『役行者堂』

温泉寺から少し南に下ると温泉街の趣が漂い始めます。

f:id:owari-nagoya55:20201109210058j:plain 飛騨街道、中山道にアクセスする下呂宿として古くより賑わってきた。
この通りもコロナ禍でなければ日暮れを迎えて、そぞろ歩きの温泉客で賑わうのかもしれない。
人混みはどちらかと云うと苦手な自分としては有難いけれど、この絵面はあまりに元気がないような気もする。

f:id:owari-nagoya55:20201109210121j:plain 白鷺が留まった温泉寺のある「中根山」中腹、そこから更に下に位置し、温泉街の入り口から少し坂道を上がったところの冠木門が目印。
役行者堂はその右斜面に高く積まれた石垣の上にあります。
堂は見上げないと分からないかも知れませんが、常夜灯と白い幟はきっと視界に入るはずです。

f:id:owari-nagoya55:20201109210143j:plain 冠木門から斜面の上へと続く細い参道を進みます。

f:id:owari-nagoya55:20201109210206j:plain 石垣の側面に掲げられた「下呂行者講」の解説。

f:id:owari-nagoya55:20201109210229j:plainその左に役行者の解説。

f:id:owari-nagoya55:20201109210250j:plain 参道を少し登ると傾斜地に作られた境内が左に続き、その先の瓦葺の小さな堂が『役行者堂』。
堂のある位置は、下では見上げる大きさだった冠木門の高さを優に超えています。

f:id:owari-nagoya55:20201109210313j:plain 『役行者堂』全景。
左手に手水鉢があり、その奥に素朴なお堂が建つ、堂内には三体の石像が見えます。

f:id:owari-nagoya55:20201109210332j:plain 中央に不動明王役行者(神変大菩薩)が安置されています。
扉がないので像の姿を直接拝めます、後方は前鬼と後鬼だろうか。
行者堂の創建は1772年~1780年の安永年間に奈良県金峯山寺から勧請し建立されたのが始まりと伝えられ、1848年~1854年嘉永年間に再建されたと云われます。
後の2001年(平成13)に現在地に遷座、再建されたのだという。

役行者は当初は小角と称し奈良県金峰山で修行を重ね、金剛蔵王権現の存在を感じ取った行者とされ、修行により様々な術を習得し、それ故朝廷から危惧され伊豆大島に流されたと云います。
流された伊豆大島でも習得した奥義を使い、毎夜遠く離れた冨士山で修業を続けたとも云われます。
役行者は後に許され行者の尊称が与えられ、没後1100年の1799年(寛政11)に光格天皇(1771年~1840年)から「神変大菩薩」の尊号を賜わったとされます、この尊号を賜ったのは役行者唯一とされます。

白鷺伝説が伝わる天下の名湯下呂の湯と役行者の神秘の力、二重の力はコロナ禍で疲れた心身を蘇らせてくれる?

下呂温泉役行者堂』
住所 / ​岐阜県下呂市湯之島
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