「庄内用水元杁」から瀬古1丁目「天王社」

「天王社」と「道標地蔵」から庄内川左岸を下流(西)方向に歩いていく。

f:id:owari-nagoya55:20210609004821j:plain30分ほど歩くと写真の用水路が進路を遮るように現れる。
「庄内用水元杁」
1910年(明治43)に作られたもので「現存する重要な土木遺産2800選」に選定されている。
庄内川の水を取り入れ、矢田川の地下を横切り、黒川樋門から再び地上に、ここで堀川(黒川)、庄内用水、御用水(ごようすい)、上飯田用水、志賀用水などに分けられました。
治水目的だけにとどまらす水上輸送路としても使われていたそうだ。

f:id:owari-nagoya55:20210609004842j:plain「庄内用水元杁」から下流方向へ10分程歩いていきます。
歩道が整備され、ゆったりとした流れの中に魚が泳ぎ、水草が躍る、暑気払いにはいい場所。
水質は庄内川次第で変わりますが、ちょっとした柿田川の雰囲気が楽しめるお気に入りの場所です。

「庄内用水元杁」
所在地 /   名古屋市守山区瀬古味鋺
「天王社」と「道標地蔵」から西へ徒歩で20分程
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f:id:owari-nagoya55:20210609004904j:plainここまで来ると南側には矢田川の堤はもう目の前。
僅かな距離で大きな二つの川に挟まれていて、水害が起こりやすいのは容易に想像がつきます。
写真のこの堰堤? これ堰堤ではなく嘗ての名鉄勝川線の名残。
1931年(昭和6)名岐鉄道の城北線の一部として、味鋺 ⇔ 新勝川間で開業し、名古屋駅から岐阜県可児郡豊岡町(現在の多治見駅付近)を間を結ぶ構想の下に出来たが1937年(昭和12)に廃止となったもの。
この辺りにはこうした軌道跡が今も残っています。

f:id:owari-nagoya55:20210609004929j:plain道路(県道202号線)を挟んで庄内用水の治水目的の堤のようにみえるけれど、この上に線路が敷かれ車両が走っていたという。

f:id:owari-nagoya55:20210609004948j:plainその右の大きな施設は守西ポンプ所
二つの天井川に挟まれ、地盤の低い周辺一帯の治水対策の要と云っても過言でないだろう。
一帯に降った雨水や地下水はここで汲み上げ矢田川に放流されるそうだ。
水屋が必要なくなったのもこうした揚水施設の整備によるもの。

守西ポンプ所
所在地 /  ​名古屋市守山区瀬古1丁目​ 
「庄内用水元杁」から南へ徒歩5~6分

f:id:owari-nagoya55:20210609005007j:plain守西ポンプ所の南が矢田川堤。
その上を走る道路際に赤い覆屋の中に祀られた赤い社があります。

f:id:owari-nagoya55:20210609005027j:plain南を流れる矢田川を向いて祀られる社は天王社。
車で通りがかっても赤い存在はすぐに目につく、守山で見かける天王社の外観のイメージをくむものです。

f:id:owari-nagoya55:20210609005046j:plain正面から庄内川方向の眺め、後方の建物が守西ポンプ所。
これまで一度も扉が開けられているのを見たことがなく、御札は見た事はありませんが、巷の情報から天王社で間違いないと思います。
こうして堤の上から北の建物の屋根を見ると土地の低さが良く分かります。
この社とポンプ所が一帯を災いから防いでいる、そんな光景です。

f:id:owari-nagoya55:20210609005107j:plainこの天王社の創建は不明ですが、以前は矢田川に架かる三界橋の南側に祀られていたと云われ、水害の被害を避ける目的から堤の上に移されたと云われています。
天王社
創建 /   不明
祭神 / 不明
所在地 /   名古屋市守山区瀬古1丁目
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f:id:owari-nagoya55:20210609005123j:plain南側の矢田川の眺め。
普段は穏やかな流れも梅雨時や台風の時にはガラッと表情を変えます。

f:id:owari-nagoya55:20210609005142j:plain矢田川堤上流から眺める天王社。
目立つ存在です。
この辺りから北のポンプ所を見ると、東側に堤防らしき痕跡が見られます。

f:id:owari-nagoya55:20210609005203j:plainこれが先程道路から見た名鉄勝川線の軌道跡。

f:id:owari-nagoya55:20210609005222j:plain枕木や線路こそ見られませんが、その下に敷かれたバラストがここに線路があった事を語っています。
まだこうして残っているんですね。
所在地 /   ​名古屋市守山区瀬古1丁目1243

2021/5/31
「天王社」と「道標地蔵」から瀬古1「天王社」までの徒歩ルート /    ​約30分の工程
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大曽根駅から徒歩で天王社を巡った​ルート