『霧島神宮』鹿児島県霧島市

鹿児島県霧島市霧島田口
桜島を中心に左回りで2泊3日の鹿児島県の神社巡りもここ「霧島神宮」で最後となります。
火山が連なり形成されている霧島連山、今もなお活動が続く活火山でもあります。
霧島神宮高天原を統治する天照大御神の孫とされる瓊瓊杵尊は、天照の命を受け、鏡、勾玉、剣の3種の神器と稲穂を持って高千穂峰に降臨した地とされ、山頂では、天の逆鉾を見ることができる。
その高千穂峰の麓に、瓊瓊杵尊と妻の木花咲耶姫をはじめとする祭神を祀るため創建されたのが霧島神宮の始まり。

f:id:owari-nagoya55:20210209083655j:plain黒松埋没鳥居から黒酢の郷「桷志田」を経由して移動時間80分程で霧島神宮の大鳥居(一の鳥居)到着。
既にこの辺りは、霧島連山の一画となる。桜島で感じた自然の計り知れない脅威を感じる。

f:id:owari-nagoya55:20210209083710j:plain霧島神宮参拝駐車場に掲げられている境内案内図。
これに従い参拝に向かいます。
広大な駐車場はガラガラ、例によって一番遠い場所に車を停め、二の鳥居まで戻る。
コロナ禍でなければ駐車場は観光バスが連なるのだろう、空しく空いた広大な駐車場が早く埋まる時が訪れるといいのだが、取り敢えず密を避け参拝に向かう事に。

f:id:owari-nagoya55:20210209083725j:plain霧島神宮社号標、写真では小さく見えますが大きなものです。
そこから石段を踏みしめ、表参道の二の鳥居に向かいます。

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石段を上り詰めると二の鳥居が間近に迫り、長い参道はまっ直ぐに奥へと続く。
樹齢を重ねた杉木立が参道を包み、静寂な空間が広がっています。

f:id:owari-nagoya55:20210209083819j:plainやがて参道先に社務所(昭和5年竣工)が現れます。
ここから左側に行くと霧島神宮展望台があり、持っていれば素晴らしい眺望を眺められるそうです。

f:id:owari-nagoya55:20210209083836j:plain展望所からの眺め。
雲一つない晴天だと鹿児島湾、噴煙を上げる桜島開聞岳鹿児島市街地などの眺望がきくようです。
どうやら私達は持っていなかったようです。

f:id:owari-nagoya55:20210209083856j:plain社務所から参道は右に続き、三の鳥居と遥か先に朱塗りの社殿が見えてきました。
訪れたのは2020年11月26日、燃えるような紅葉を少し期待したけれどこの時期はこんな感じでした。

f:id:owari-nagoya55:20210209083915j:plainコロナ禍でツアーバスは止まり、団体の参拝客はなく家族連れやカップルの参拝客が主ですが、それでもこの石段を登る人出は途切れることはありません。

f:id:owari-nagoya55:20210209083932j:plain石段右の朱塗りの手水舎。

f:id:owari-nagoya55:20210209083949j:plain龍口から清水は絶え間なく注がれていますが、写真の様にコロナ感染防止対策が施されています。
神社も配慮してくれています、訪れる側の感染防止の意識が問われているのかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20210209084006j:plain手水舎左のさざれ石。
小石が集まり固まって岩となったもので、岐阜県で産出したもので昭和62年に奉納されたもの。

f:id:owari-nagoya55:20210209084022j:plainこちらの鳥居は全て朱塗りの明神系鳥居で笠木には屋根が葺かれている。

f:id:owari-nagoya55:20210209084037j:plain霧島神宮本宮はもとは後方に聳える高千穂峰と御鉢と呼ばれる噴火口の中間、脊門丘に奉斎されていたというが、噴火により被災焼失するが950年(天暦年間)に天台宗の僧侶、性空上人により高千穂河原に再興される事になる。
その後、1234年(文暦元年)の大噴火により、社殿、僧坊寺が被災した、その後1484年(文明16)に真言宗の僧侶、兼慶上人が藩主の島津忠昌の命をうけ伽藍を再興。
しかしその後も別当寺 華林寺からの失火が原因で焼失するが、第21代藩主島津吉貴の寄進により1715年(正徳5)に重建されたのが現在の社殿で約300年前のもの。
災いにより幾度も神社は灰となるけれど、常に島津藩の厚遇を受け蘇ってきた。
現在の朱塗りの門守神社や絢爛豪華な勅使殿、登廊下、拝殿、本殿等の伽藍は「西の日光」とも呼ばれることもあるそうだ。

f:id:owari-nagoya55:20210209084054j:plain参道を抜けると門守神社の先に勅使殿、拝殿、本殿が一列に並ぶ社殿の全景が広がる。

f:id:owari-nagoya55:20210209084109j:plain境内右手の御神木は樹齢800年を超えると云われる霧島杉、南九州一帯の杉の祖とされるようだ。
写真からその大きさは伝わらないけれど、境内の杜の中で絶対的な存在感があり、自然が持つ生命の息吹を感じられる。

f:id:owari-nagoya55:20210209084124j:plain境内右に霧島神宮由緒が掲げられています。
1715年(正徳5)に重建された社殿は国指定重要文化財の指定を受けている。
主祭神瓊瓊杵尊
相殿神は木花開姫尊、彦火火出見尊豊玉姫尊、玉依姫尊、神倭磐余彦尊、鵜葺草葺不合命

f:id:owari-nagoya55:20210209084141j:plain左右の門守神社とその先に朱塗りの勅使殿、その左右には長庁と呼ばれる廻廊が左右に繋がっています。
勅使殿の先は登廊下を経て入母屋造の拝殿、本殿が一直線に並びます。

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上が門守神社の右社殿、下が左社殿(国指定重要文化財)
門の守り神、櫛磐間戸神と豊磐間戸神を祀る。

f:id:owari-nagoya55:20210209084228j:plain勅使殿。
入母屋造の建屋に唐破風向拝が設けられたもの。

f:id:owari-nagoya55:20210209084246j:plain薩摩國 一之宮の枚聞神社の伽藍と似ている、妻入りの建屋配置の枚聞神社に対し、霧島神宮は平入として配置されているようです。

f:id:owari-nagoya55:20210209084302j:plain勅使殿唐破風。
木鼻飾りや透かし彫りなど手が込んだ装飾と、色鮮やかに彩色が施され視線は自ずと上に行く。
「これでもか」と云わんばかりの派手さではなく、嫌みのない豪華さとでも云えばいいのか。

f:id:owari-nagoya55:20210209084320j:plain一般の参拝はここ勅使殿からの参拝となります。1781年(天明元年)に奉納された賽銭箱には、十六葉の大きな菊の紋章が施されています。
正面の登廊下はこの先の拝殿、本殿に繋がっています。
残念ながら見る事は出来ないけれど、本殿は外部のみならず内部も煌びやかに装飾されているようで、柱、梁などは朱が施されて、壁や羽目板には彩色や飾り金具が施されていると云う。

f:id:owari-nagoya55:20210209084340j:plain勅使殿右側から望む拝殿右に鎮座する税所神社の眺め。
後一条天皇の命によりこの地を治めた藤原篤如命を祀る神社。
流造の社殿に唐破風向拝が付けられているようで、社殿は素木で朱や飾りはなく落ち着いた佇まい。

f:id:owari-nagoya55:20210209084356j:plain勅使殿左の長庁から社殿域の眺め。
手前が神饌所、左が本殿、右が幣拝殿、社殿全容が見れる場所はないようです。

f:id:owari-nagoya55:20210209084413j:plain本殿には5本の鰹木が施され、各々に内削ぎの千木が付く。

f:id:owari-nagoya55:20210209084429j:plain右の長庁から勅使殿拝殿の眺め。
境内はこの場所から右に参道が続きます。

f:id:owari-nagoya55:20210209084446j:plainその先の建物は神楽殿で2005年(平成17)に建立されたもの。
新しい建物ではあるけれどこうして見ると安定感のある優雅な建物。

もう少し時間があれば境内左方向の山神社、鎮守神社や若宮神社にも足を向けたいところ。
慣れない土地故に空港までの時間を考えるとこれ以上は回れそうにありません。
次回訪れる機会があれば古宮跡を含め再び回りたいものだ。

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霧島神宮
創建 / 510年~571年 
主祭神 / 瓊瓊杵尊 
相殿神 / 木花開姫尊、彦火火出見尊豊玉姫尊、玉依姫尊、神倭磐余彦尊、鵜葺草葺不合命
境内社 税所神社 / 藤原篤如命、門守神社 / 櫛磐間戸神、豊磐間戸神

住所 / 鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
車アクセス / ​鹿児島空港から国道504号線⇒県道56号線⇒国道223号線牧園町宿窪田で右折 約40分
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