静岡県浜松市春野町領家『秋葉山本宮秋葉神社 下社』 赤石山脈の遠州平野に突出した南端に位置し、天竜川上流の秋葉山の南東麓に下社、山頂の上社からなる「秋葉山本宮秋葉神社」と呼び、普段良く見かける秋葉神社の総本山。 秋葉山を崇める山岳信仰と修験の場が融合した秋葉権現の発祥の地。 修験の場ということで下社とはいえ、さぞかし過酷な参道が続くのだろう。 一般的に上社は素朴で下社は大きくて豪華、そんな印象をもって訪れています。 大きくて豪華なイメージとは裏腹に参拝者駐車場はガラガラ。 コロナの「影響かな」と勝手に思い込んでいた。 そもそも訪れたのは12/24、街中はともかく、こんな日に好き好んで山には来ないか?
創建 / 709年(和銅2) 社号 / 上古は「岐陛保神ノ社」と称し、中世は「秋葉大権現」と称した。 後の神仏分離により「秋葉神社」と改め、昭和に入り「秋葉山本宮秋葉神社」へと改称した。 神徳 / 火の幸を恵み悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除き、火防開運の神。 もともと江戸時代までは秋葉権現を祀る秋葉権現社と、観世音菩薩を本尊とする秋葉寺が境内にある神仏混淆として成り立っていたようですが、1872年(明治5)の神仏分離により秋葉神社に改め祭神を火之迦具土大神として、三尺坊を仏教の秋葉寺に分離した。 この秋葉神社下社は戦時中の1943年(昭和18)、麓から発生した火災の延焼により、現在の上社の本殿東側にある山門を除き全ての建物を焼失したようで、容易に再建ができなかったことから、祭祀を継続するため麓に作られたのが下社だといいます。
登り切れば境内が広がり大きな社殿が現れるか、更に石段が続くものなのか、初めて訪れるので先は見えない。
落ち着いた外観の社殿と静寂に包まれた空間は穏やかな気持ちにしてくれる。 拝殿左の御神木の前に巨大なスコップと火箸が吊るされています。 スコップは「十能」というそうで、技術向上、作業安全を祈願し戦時中から度々奉納されたようです。炭を運ぶ際に用いる道具だそうで、戦時中はそうしたものも悉く供出され、現在のものはその後に奉納されたもので、大きさは日本一だといいます。
社殿の飾りのなさは、戦時中の限られた資材や時間の中で建立された事もあるのだろう。 個人的には煌びやかな社殿より、飾り気のない質素な姿の方が信者の復興に対する思いが伝わってきて好感が持てる。
1943年(昭和18)の建立から上社が再建される1986年(昭和61)まで信者の崇敬を一心に担ってきた。 上社が再建され、車でも容易に訪れることが出来る事から、地味な下社を訪れる参拝者は少ないのかもしれない。 井伊の赤備発祥の地 井伊家が今川家の支配下にあった時代、当主不在となった井伊家を継いだ娘の直虎は、後に直政を養子として迎え育てたのが井伊直政。後に徳川方となり徳川四天王の一人として活躍しますが、その背景には、滅亡した武田方の精鋭部隊を徳川方に取り込んだ直政の活躍があったとされます。 直政は赤一色の精鋭を率い井伊の赤鬼として活躍したとされ、起請文を取り交わした場所が秋葉山山頂のようです。
焼失した社殿再建まで、火伏の神の祭祀を継続するという役割は、ある意味終えたのかもしれませんが、混乱の時期に下社の建立に携わり、拠り所とされた方々から見れば、訪れる方の少ない下社は秋葉神社そのものかも知れない。 2020/12/24 秋葉山本宮秋葉神社 下社 祭神 / 火之迦具土大神 創建 / 709年(和銅2) 下社建立 / 1943年(昭和18) 住所 / 静岡県浜松市天竜区春野町領家328ー1 下社社殿の右に隣接するように六所神社が鎮座しますが、改めて掲載する事にします。 |