下呂に向かう道すがら、助手席のかみさんの目に留まり立ち寄ってみました。
高山市街の西に位置し、国道158号線沿いの南側に杉の巨木に包まれた高台に新宮神社は鎮座しています
。
社頭全景。
自然石に社名が彫られた大きな社号標が印象に残る、その右脇にも石標があるようです。
通りすがりに参拝に立ち寄って見ましたが、なかなか風格のある神社のようです。
社頭右脇に旧郡上街道を示す石標。
鳥居正面から境内、常夜灯と明神鳥居、左に石標が見えます、由緒か?
石碑は土地改良事業碑でした。
新宮神社石鳥居に掲げられた扁額。
鳥居をくぐり参道から境内の眺め。
新宮神社狛犬。
鳥居の先の石段の脇に高尾山神宮寺址の石碑。
境内から鳥居方向の眺め。
大正時代の狛犬。
太いフォルムで多少胴長、苔の緑に包まれ石の地色は消えそうですが、寡黙に仕事を務めている。
小高い境内の北の片隅に「郷社新宮神社」社号標、明治4年に郷社に列せられたようです。
境内北側の眺め。
杉の木立から眼下に郡上街道の安川通り(国道472号)と新宮町を見下ろす小高い丘に鎮座します。
道はこの左からせせらぎ街道と白川街道に分かれます。
新宮神社社殿全景。
広い境内、参拝駐車の乗り入れは制限されていないようでした。
境内左に稲荷社の鳥居と右側に大きな岩の手水鉢を収めた手水舎。
自然石を削り出した立派なもの。
この原石は神岡町で採取されたものらしく、約4億年前に形成された縞状花崗岩で飛騨片麻岩と呼ばれるようです。云わば列島の礎石といってもいいのかもしれません。
新宮稲荷神社
山肌に付けられた急登の石段、両脇に赤い奉納幟が続き、見上げる先に社。
境内末社 新宮稲荷神社
山城國深草村官幣大社稲荷神社中之社(伏見稲荷)から勧請、年代は不明。
祭神 / 豊受比賣神
落ち着いた佇まいの唐門。
三方を杉の巨木に囲まれた空間に自然に溶け込んでいます。
由緒
創立起源は定かではないけれど、里人の傳ぶる所に依れば十三代成務天皇の御代も終わりにを迎えようとする三世紀の頃、大八椅命を飛騨国に國造りに定め賜う。
松倉連山を青山なし給ふ為に須佐之男尊を奉安、その位置は当社と隔てる南西一里の高丘山宮ヶ洞(国造の森)
平安時代末期飛騨守だった平判官景家は元来藤原氏より出ているが、平相國清盛につかえ治永元年(1177年)飛騨守として飛騨に赴任し熊野三社を紀州より勧請した。熊野三社は熊野三社権限又は熊野三山と云われる。
当社本宮(古宮)跡は現在の新宮神社より南西4㌔の源氏岳の東山麗にあたる山中(国造の森)にあり、古宮跡は三段の平地となっていて礎石が残っている。
天正年間、松倉城主三木家の祈願所として松倉城より参詣道が作られた。
棟札によれば万治二年金森頼直による社殿修復の記録が残る。
文化十二年社殿修復の為、高山町及び崇敬者の寄付を得て、文政十年に国造の森からこの地に遷宮された。
昭和十二年上棟執行し現在に至る。
境内末社の稲荷神社は山城国深草村官幣大社稲荷神社中之社(伏見稲荷)より勧請、年代未詳。
扉に彫られた大きな五七の桐紋。
本殿は権現造。
拝殿と相の間、その先の本殿、繋がりが分かる斜景が見たいけれどそれは無理なようです。
社殿を取巻くのは杉の巨木、空は狭い。
境内東側に絵馬殿や社務所。
高山の西外れ、杉の杜に包まれた小高い丘に鎮座する新宮神社、氏子からも崇敬される歴史を秘めた神社です。この丘から氏子の町を見守っています
2020/9/27
新宮神社
創建 / 不明
祭神 / 家津美御子大神、速玉之男神、事解之男神、伊弉冉尊
境内社 / 新宮稲荷神社
創建 / 不明
祭神 / 豊受比賣神
住所 / 岐阜県高山市新宮町1641-1
関連記事 / GoTo利用し下呂と飛騨の國一之宮へ 、『伏見稲荷大社』 青春18切符で京都まで#1