静岡県浜松市 『秋葉山本宮秋葉神社 下社』

 


静岡県浜松市春野町領家『秋葉山本宮秋葉神社 下社』
赤石山脈遠州平野に突出した南端に位置し、天竜川上流の秋葉山の南東麓に下社、山頂の上社からなる「秋葉山本宮秋葉神社」と呼び、普段良く見かける秋葉神社の総本山。

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国道362号線から県道286号線を経由、気田川右岸沿いにある秋葉神社前キャンプ場の入口に参拝者駐車場があります。社頭は駐車場の真向かいにある。

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県道を渡ると常夜灯と石段が杜に消えていく。
秋葉山を崇める山岳信仰と修験の場が融合した秋葉権現の発祥の地。
修験の場ということで下社とはいえ、さぞかし過酷な参道が続くのだろう。

一般的に上社は素朴で下社は大きくて豪華、そんな印象をもって訪れています。
大きくて豪華なイメージとは裏腹に参拝者駐車場はガラガラ。
コロナの「影響かな」と勝手に思い込んでいた。
そもそも訪れたのは12/24、街中はともかく、こんな日に好き好んで山には来ないか?

f:id:owari-nagoya55:20210119090906j:plain社頭脇の解説。

祭神 / 火之迦具土大神伊弉諾伊弉冉の子で火の主宰神
創建 / 709年(和銅2)
社号 / 上古は「岐陛保神ノ社」と称し、中世は「秋葉大権現」と称した。
後の神仏分離により「秋葉神社」と改め、昭和に入り「秋葉山本宮秋葉神社」へと改称した。
神徳 / 火の幸を恵み悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除き、火防開運の神。 

もともと江戸時代までは秋葉権現を祀る秋葉権現社と、観世音菩薩を本尊とする秋葉寺が境内にある神仏混淆として成り立っていたようですが、1872年(明治5)の神仏分離により秋葉神社に改め祭神を火之迦具土大神として、三尺坊を仏教の秋葉寺に分離した。
この秋葉神社下社は戦時中の1943年(昭和18)、麓から発生した火災の延焼により、現在の上社の本殿東側にある山門を除き全ての建物を焼失したようで、容易に再建ができなかったことから、祭祀を継続するため麓に作られたのが下社だといいます。

f:id:owari-nagoya55:20210119090933j:plain参道に入ると赤い欄干の神橋があり、そこから先は石段に変ります。

ここから過酷な石段の参道が続く?と思いきや伽藍らしき建物が見えている。

f:id:owari-nagoya55:20210119090953j:plain参道の周囲は杉が生い茂り、角の取れた石が積まれた石段は、さほど急な勾配ではなく登りやすい。

先に見える建物まではたいした距離はない。
登り切れば境内が広がり大きな社殿が現れるか、更に石段が続くものなのか、初めて訪れるので先は見えない。

f:id:owari-nagoya55:20210119091010j:plain視界は広がりここが秋葉神社下社の社殿の様だ、正式には遥斎殿と呼ぶそうだ。

思い描いていた姿とはかけ離れ、静かで素朴な佇まいの小さな社殿。

f:id:owari-nagoya55:20210119091030j:plain境内の右に手水舎、左手に社務所、その右手に周囲の樹々とは明らかに大きさの違う御神木が聳えています。

f:id:owari-nagoya55:20210119091048j:plain境内の右、手前は休憩所と奥に高床式で切妻の建物、神楽殿だろうか?

f:id:owari-nagoya55:20210119091113j:plain札所(右)と社務所

全国の秋葉神社の本社となる秋葉神社の下社とは思えないこぢんまりとしたもの。
落ち着いた外観の社殿と静寂に包まれた空間は穏やかな気持ちにしてくれる。

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拝殿左の御神木の前に巨大なスコップと火箸が吊るされています。

スコップは「十能」というそうで、技術向上、作業安全を祈願し戦時中から度々奉納されたようです。
炭を運ぶ際に用いる道具だそうで、戦時中はそうしたものも悉く供出され、現在のものはその後に奉納されたもので、大きさは日本一だといいます。

f:id:owari-nagoya55:20210119091155j:plainさて、下社参拝。

切妻平入で素木の拝殿は、飾りも少ないシンプルなもの。

f:id:owari-nagoya55:20210119091230j:plain神紋は「七葉もみじ」

建立は1943年と一世紀を経ていないけれど、趣には年月以上の風格が漂う。
社殿の飾りのなさは、戦時中の限られた資材や時間の中で建立された事もあるのだろう。
個人的には煌びやかな社殿より、飾り気のない質素な姿の方が信者の復興に対する思いが伝わってきて好感が持てる。

f:id:owari-nagoya55:20210119091253j:plain拝殿から幣殿・本殿方向の眺め。

実際にはもう少し薄暗いけれど、拝所からは正面の鏡が鈍く輝いている。
1943年(昭和18)の建立から上社が再建される1986年(昭和61)まで信者の崇敬を一心に担ってきた。
上社が再建され、車でも容易に訪れることが出来る事から、地味な下社を訪れる参拝者は少ないのかもしれない。

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井伊の赤備発祥の地

井伊家が今川家の支配下にあった時代、当主不在となった井伊家を継いだ娘の直虎は、後に直政を養子として迎え育てたのが井伊直政
後に徳川方となり徳川四天王の一人として活躍しますが、その背景には、滅亡した武田方の精鋭部隊を徳川方に取り込んだ直政の活躍があったとされます。
直政は赤一色の精鋭を率い井伊の赤鬼として活躍したとされ、起請文を取り交わした場所が秋葉山山頂のようです。

f:id:owari-nagoya55:20210119091337j:plain社殿全景。

拝殿と幣殿が一体となり本殿まで繋がっているようです。

f:id:owari-nagoya55:20210119091435j:plain本殿に近づいてみましたが流造の様に見えますが見通す事はできません。

見慣れた上社と下社のイメージと秋葉神社下社の建立の経緯はあまりに違っていました。
焼失した社殿再建まで、火伏の神の祭祀を継続するという役割は、ある意味終えたのかもしれませんが、混乱の時期に下社の建立に携わり、拠り所とされた方々から見れば、訪れる方の少ない下社は秋葉神社そのものかも知れない。

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参道から社頭の眺め、参拝者の姿は意外なほど少なかった。
2020/12/24

秋葉山本宮秋葉神社 下社
祭神 / 火之迦具土大神
創建 / 709年(和銅2)
下社建立 / 1943年(昭和18)
住所 / ​静岡県浜松市天竜区春野町領家328ー1

下社社殿の右に隣接するように六所神社が鎮座しますが、改めて掲載する事にします。

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