「天王社」と「道標地蔵」

瀬古東2の「天王社」を後に、一部下街道を歩き庄内川方向の瀬古東3「天王社」に向かいます。
小学校の西側の路地を北に進み右に進みます。

f:id:owari-nagoya55:20210603163958j:plain幸心の交差点の西側にある東春酒造、この西側の細い路地に入ります。

f:id:owari-nagoya55:20210603164037j:plainここの路地は水屋が残り、その石垣はまるで城壁の様。
周辺の光景とは一味違った、落ち着いた雰囲気が漂います。
矢田川を越え間もなく庄内川も近づいてきました。
二つの一級河川に挟まれたこの一帯、古くから川の氾濫に見舞われ瀬古村輪中とも呼ばれるそうです。
そうした環境から、そこに住むための知恵が生まれます、水屋もそうです。
この高さの石垣が必要な土地柄だった、そう考えると少し怖いものがある。
今は堤防や導水路、揚水施設が整備され、それらが水屋の役割を担っている。
水屋の石垣沿いに進と左右に延びる細い道が現れます、左に進みます。

その道は下街道、ここを進むと瀬古東3の「天王社」は近い。

f:id:owari-nagoya55:20210603164150j:plain瀬古東2の「天王社」から徒歩15分もあれば瀬古東3「天王社」に到着。
写真は今歩いて来た下街道方向の眺め。
手前の交差点を左に進むと目の前は国道19号線の「勝川橋南」交差点です。
駐車場はないので歩きが一番。

f:id:owari-nagoya55:20210603164221j:plain交差点の角に社地が与えられ、瓦葺の覆屋の中に板宮造りの赤い社殿が下街道を見守る様に佇んでいます。
左にはトタン屋根のお堂があります。

f:id:owari-nagoya55:20210603164239j:plain低い玉垣で囲まれていて瀬古東2のやたら広い境内の「天王社」を見た後だと狭いけれど、樹々はなく鳥居や狛犬がいる訳でもないのでスッキリした印象があります。

f:id:owari-nagoya55:20210603164255j:plain境内に入ると右に篝火台と手水鉢(石臼か?)

f:id:owari-nagoya55:20210603164313j:plain覆屋の中は遠目に見た時は一社だけのように見えましたがよく見れば手前に2社と鳥居もある。
手前の二社は扉が開けられ、中が見通せ神札は入っていません。
中央の社には中に神札が収められているのがわかります。
頑丈に施錠された賽銭箱に賽銭を入れ参拝。
こちらがいつ頃祀られたものか調べて見ましたが辿り着けませんでしたが、町内の神社当番により神札は入れ替えられているようです。
神社のある町に住むと神社当番がついて回ってくるもので、それは時に面倒臭いと感じかもしれない。
ご近所さんを知るいい機会だと思うのだが。

f:id:owari-nagoya55:20210603164332j:plain左のお堂。
内部に一体の地蔵が安置されています。

f:id:owari-nagoya55:20210603164349j:plain良く見ると像の左右に何か刻まれているように思える。
嘗ては街道の分岐点に祀られた道標だったのかもしれない。
この辺りは下街道、そこから分岐するとなると庄内川沿い上流の龍泉寺方向か。
いずれにしてもこの地蔵さんは長年の不風雨で風化し、顔の表情すら分からない。
右の天王社より古くからこの辺りで行き交う人々を導いてきたものだろう。
赤い前掛けがかけられ、堂前に生花も手向けられ今も地元から崇敬されているのがよく分かる。

f:id:owari-nagoya55:20210603164406j:plain天王社から先の下街道、右手のコンクリートの壁は国道19号線、その先の勝川橋を越えれば春日井です。

名古屋市守山区瀬古東3「天王社」
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 /  名古屋市守山区瀬古東3
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瀬古東2天王社から徒歩ルート /   ​東春酒造経由徒歩15分程