「諏訪神社」西尾市一色町

西尾市一色町諏訪神社

三河一色と聞いて最初に思い浮ぶのが「うなぎ」、「抹茶」だろうか。
夏の風物詩とも云える「三河一色大提灯まつり」、直接目にした事はなくても、耳にしたりTVで目にした事があると思います、この祭りが行われるのがここ「諏訪神社」。
昔のままに和紙で作られた6組12張りの大提灯、目にも鮮やかな色彩で描かれた絵模様は美しいものがある。
陽も落ち、大提灯に火が入れられると幻想的な光景が広がります。

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上は一色町一色東前新田の「一色まなびの館」に展示してある「三河一色大提灯」のレプリカ、右は祭が行われている「諏訪神社」のミニチュア。
境内を埋める様に吊るされた提灯とその傍らの人からその大きさがイメージできると思います。
提灯を吊るす覆屋根付きの柱を立てるのも、大きなものは5㍍×10㍍もある提灯を吊るすのも全て氏子たちの手により行われます。

f:id:owari-nagoya55:20210307172711j:plain諏訪神社境内全景。
こうして訪れるとあのミニチュアは良く出来ている。
手前の道路は多少違いがあるようですが、これは2001年から始まった道路拡張工事によります。
拡張は神社にも影響を与え、社殿等は境内奥に曳家されたようです。

f:id:owari-nagoya55:20210307172729j:plain社地の縮小は反面で拝殿、本殿等の主要な建物以外の社務所や付随する建物の新築に繋がったようで、とても綺麗な印象を受ける。
この石の明神鳥居はその工事後に新たに建てられたもの。
それでも参道の先に見える拝殿までの距離は結構遠い、提灯を献灯するのにこの空間が必要なのだ。

f:id:owari-nagoya55:20210307172746j:plain新しい中に歴史を語る古いものが点在する。
黒ずんだ狛犬の台座に刻まれた年号は安政6年(1859)と刻まれています。
彼らも影響を受けたのかナ、台座下の石積みなどは新しいものです。

f:id:owari-nagoya55:20210307172804j:plain狛犬は角付きのもの。
石工で有名な岡崎もそれほど遠くはないけれど、良く見かける岡崎現代型と呼ばれるものや某大国で作られたものに比べると、素朴な容姿は哀愁すら漂う。

f:id:owari-nagoya55:20210307172822j:plain鳥居左に諏訪神社由緒書きと一色の大提灯の解説。

f:id:owari-nagoya55:20210307172840j:plain手水舎。
コロナ禍の今、龍はお休みのようだ、注いでいたとしても清水は鉢を満たす事はないのだろう。
見慣れた光景になってしまった。

f:id:owari-nagoya55:20210307172903j:plain境内右に大提灯の保管庫が立ち並んでいますが、その左に二つの社殿があります。

f:id:owari-nagoya55:20210307172921j:plain右側の瓦葺入母屋造の落ち着いた外観の建物が「龍宮社」拝殿。
祭神は市杵島姫命田心姫命湍津姫命(航海安全・水難消除の神)、大綿津見神、大海神
創建など詳細は不明、木質感漂う素朴な外観同様扁額もシックなもの。

f:id:owari-nagoya55:20210307172944j:plain「龍宮社」本殿。
神明造の本殿を守護する狛犬はいないようだ。
いや、よく見るとちゃんといました、狛亀です。

f:id:owari-nagoya55:20210307173005j:plain龍宮社の左の瀟洒な社殿は「三社拝殿」
こちらも創建等は不明、祭神は以下。
天満社
菅原道真(文道・学業の神)
下諏訪社
八坂刀売命(主祭神建御名方命の妻神で安産の神)
秋葉社
火之迦具土神(鎮火・防火の神)

f:id:owari-nagoya55:20210307173028j:plain「三社拝殿」の西側に社務所諏訪神社拝殿が並ぶ。
手前が新しくなった社務所
下は遥拝所
この向きで拝むのだから右の幟も考えると伊勢神宮橿原神宮の遥拝所かと思います。
玉垣の紀元二千六百年記念は神武天皇即位から紀元2600年にあたったのが1940年(昭和15年)だったことから、それに伴いこちらにも建てられたのだろう。
左にさざれ石がある。

f:id:owari-nagoya55:20210307173059j:plain諏訪神社拝殿」と「五社拝殿」全景。
手前の玉垣で囲われた部分が旧本殿があった場所、随分と西に引いた事になります。

f:id:owari-nagoya55:20210307173116j:plain銅燈籠の先に瓦葺入母屋造の「諏訪神社拝殿」
創建は第106代正親天皇の御代、1558~1570(永録年間)とされる。
当時、鎮守の神を持たなかった一色の地に守り神を祀りたいと村人たちが考えていたという、そんな折に日本の六十六ヵ所の霊場法華経を納めていた行者が訪れ、信濃諏訪大明神の御分霊を請け、捧持し祠を建て祀ったのが神社の始まりだいう。
現在の拝殿がいつ頃改修されたのか不明ですが、平入の前面にガラスが多用され明るい印象を受けます。

f:id:owari-nagoya55:20210307173136j:plain銅燈籠。
なかなか立派で、印象に残ったのでクローズアップ写真を撮ったはずですが、データが見つからない。

f:id:owari-nagoya55:20210307173155j:plain上は拝殿前の解説。
大黒様で知られる大国主命の第二子神で豊葦原の中津国の弥栄を基礎づけられた建御名方命を祀る。
天孫降臨に際し、瓊々杵尊に国土を譲り、信濃国諏訪の地に退き、八坂刀売命と共に諏訪の国土開発に力を尽くしたとされる。
農耕・機織を奨めたと云う、武勇・力持ちの神、開拓、耕作・雨乞い・狩猟、海上航行、厄除け、商工業の神と言われています。

下は僅かに開けられた引き戸の先に、金色の御幣と神紋の「梶葉紋」が見て取れます、諏訪大社の神紋が三本梶、神紋からも諏訪大社との所縁が見て取れます。

f:id:owari-nagoya55:20210307173221j:plain拝殿の彫飾りは彩色はされていないけれど、龍や木鼻の獏など躍動感がある、宮大工のこだわりかな。

f:id:owari-nagoya55:20210307173241j:plain拝殿側面からの眺め、神紋は軒丸瓦にも描かれています。
下は「諏訪神社本殿」
檜皮葺の流造で、擬宝珠が付いた高欄が施され拝殿から幣殿を経て繋がっている。
本殿域の銅燈籠には金色の神紋が施されている。

f:id:owari-nagoya55:20210307173300j:plain「五社拝殿」
神明社 / 天照大御神 / 国民の総氏神 
津島社 / 素盞嗚尊 / 疫病鎮護の神
御鍬社 / 玉柱屋姫命・伊佐波止美命 / 農業の守護神 
稲荷社 / 宇迦之御魂神 / 商売繁盛、福徳円満の神 
琴平社 / 大物主神 / 海難防護・雨乞いの神 

f:id:owari-nagoya55:20210307173320j:plain入母屋銅葺屋根の新しいもので遊びのないきっちり作られた建物。後方が本殿。
傍らに「金的中」の奉納額、夏の祭礼ではここで奉納射会も行われるようです。
矢場があるの?と見渡してみたが今一つ見付けられなかった。

f:id:owari-nagoya55:20210307173339j:plain上は「三河一色大提灯まつり」で提灯を吊るす柱を保管する倉庫。
下は「五社拝殿」から鳥居方向の境内を眺める。
これら収蔵庫には「三河一色大提灯まつり」で吊るされる大提灯が保管され、この広い境内が狭く感じるほどに吊るされる。

f:id:owari-nagoya55:20210307173359j:plainこの祭りの始まりは450年前に遡るようです。
発端は当時のこの地の海には人畜、農作物を荒らす悪魔がいて、諏訪神社の神前に篝火をたいて祈祷をしたところ、それ以降、悪魔は現れなくなったという。
篝火は江戸時代初期の寛文年間(1661~1672)頃から提灯に変り献灯するようになり、江戸時代中期には提灯に鮮やかな彩色の絵模様が描かれ、大きさを競い合うようになっていったそうです。
遂には西尾藩から「ほどほどに」と通達も出されるほどだったようです。
現在の三河一色大提灯まつりはこの時期の姿を受け継いだもの。

昨年はこのご時世で中止になったようです、今年はどうなんでしょう。
今年の夏は自由な時間が取れそうなだけに、再び二人で訪れて見たいが。
それまでに巷に潜む魔物が退散してくれればいいのですが。

諏訪神社
創建 / 1558~1570(永録年間)
祭神 / 建御名方命
境内社 / 神明社、津島社、御鍬社、稲荷社、琴平社、天満社、下諏訪社、秋葉社、龍宮社
三河一色大提灯まつり / 毎年8月26日・27日
住所 / 愛知県​西尾市一色町一色宮添129
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