線路際に建つ小さな「弘法堂」

JR中央線千種駅から掘割の西側を桜通り方向に向かい歩道を歩いて行きます。
やがて左右を横切る桜通りが見えて来る。
その手前の歩道沿いに小さな堂が佇んでいます。

f:id:owari-nagoya55:20210413211320j:plain近くに寺院もなく尋ねることも出来なかった、正式な名称や詳細は不明。
東は中央本線の掘割、これ以上脇に寄せるにも限界だ。
堂はコンクリートブロックで三方に壁を作り、簡素な屋根が付けられ、南側が拝所になっている。
車では良く通るけれど今まで気づかなかった、歩いてこその気付きかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20210413211338j:plain歩道を向いて一体の観音像が安置され、鶴がデザインされた背後の幕からもここを拠り所とする人の思いが伝わってきます。
日々お世話をされる方が見える様で花も手向けられています。

f:id:owari-nagoya55:20210413211354j:plain左の板に文字が書かれているけれど文字が褪色して良く読み取れない。
延命十句観音経と書かれているように見えます。
にっちもさっちもいかなくなった時、僅か42文字の短い経典を何回も〃も唱える事で道筋が開けるという。
きっとこの板には
「かんぜおん なむぶつ よーぶつういん よーぶつうえん ぶっぽうそうえん じょうらくがじょう ちょうねんかんぜおん ぼーねんかんぜおん ねんねんじゅうしんき ねんねんふりしん」
と書かれているのではないだろうか。

f:id:owari-nagoya55:20210413211411j:plain堂の拝所から堂内の全景。
右に木魚、中央にりんが置かれ、ビルばかりしかないよう立地の中でこうした空間があるのがとても不思議に思える。
ここから更に北の大松町にもこうした堂はある、それはここより遥かに立派なもの。
こちらはと云えば外観は何これ? と思う方が大半だと思います。
そうした拠り所の対象は映えの問題ではなく何が得られるかだと思う。
ここを訪れ、拠り所とされている方がいる事は事実。

f:id:owari-nagoya55:20210413211436j:plain堂の入口左にも黒い像があったがよく分からなかった。
しかし帽子や前垂れで飾られこの像が崇敬されている事がよく分かる。

f:id:owari-nagoya55:20210413211453j:plain堂内。
正面に弘法大師像と手前に二体の可愛い石像が安置されています。
通りかかったのは2/25、祭壇には鏡餅が供えられていました。
心ばかりの賽銭(賽銭箱が見当たらない)を置かせてもらい後にした。
何をお願いしたか? そりゃあ、今の災いからの救済しかないでしょう。

こうした自分を振り返ると、婆さんに手を引かれ歩いていた時に彼女はやたらと立ち止まりいろんなところで拝んでいた事を思い出す。
そこには何かそうさせるものがあったのだろうが、その理由を今更知ろうとしても、もはや知る術もなく、その対象としていたものは既にない。
自分だけかも知れないけれど、そうした対象がなくなり、再開発と称して無機質な街に変っていく事に喪失感を感じる。
2021/2/25

弘法堂
所在地 / 名古屋市千種区内山3丁目
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄名城線「​千種」駅下車徒歩で北に10分程