熊野三山を巡る 『那智山 青岸渡寺』

以前掲載した「那智山参拝 熊野古道 大門坂から熊野那智大社
熊野那智大社の鳥居の手前で参道は二手に別れ右に向かうと「青岸渡寺」の仁王門へ続きます。
青岸渡寺」へは敢えて仁王門の石段を上ることなく、熊野那智大社境内の東門と繋がっていて容易に本堂に向かう事が出来ます。
それもどうなの、という事で一旦かみさんと別行動、一旦熊野那智大社一ノ鳥居まで戻り仁王門から訪れる事にした。

f:id:owari-nagoya55:20210524165904j:plain青岸渡寺仁王門

f:id:owari-nagoya55:20210524165921j:plain那智山青岸渡寺石標。西国三十三所巡礼の一番札所。二人とも過去にこの地を訪れながら、巡拝をはじめたかみさんが今だ御朱印を頂けていない、念願とも言える一番札所。​​

f:id:owari-nagoya55:20210524165941j:plain御詠歌碑
「補陀洛や岸うつ波は三熊野の 那智のお山にひびく滝津瀬」
那智の語源は梵語から由来し、音訳は那堤・難地と訳す様で、大いなる川をさし大滝を意味するようです。
那智の滝熊野川、ゴトビキ岩など自然そのものが象徴、熊野三山を参詣してみると音訳の難地が合っている事を実感します。
仁徳天皇御代に裸行上人がこの地に観音像を祀り開基したことから始まり、以降、多くの高僧が参籠した霊場で往時は7寺36坊を有したという。

f:id:owari-nagoya55:20210524170104j:plain御詠歌碑の後方に石段が続きその先に仁王門がある。
後方の信徒会館があまりに大きいので門そのものは小さく見えてしまう。

f:id:owari-nagoya55:20210524170125j:plainなちさん霊場の石標から石段が伸び仁王門に至る。
もとは旧参道に建っていたが、明治政府の廃仏稀釈(1868年)により取り壊されてしまった。
現在見る仁王門は1933年(昭和8)に新たにこの場所に復興されたもの。
入母屋造りの木造の仁王門、彩色は適度に色褪せ落ち着いた佇まい。

f:id:owari-nagoya55:20210524170144j:plain安置される仁王像は鎌倉時代の仏師で運慶の子、湛慶(たんけい)作と伝わるもの。
高さは3㍍を越え、筋肉の盛り上がりや見開いた目など力強い像です。
県指定文化財

f:id:owari-nagoya55:20210524170203j:plain門をくぐると仁王像と背中合わせに狛犬

f:id:owari-nagoya55:20210524170222j:plain寺の栞で狛犬の紹介はなく、県や町の文化財リストに上がっておらず、年代など詳細は不明。
獅子頭の様な顔つきの木造の狛犬、胸を突き出し背筋を伸ばして手の込んだ台座の上から本堂を見上げているように見える。

f:id:owari-nagoya55:20210524170239j:plain
狛犬達の見上げる先に本堂。

石段を上がり切ると下から狛犬の視線を感じる。

なんだろう、熊野に来てからこの程度の石段は苦にならなくなった。

f:id:owari-nagoya55:20210524170256j:plain石段を登り切りると左に那智大滝から導かれた清浄水、「延命の水」と呼ばれる。

f:id:owari-nagoya55:20210524170314j:plainそして正面に本堂。
如意輪堂とも呼ばれる高床の入母屋造で、大きな向拝を持ち堂内は外陣と内陣に分かれています。
戦国の時代には兵火で焼失するも秀吉により再建され、栞によれば飛鳥時代から六度目の建物だという。
桃山時代の建築物では県内最古とされ、こうして見る姿は廃仏稀釈の災難から免れ、1924年(大正13)に解体修理を受けたもの。

f:id:owari-nagoya55:20210524170332j:plain西国第一番札所 那智山 青岸渡寺
印度天竺の僧、裸形上人が那智大滝で修行を積みその暁に瀧壷で八寸の観音菩薩を感得し、ここに草庵を営んで安置したのが最初とされ、先に掲載した補陀洛山寺も裸形上人により開基された。

f:id:owari-nagoya55:20210524170349j:plain本堂

f:id:owari-nagoya55:20210524170408j:plain堂内
外陣上部に掛けられた「鰐口」はかる日本最大、秀吉が本堂再建の際に寄進したもので直径1.4㍍、重さ450㎏の鰐口にはその趣旨が刻まれている。
本尊の如意輪観音菩薩は秘仏

f:id:owari-nagoya55:20210524170432j:plain仁王門の横に聳えていた信徒会館、こうして見る姿は普通ですが、下から見上げた姿は近代工法を用いた舞台造りとでも云えばいいか、立派な建物だ。

f:id:owari-nagoya55:20210524170449j:plain本堂右に水子堂、その右に建つ宝篋印塔は1322年(元亨二)のもので塔身四面に梵字が刻まれたもので重要文化財に指定されています。
後方の屋根は鐘楼で更にその後方の高みには大黒堂(如法堂)と続く。

f:id:owari-nagoya55:20210524170505j:plain鐘楼
1903年(明治36)に復興され、梵鐘は1324年(元享4)鋳造のもので、高さは1.9㍍あるという。県指定文化財

f:id:owari-nagoya55:20210524170522j:plain大黒天堂
鐘楼右手にあり、大黒天を本尊とする。
もとは光明堂と称し回向(えこう)堂だったが1924年(大正13)現在の場所に移築された。
本堂修理中には仮本堂として利用された。

f:id:owari-nagoya55:20210524170540j:plain大黒天堂正面全景
伝教大師の作とされる「蓮華の葉上大黒像」が祀られ、大黒天を中心に七福神が勢揃いする。
大黒天堂は向拝飾りや木組みなど、彫り飾りに視線が行く。

f:id:owari-nagoya55:20210524170620j:plain向拝側面

f:id:owari-nagoya55:20210524170639j:plain木鼻や向拝等に施された彫飾りは手が込んでいる。
額は大黒天。

f:id:owari-nagoya55:20210524170657j:plain堂内は薄暗く、外陣と内陣に別れている。
外陣の天井は一面朱色の提灯が吊るされていて、中央に本尊の大黒天、左右の厨子には六福神が祀られている、御真言は「おんまかきゃらやそわか」

f:id:owari-nagoya55:20210524170716j:plain阿弥陀堂
大黒天堂から更に右の参道を進んだ左に建ち、1994年(平成6)に新たに建立されたもの。

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信徒会館やこの辺りまで来ると、三重塔と那智の滝が一望できる。

f:id:owari-nagoya55:20210524170756j:plain三重塔
もともとは平安末期に建立され、その様子は「那智参拝曼荼羅」にも描かれていて、江戸時代に自然災害で倒壊、こうしてみる塔は1972年(昭和47)にこの地に復興したもの。
内部に飛滝権現の本地仏千手観音を安置、内部は壁画が描かれ塔にも登る事が出来(有料)那智の滝や太平洋を一望できる。

f:id:owari-nagoya55:20210524170816j:plain三重塔の脇にある那智山の石標と遥か前方の岩盤から流れ那智の滝
ここから次の目的地「飛滝神社」へは下りの石段(帰りは上り)と整備された歩道を進みます。
那智の滝は更に大きく迫ってくる。

f:id:owari-nagoya55:20210524170834j:plain御朱印と御詠歌、念願の一番札所。

西国三十三所巡礼一番札所 那智山 青岸渡寺
宗派 / 天台宗
開基 / 仁徳天皇御代
開山 / 裸行上人
本尊 / 如意輪観音
所在地 / 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地 

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