備された広いものでした。
境内正面の拝殿は床下が上げられた切妻造で曲線のないシャープなもの。
以前は冬ともなれば雪に閉ざされる土地柄です、こうした事もこの外観に繋がっているのかもしれません。
境内の狛犬(吽形)
後方の碑は忠魂碑
狛犬(阿形)
白地の狛犬も苔に覆われ、やがては周囲の緑と同化していくのでしょう。
後方は春日神社社号標、境内に春日灯籠がありますが、その理由がこれで分かりました。
阿形後方には社号標が二つ。
春日神社と立今神社の社号標
九頭竜湖の湖畔を見下ろす高台に鎮座する穴馬神社。
神社近隣に集落はありません。
こちらの神社は九頭竜ダム建設に伴い、湖底に水没する集落で祀られていた神社を纏めて祀るため、昭和39年に建てられたもの。
穴馬総社由来
湖底に沈んだ一帯は「穴馬郷」と呼ばれ、神社名はそこからきているようです。
穴馬郷には十七の部落に約400世帯が生計を営み、それぞれ春日神社、立合神社、神明社、白山神社等氏神を持ち八社があった。この碑はそうした故郷を語り継ぐもの。
生まれ育ち、先祖が眠る故郷がなくなる、街で生活する者から見ると非現実的な話でピンと来ないし、移転の代償はお金と云われても府に落とせる問題ではないだろう。
ダムの恩恵を受ける背景に、こうして故郷から離れざるを得ない地域の協力があっての事です。
以前は訪れる人もいなかった山深い里、そこには岩魚が潜み、そこで命を育む自然も溢れていました。
ダムや高速道路の延長に伴い多くの恩恵を得た反面、見上げるような橋脚が聳え、山は切り開かれ渓流の景観が一変した光景を見ると寂しい思いを感じる・・・・・多少不便でもいいのかもしれない。
拝殿「穴馬神社」の額
建立は昭和39年、御祭神は 天照皇太神他、十七村八社の氏神を合祀。
境内右手水舎
その右に水没した村々の英霊を忍ぶ忠魂碑が建つ。
忠魂碑から右手の斜面に道が続き本殿横へ続きます。
本殿
こちらも拝殿同様コンクリートの切妻平入。
拝殿後方に戻り、斜面に付けられた石段を登り本殿まで進みます。
本殿
後方には緑にあふれる大きな杜が迫ります。
訪れる方は少ないようです。
本殿に掲げられた額。
故郷は湖底に沈み、そこに住む住民は離れ離れとなるも、村人の去ったこの高台から嘗ての故郷を見守つています。村人にとって故郷を思う時、ここを訪れることで当時の記憶が蘇ってくる事だろう。
余談ですが、競馬を知らないので確かな事は言えないけれど、「穴馬」の名に肖って競馬ファンが必勝祈願に訪れるとか。
『総社穴馬神社』
建立 / 1964年(昭和39)
祭神 / 穴馬郷十七村八社の氏神
住所 / 福井県大野市野尻54-1-2
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