熊野三山 「熊野那智大社」

大門坂から石畳の熊野古道を小一時間歩き「熊野那智大社」一ノ鳥居に到着。
右手の「那智山青岸渡寺」は改めて掲載する事にします。
まずは熊野那智大社参拝です。

f:id:owari-nagoya55:20210515081552j:plainここまで来ると参拝客は増えて来るけれど、やはり海外からの観光客やツアーバスの減少もあり、御一行様は皆無、静寂に包まれた世界が広がります。
一ノ鳥居からニノ鳥居方向の眺め、比較的緩やかな石段が続きます。
鳥居の左に手水舎、手水鉢。

f:id:owari-nagoya55:20210515081623j:plain朝一番だと御日様の加減が逆光となりなかなか撮り辛い。
流石に手水は注がれているが龍口から二手に分けられている。

f:id:owari-nagoya55:20210515081653j:plain手水舎の対面に児宮(多冨気王子神社)が鎮座しています。
授児安産、無事育成に神徳ががあり、祭神は彦火火出見尊

f:id:owari-nagoya55:20210515081712j:plainこの二日間で石段は何段上ったのだろう、とはいえ神倉神社の事を思えば大したことはない。
石段はこの先で右に折れニノ鳥居へ続きます。

f:id:owari-nagoya55:20210515081734j:plain上の石段を上り切ると左側に神馬舎。
ここから眼下に大門坂方向の眺望が開け、自分の足で登ってきた満足感が味わえる。

f:id:owari-nagoya55:20210515081753j:plain最後の石段。
両脇に逞しい姿の狛犬とニノ鳥居が間近に見えて来た。

f:id:owari-nagoya55:20210515081810j:plain年代は見ていないけれど、苔むした台座の上に角付きで胸に鈴が付いた狛犬です。
胸板の厚い事。

f:id:owari-nagoya55:20210515081831j:plain最後の石段、ここを登り切れば社殿が見えてくる。
石段の途中から見上げる額。

f:id:owari-nagoya55:20210515081853j:plain熊野の山々を背景に建つニノ鳥居と手水舎。
天空に建つ神社の趣がある。
10:30

f:id:owari-nagoya55:20210515081941j:plain手水舎から拝殿の眺め。

f:id:owari-nagoya55:20210515082000j:plain鳥居左は社務所が建つが参拝時は新たに何か建つようで工事中。

f:id:owari-nagoya55:20210515082018j:plain熊野那智大社
田辺市熊野本宮大社新宮市の熊野速玉大社とともに熊野三山の一社。
街で見かける熊野神社の本社で、日本第一大霊験所根本熊野三所権現として崇敬が厚い。
ご祭神「熊野夫須美大神(伊弉冉尊)」をお祀りし、夫須美が結びと同意であることから「結宮(むすびのみや)」と称され、人の縁に留まらず様々な願いを結ぶ宮として崇めらています。
那智御瀧は自然を尊び延命息災を祈る人が多く、八咫烏の縁起から導きの神として、古くから交通・海上安全の守り神として崇められている。
境内拝殿右には御神木の梛の木があり無事息災をあらわすものとして崇められています。
正に熊野の自然と共に神の恵みを授かる事の出来る神社。
熊野信仰は仏教伝来以降早くから神仏習合が進み、修験道の降盛とも相俟って熊野権現として崇められて来た。

f:id:owari-nagoya55:20210515082040j:plain手水舎の向かいは宝物殿。
那智経塚の出土品や熊野那智大社文書(国指定文化財)等、熊野信仰の歴史を伝える資料が展示されています。

f:id:owari-nagoya55:20210515082056j:plain宝物殿右に八咫烏のモニュメントと御縣彦神社(ヤタガラス)、右は第六殿八社殿(天神地祗)。

f:id:owari-nagoya55:20210515082117j:plain青い空と緑の山々を背景に建つ朱の社殿が一際映える、昔の印象そのままだ。

神日本磐余彦命(神武天皇)の東征を起源とし、西暦紀元前662年、神日本磐余彦命の一行は丹敷浦(現在の那智の浜)に上陸した際、光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったいう。
那智御瀧(那智の滝)と出逢い、その瀧を大己貴命の現れた御神体としてお祀りしたとされる。
一行は天照大神より使わされた八咫烏の先導により無事、大和の橿原へ辿り着くことが出来、初代天皇神武天皇として即位したとされます。
一行を導いた八咫烏は熊野の地へ戻り、石(鳥石)に姿を変えて休んでいるといわれています。
その後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨され、御滝本にお祀りしていたが、仁徳天皇5年(317年)に山の中腹にあらためて社殿を設けたのが「熊野那智大社」の始まりとされています。
ここから少し下った所にある「飛瀧神社」は、熊野那智大社の別宮で「那智の滝」を御神体としています。

f:id:owari-nagoya55:20210515082136j:plain拝殿右の授与所、後方の入母屋屋根は那智山青岸渡寺本堂、那智大社境内の東門を出ると目の前です。
右側の巨木は楠木で熊野那智大社の御神木。

f:id:owari-nagoya55:20210515082207j:plain御縣彦社
八咫烏を祀る社で祭神は建角身命。
八咫烏は熊野の神様の使いで三本足の烏で、より良い方向へ導く、導きの神とされる。

f:id:owari-nagoya55:20210515082226j:plain本殿正式参拝をすると烏石を見ることが出来るらしく触れると八咫烏のパワーを授かれるそうな。

f:id:owari-nagoya55:20210515082246j:plain御縣彦社から入母屋造で唐破風向拝の付く朱塗りの拝殿。
拝殿から左右に瑞垣が繋がり本殿域を取り囲んでいますが、正面から本殿の姿を見る事は出来ません。

f:id:owari-nagoya55:20210515082325j:plain拝殿 
主祭神 / 熊野夫須美大

f:id:owari-nagoya55:20210515082342j:plain御神木から拝殿の眺め。
香炉に火も入れられたようです。昔の印象とは朱で彩られた山の斜面に建つ神社だった、今も当時の印象と何ら変わりはない。

f:id:owari-nagoya55:20210515082400j:plain御神木の大楠。
平重盛の御手植えと伝わり、樹齢約850年を超えるとも云われ、幹が空洞化している。
「胎内くぐり」といって鳥居から御神木の空洞を通り抜けることができる。

f:id:owari-nagoya55:20210515082420j:plainこの辺りから東を眺めると、一ノ鳥居や観音堂、遥か下には那智の谷筋が一望できる。

f:id:owari-nagoya55:20210515082439j:plain東門の先は「那智山青岸渡寺」に繋がります。
左の玉垣あたりから本殿域を見通すことが出来ます。

f:id:owari-nagoya55:20210515082457j:plain本殿域
玉垣内には拝殿正面に五殿あり、左から二つ目の社殿が、熊野夫須美大神(伊弉冉尊)が祀られている。
玉垣と鈴門があり社殿は熊野造りで殿内は外陣・内陣に区切られています。
樹で隠れてしまったけれど、右から第一殿 滝宮(大己貴命)、第二殿 証誠殿(家都御子大神)、第三殿 中御前(御子速玉大神)、第四殿 西御前(熊野夫須美大神)、第五殿 若宮(天照大神)と朱の社が整然と並ぶ。
実に綺麗だ。

f:id:owari-nagoya55:20210515082516j:plain那智山青岸渡寺から東門。
御神木の楠の枝は空を覆う様に枝を張り、そこから差し込む陽射しに神々しさを感じる。
11:00
さあ、次は「那智山青岸渡寺」です。
2021/2/22

f:id:owari-nagoya55:20210515082543j:plain熊野那智大社
主祭神 / 熊野夫須美大神(伊弉冉尊)
第一殿  / 滝宮(大己貴命)
第二殿  / 証誠殿(家都御子大神)
第三殿  / 中御前(御子速玉大神)
第四殿  / 西御前(熊野夫須美大神)
第五殿  / 若宮(天照大神)
第六殿 / 八社殿(天神地祗)
御縣彦神社 / 建角身命
創建 / 仁徳天皇5年(317年)
住所 / ​和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
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