高岡市「護国神社」

富山県高岡市の中心部、高岡古城公園内に鎮座する高岡護国神社
先に掲載した射水神社の境外末社で、高岡出身の戦没者、空襲により亡くなられた方々の霊をお祀りしています。

f:id:owari-nagoya55:20210512102928j:plain 写真は射水神社のある本丸と二の丸を結ぶ土橋。
高岡城は1615年廃城となりました、当時の城壁の名残はこの土橋が留めている。
この素朴な石積みは乱積みと呼ばれ、使われる石にはいろいろな文字が刻まれているそうです。
石を切り出した石工が付けた目印だと考えられていて、一説によれば キリシタンに関係があると云う話もあるようだ。

f:id:owari-nagoya55:20210512102945j:plainその他の遺構は本丸と三の丸の井戸(民部之井戸)など一部残る。
写真は民部之井戸。

f:id:owari-nagoya55:20210512103003j:plain忠魂碑
本丸から土橋を渡った左側の広場に建ち、広場中央に鶴の噴水がある。
右には護国神社の社殿が見えている。

f:id:owari-nagoya55:20210512103023j:plain城下からだと駐春橋を渡った右側に鎮座しています。
高岡古城公園射水神社を訪れた人々を傍らから見守る様に佇んでいる。
1935年(昭和10)高岡市招魂社として創建され、後の1952年(昭和27)高岡市護国神社に改称されました。

f:id:owari-nagoya55:20210512103039j:plain石段の先に2012年建立の明神鳥居。
射水神社の境外末社

f:id:owari-nagoya55:20210512103058j:plain拝殿は平入の入母屋造。
銅板葺の屋根で、低い重心のフォルムは安定感がある。
周囲は木の折り戸が付けられ、黒の飾り金具と木の色合いは落ち着いた外観に調和している。
国のため亡くなられた方が鎮まるには相応しいものだ。
平和に慣れ、当たり前の様に感じるこの時代だからこそ、参拝したいものです。

別の形の戦いを強いられている現在。
さざ波としか捉えていない無能なお国や指導者ためではなく、最前線で活動されている方々への感謝と負担を掛けないため、自分と家族を守るため、今は積極的な孤の選択を惜しむべきではない。

f:id:owari-nagoya55:20210512103113j:plain拝殿前の狛犬
1933年建之のもので、角付きで突き出した胸には鈴の付いたもの。
招魂社などで良く見かける勇猛な姿。

f:id:owari-nagoya55:20210512103129j:plain拝殿内陣から本殿方向。
本殿方向を除き周囲が折り戸なので、本殿からさしこむ陽光が額や本殿を浮き立てている。

f:id:owari-nagoya55:20210512103145j:plain忠魂碑側から本殿の眺め。
銅板葺の流造。

f:id:owari-nagoya55:20210512103201j:plain駐春橋
護国神社から左に進み、外掘りに架かる橋。
ここから先に城下が続き次の目的地高岡大仏に向かいます。

高岡市護国神社
創建 / 1935年(昭和10)
祭神 / 高岡出身の戦没者、空襲により亡くなられた方々、殉職者の霊を祀る。
所在地 / 富山県高岡市古城1-3 (高岡古城公園内 二の丸)
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