鹿児島県いちき串木野市「照島神社」
昔から海の守り神として崇拝されている神社だといいます。
神社は「照島」という小さな島の頂に鎮座しています。
港に朱塗りの鳥居があり、そこから島へ参道が続きます。
右手に美味しい海鮮丼を提供する「照島海の駅食堂」があり、待ち時間を利用し参拝する事も出来る。
鳥居をくぐるとすぐ左に神社由緒書きがあり、赤い欄干が島へと導いてくれる。
島へはこの朱塗りの「照島橋」がつないでいます。
島の波打ち際にシックな鳥居が建っていて、舟からここに上陸するのが本来の姿なのかもしれません。
橋を渡ると正面に「薩摩焼開祖着船上陸記念碑」がある。
秀吉の朝鮮出兵に出陣した島津義弘、忠恒親子は、文禄、慶長の役の後に、朝鮮の陶工を連れてこの地に凱旋したとされる、その中でここから鹿児島に行くことを拒んだ一部の陶工は照島へ上陸、ここで焼いたのが薩摩焼の発祥とされるようです。
鳥居前の海岸はこうした岩盤が続いています。
鳥居から境内はこの石段を上っていきます。
鳥居には菊紋が入った神額が掲げられています。
不思議なのは貫の上に乗る複数の小石、どうやってこれを乗せたもんかね。
鬱蒼とした杜の中に続く石段、ここからは漂う空気が少し変わる気がします。
参道中ほどの狛犬。
年代は分からないけれど、風化が進むその姿はこの神社の歴史を語っているようでもある。
石段を上り切ると視界が広がり、陽光が差し込み明るい雰囲気に一変する。
参道突き当りに石の祠。
常夜灯と右手に馬頭観音の石標が建っています。
薄暗い祠の内部には見慣れた観音像の姿はなく、なんだろう?馬の姿そのものが安置されているように見える。
参道は右手に続き、三ノ鳥居から先の境内は広くはないけれど、杜の中にポッカリと陽光が差し込む境内に右手に社務所、正面に社殿が鎮座しています。
境内右に照島神社参拝のしおりが掲げられています。
それによれば祭神は大己貴命、少彦名命、大山津見命を祀ります。
創建年代は不明なれど、古来からの言い伝えによれば常陸國鎮座の大洗磯上神社(大己貴命、少彦名命)と伊予國鎮座の大山津見神社(大山津見命)とを勧請し創建されたと伝わるそうです。
1790年(寛政2)島津家第26代斉宣公が市来温泉に湯治の折、この地を訪れた。
境内の海岸にある雄淵と雌淵の奇岩を見て「まさにこれ、玉を抱いてうずくまる龍の姿」として
侍臣の川村宗広に命じて雄淵の奇岩に驪龍巌(りりょうがん)と刻ませたそうで、この岩は今も現存するそうだ。
しおりの傍らに伊勢神宮遥拝所、この方向に伊勢神宮があるということです。
社殿全景は見通しが利きませんでした、社殿右に手水舎。
拝殿内の眺め、中には額が掲げられています。
右手の馬の飾りは鈴掛馬と呼ばれ、しおりに書かれている春祭では、本物の馬に飾りをつけ境内を引馬され、最後にこの「鈴掛馬」を奉納するようです。
この境内で引き馬が奉納されるようです。
人気の少ないこの光景から想像できないけれど、祭の際は地元の方で境内を埋め尽くす程の賑わいを見せるようです。
参拝を終え石段から社頭方向の眺め。
鹿児島神宮の改築の際に島津貴久の枕元にあらわれたという馬頭観音、この神社のリアルな馬頭観音、そしてこの辺りで行われる浜競馬など馬と人の関りは身近なようです。
2020/11/25
照島神社
創建 / 不明
祭神 / 大己貴命、少彦名命、大山津見命
住所 / 鹿児島県いちき串木野市西島平町410
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