『高龗社』 

尾張旭市桜ケ丘町275 
丘陵地を造成した比較的新しい住宅街の角地、一等地とも思える一角にポツンと明神鳥居が建っています。

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閑静な住宅地にあってポカンと空いた区画に建つ鳥居は不釣り合いなようにも見える。
現在の高龗社はそうした環境の中に鎮座しています。
元は印場の北側の山頂鎮座し、昭和初期まで雨乞いのため、馬に龍神・雷神の飾りつけを行い献馬として奉納する行事(馬の塔)が行われていたそうです。

f:id:owari-nagoya55:20201215114434j:plain周辺は今でこそこの姿ですが、つい最近までは丘陵地に田畑や緑が茂り、民家が点在する程度で道路も今ほど整備されていなかった。

f:id:owari-nagoya55:20201215114413j:plain丘陵地に作られた田畑は水事情の悪さから周辺に多くの溜池が作られ、それを水源として田畑を潤してきた。
大きな川もなく、大方が天の恵みを頼りし、ひとたび干ばつが起れば人々は神を鎮めるために雨を掌る神に救いを求め崇める。
社名の高龗は高龗大神で、それは龍神を指し、水や雨を掌る神様です。

高龗社は渋川神社の末社、その解説によると「昔このたりには、龍が住み、雨が降る直前には、白い雲に乗って大空を掛け昇り、大雨を降らせた「卓ケ洞の龍」伝説が生まれ今に伝えられています」
この辺りにはこうした土地事情からそうした龍神を祀る神社が複数あります。

やがて愛知用水が完成し、水事情が改善されると共に溜池は役目を終え埋め立てられ、耕作地は宅地に変り地図から姿が消えていきました。
それと共にこの辺りの龍が大空を掛け昇る事はなくなったようです。

f:id:owari-nagoya55:20201215114449j:plain神社全景、鳥居右手の社号標、平成19年と刻まれていて、この地の造成に併せこの場所に遷座したものでしょう。
高龗社の創建は不明ですが、解説によれば「江戸時代には八竜社と呼ばれ、地元では「お八龍」として親しまれていた」ようです。

f:id:owari-nagoya55:20201215114501j:plainこうして見る神社は、石垣から始まり全てが新しく、そんな古くから伝わる神社とは思えない。
広い社地いっぱいに玉砂利が敷き詰められ、その中央に玉垣で囲われて小さな社が鎮座しています。

f:id:owari-nagoya55:20201215114516j:plain杜は持たないようですが、周囲の環境を考えると共存するにはこの方がいい。
反面、新しく開かれた住宅地、街のシンボルとなる1本の御神木があってもいいかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20201215114527j:plain境内の解説板。
周辺に参拝者駐車場はありませんでした、路上駐車する事は可能だと思いますが、住宅街なので振舞い方一つで「駐車お断り」の看板が建つことにもなりかねません。
丘陵地、なまった足腰にカツを入れる意味で印場駅から歩くのもいいかもしれません。
御朱印は渋川神社で頂けるようです。
2020/12/9

高龗社
創建 /   不明
祭神 /   高龗大神
住所 / 尾張旭市桜ケ丘町275 
公共交通機関アクセス / ​名鉄瀬戸線「印場」下車北へ徒歩10分程
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