「天王社」

八尾稲荷の鎮座する下街道、そこから1本西筋、北側に集合住宅、前と左右を戸建住宅に囲まれるように一区画がぽっかりと空いた空間。
整地されただけで雑草が生え、区画は玉垣で囲われている。
ここが瀬古東2の天王社。

f:id:owari-nagoya55:20210530171116j:plain下街道の一方西筋を北方向に向いて撮った一枚。
住宅が林立した光景はそのまま掲載するには難があり、相当消してしまったので全体のイメージが伝わりにくくなってしまった事をお許し願いたい。
天王社がある区画は上の写真の右上。

f:id:owari-nagoya55:20210530171132j:plain道路から見る天王社。
区画全周を少し古めの玉垣が囲っており、広くて南北に長い社地の奥に本殿が見える。

f:id:owari-nagoya55:20210530171148j:plain本殿に対し不必要と思えるような広い社地にポツンと本殿だけが祀られている。
鳥居や狛犬、手水鉢も見当たらない、社地には杜はなく、こうして見ると一本の樹があるように見えますが、それは集合住宅の庭木。

f:id:owari-nagoya55:20210530171204j:plain不思議な比率だ。
過去ここには少し規模の大きな神社があったのかも知れない。
その名残なのか社地の中ほどに大きな切株が残っています。
本殿はこの辺りで見かける天王社の流れを踏襲し、この広い境内に小さな板宮造りの赤い社の存在と、そこに訪れるは参拝客は逆に周囲から目立つかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20210530171221j:plain社名札はなく扉は閉じられ、お札まで確認できないけれど天王社で間違いないと思います。
社は大きな岩を組み、一段高く積まれその上に祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20210530171237j:plain社を斜めから眺める。
境内の様子に対し、社の状態は綺麗に手入れされ、近隣の天王社より状態はいいかもしれない。
この辺りの少し前の地図など当たってみる、そもそも鳥居の印がなく、いつ頃祀られたものなのか推測すらできない。
一帯は各町内ごとに天王社が祀られているといってもいいくらい、少し歩けば目にすることができる。
瀬古東2の天王社と云って間違いないかもしれない。
大正か昭和初期に祀られたような気はするが創建に繋がるものは見つけられなかった。
ひと回りして古びた賽銭箱に志を入れ参拝させてもらうも、何も分からない事に対し若干消化不良気味。

f:id:owari-nagoya55:20210530171254j:plain由緒は分からない、この広い境内の意味も良く分からない。
分からない事ばかりだけれど、住宅が建つ中で天王社の社地がこうして与えられている。

話は脱線するかもしれないけれど、息子たち二人は学童で育った、そこには年間のイベントがあり職種の違う父母が得意の分野で参画し目的達成に向け活動していた、そうした親の姿を見て子は育っていき助け合いを学んでくれたものと思っている。
ややもすると面倒は避けたい傾向に陥り、昔から続いていたイベントや地域行事は姿を消していく。

家は一杯建っていても隣の顔も分からない住宅街、それが時流なんでしょう。
集まっている事で安心を得ている錯覚に陥るけれど、実はとんでもなく山奥の集落より繋がりは希薄なのかもしれない。
この小さな社は地域の住民同士を繋ぐ重要な役割を担っているのかもしれない。

守山の天王社を見て廻るとペンキでコテコテだったりするけれど、そこが住民同士の結束の強さのバロメーターとして映ってくる。
業者が綺麗に塗装したものより味があっていいものです。
2021/05/02

守山区瀬古東2「天王社」
創建・祭神 / 不明
所在地 /   名古屋市守山区瀬古東2丁目
八尾稲荷から徒歩ルート /  ​八尾稲荷から一筋西、徒歩5分
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